即座のモノ世界を即座に理解するのは貧しい真実しか得られない。「この蓋然=モノを即座に見る=の見方では抽象的かつ貧しい真実しか求められないla plus abstraite et la plus pauvre vérité. 81頁既投稿」右下図の左柱の意味です。






 部族民通信ホームページ 投稿 令和7年4月10日  発足開設元年6月10日
 
 サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
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 Hegel La Phénoménologie de l’Esprit ヘーゲル精神現象学

II LA PERCEPTIONOU LA CHOSE ET L'ILLUSION

 
 

第二章 知覚、そしてモノと幻影 そのI

GooBlog投稿時の日付ノンブルを使っています、ホームサイト掲載は410日)

202548日)ヘーゲル精神現象学GooBlog再開にあたり;これまでIntroduction導入章、第一章Certitude蓋然を投稿紹介してきた(2024812日からこれまで39回のブログ、またYoutubeにも投稿)。部族民が力説したのはヘーゲル二段ロケット、しかし第二章 Perception知覚を読み進むにつれ、二段ではない三段なのだ!と感を改めるに至った。下図はそのロケットの概念図です。知覚の章で数回投稿を予定するが、三段構成を意識した内容となります。

II LA PERCEPTIONOU LA CHOSE ET L'ILLUSION 第二章 知覚、そしてモノと幻影 I部 

章題「知覚、モノと幻影」知覚するとは幻想を垣間見るヘーゲル先生はのたまう。なぜ幻想かをこの章が教える。

章は前文、IIIIII部に分かれる。IIIは今回の連続投稿から外す(長い、IIIの繰り返し)

前文は知覚 Perception とモノの様態と動作の説明に行を費やす。III部がそれを受けて、モノの「普遍Universel」性が(ヘーゲル流の修辞で)述べられる。この文章巡りを理解するにI部からある一節を引用し、この伝えかけを本章の基点としたい。ヘーゲルは「塩」を語る: « Ce sel est un ici simple et, en même temps, est multiple ; il est blanc, il est aussi sapide, aussi de forme cubique, aussi d’un poids déterminé, etc. Toutes ces multiples propriétés sont dans un ici simple, dans lequel donc elles se compénètrent ; aucune n'a un ici différent des autres, mais chacune est partout dans le même ici où les autres sont » (95)

塩がここに置かれる、単純ながら複層する特性を持つ。白い、辛い、立方体でかつ重さが決められている。それらが「単純なココ」に存在し互いが同居する。そのいずれもが他者に関心は抱かない。しかし一つ一つはココ至る所に落ち着いており、他者にしてもそこに存在している。

(続く一文、引用は省く)白さは立方体に替わらないし、立方は辛さにならない。それぞれの特性は塩そのモノと関連するだけで、他の特性には「それも同じl’Aussi =大文字で始まる=無関心indifférent」の姿勢で臨むーとしている。(特性は互いに無関心)

塩の白さ、辛さなどの性質を特性 propriété とする。これら特性は塩の実質essence と関わるだけで、特性同士の相互作用はない。

前回投稿(導入章及びICertitude)ではモノの変遷が時系列として語られた。夜が朝になる、木が(眼を巡らせ)家になる。これらはモノにとりつく介在médiationの作用で、先の介在が後の介在に乗り越えられる。弁証法の経時性を説明している。本章ではモノには同時的に多くの特性が備わる。さらには一の特性にはそれを否定する反特性が隠れる(反特性については後述)。モノは単独で、同時的に複数特性との絡まりをもつ「ココ」を基盤とする。悟世が知覚Perceptionを保持し、初めてこの同時多様性を感じられる。モノに取り付く同時性の変遷運動、新たな弁証法の提言である。

本章を解釈する予備知識 ;

1 Perception知覚、能動性、モノを同時性で知覚し(percevoir)、規定する(indiquer)。前章のCertitude sensible感じる蓋然は受け身、経時変化を見る。これと対比される。

2大文字で始まるAussi「同じに」とは:モノの特性の性状を表す。一のモノには様々な特性が含有されるが、それぞれは他の特性に無関心。この性格はいずれの特性にも同じ立ち位置(無関心)Aussialso)を与えている。一方、他を否定する特性 « Un » も用意される(後述)。

3 Choséitéchoseモノの派生語、辞書にはないので「モノであること」と訳す)はAussiと絡み合い、多元特性、特性それぞれの孤立、変遷の同時運動。モノ世界を表す。

 

ここから本章の本文に入ります。前文から : « La certitude immédiate ne prend pas possession du vrai, car sa vérité est l’universel ; mais elle veut prendre le ceci. Au contraire, tout ce qui pour la perception est l'étant est pris par elle comme Universel » 93頁) 

即座の蓋然に真理は宿らない、なぜならその真実は普遍であるから。しかし蓋然は「そのモノ」を取り込むと欲す。これが真逆なのだ。知覚に対する全てとは存在である、存在は知覚に普遍として受け止められる。

部族民(蕃神):Certitudeは蓋然、前章でsensibleをつけていたが、この章ではimmédiate即座と言い換える。即座とはそのままを見てしまう意味。その在るがままモノを見る、そこに真理は宿らない、なぜなら蓋然の真実は「普遍」であるから。これが真逆である。「真逆」の意味をさぐると、前章で「感じる蓋然」を語ったが、そのモノへの接近はやはり「即座」、これが真逆なのだ。普遍は即座では探れない。ここで文の主体が知覚に替わる。知覚にお出ましを乞う。知覚は存在を普遍として(即座ではなく)理解する。

Hegel La Phénoménologie de l’Esprit ヘーゲル精神現象学 II. - LA PERCEPTIONOU LA CHOSE ET L'ILLUSION 1 了 (2025331日)





 
Jean Hyppolite
(1907~68年パリ)
高等師範学校の玄関前
1967年の撮影



ヘーゲル精神現象学仏語版
1947年AubierMontaigne文庫。この書の初版は1938年と聞くが、出版直後フランスはドイツの進駐を受け、社会混乱の中絶版となった(発刊されたかも不明)。本書は1947年の出版。




本書奥付
出版年1947年第1四半期
総印刷数336
個別番号257

が読み取れる。クリック拡大





   La Phénoménologie de lEsprit精神現象学ヘーゲル 知覚モノと幻影 2

Jean Hyppolite(ドイツ観念哲学を仏語圏に紹介、ソルボンヌ哲学教授、高等師範学校長など歴任、本書の仏語版は名訳と知られる、1907年~68年フランス、写真上は晩年の表情)のヘーゲル精神現象学の紹介を続けています。

202542日)« L'universalité étant son principe en général, sont aussi universels les moments se distinguant immédiatement en elle : le moi comme moi universel, et l'objet comme objet universel. » ()

普遍性は存在するモノの原理、他の2の要素も普遍である。それらは私(モノに潜む個の私)、そして対象である。

son principe sonl’étant存在=前文。 momentsを要素とした。前文にある特性 propriété と同一と見るが、肯定否定など弁証運動を発動する特性にこのmoments要素を用いる。Introduction導入章では弁証法の節目と訳した) 。

 « les deux moments qui tombent en dehors l'un de l'autre seulement dans leur manifestation, à savoir : l'un, le mouvement d'indiquer, l'autre ce même mouvement, mais comme quelque chose de simple ; le premier, l'acte de percevoir, le second, l'objet » 2の要素が、自己表現を見せながら、互いに離れて浮かび上がる。曰く前者はモノを規定する活動、後者はその活動自体である、単純に言うと前者は知覚の行動、後者は対象。

 « Selon l'essence, l'objet est la même chose que le mouvement. Le mouvement est le déploiement et la distinction des moments, l'objet est leur rassemblement et leur unification »

対象の実質を見ると、それは運動そのものです。その目的は要素を分別し展開させる、ゆえに対象は要素を集合し統一している。

続いて; « Pour nous ou en soi, l'universel comme principe est l'essence de la perception, et en regard de cette abstraction les deux moments distingués, le percevant et le perçu, sont l'inessentiel » (同)理性あるいは悟性そのモノ( Pour nous ou en soit直訳では我々ないし彼自身の律自。複数「我々」を理性、「単数」は悟性に部族民は意訳する)にすれば、知覚の実質は原理として普遍である。更に抽象を進める(知覚を運動させる)と2の要素が浮かび上がる。それは「知覚する」と「知覚される」となる、これらは非普遍である。

部族民:ヘーゲルはモノと思考に取り巻く属性を実質真実、普遍個別の概念に色分けする。モノは実質で真実。思考(理性、悟性)は本来的には(原理として普遍=前文)実質ながら、抽象化を進展させると(考え始めると)、その思考過程は非普遍(現象)に変身する。

我々、個が(脳みそに)持つ理性悟性は実質、考え始めると対象が浮かぶ。その浮かぶ対象は非実質です。前文の訳「知覚の実質は普遍、原理として」これが、知覚活動に入り非実質l'inessentielにすり替わる。

実質の知覚が行動(indiquer指し示す、抽象化する)すると「le percevant 知覚する、 le perçu知覚されるモノ」が現象の野に出る、それらは現象故に非実質l'inessentiel

Introduction導入章では悟性が考えるとは「現象の野に己の基準を浮かべる」と説明されています。実質ながら考え始めると非実質の過程に歩を進めるーこれと同じ工程を本章で繰り返します。

次の文章が考える非実質のからくりを明らかにする。 « le percevoir comme le mouvement est quelque chose d 'inconstant qui peut être ou ne pas être, et est l'inessentiel » (94頁)運動としての知覚は、なにがしか継続してはいない。それはありうるかも、ありえないかもしれない。故に非実質じゃ!(ここに表題の知覚と幻想の意味合いが浮かんでくる)

  « La richesse du savoir sensible appartient à la perception, non à la certitude immédiate, car c'est seulement la perception qui a la négation, la différence ou la multiplicité variée dans son essence » () 知の卓越した能力は即座の蓋然にあらず、知覚に由来する。なぜなら知覚は否定、区別、様々な累層を抽象化できるから。(知覚はモノの同時的な能動特性を峻別できる)

以上;

I部の前文では対象(モノ)は実質。悟性、知覚は人の思考(現象)活動なので非実質が強調される。では非実質(知覚)が実質(対象)を見て、何やらの判断することは可能か?その手法は ? 前文に続くI, II部で論じられる。

第一部 単純なモノの概念 Le concept simple de la chose

 « Le ceci est donc posé comme non ceci ou comme dépassé. Par là le sensible est lui-même encore présent, mais non comme il devrait l'être dans la certitude immédiate, comme le sanglier visé, mais comme universel ou comme ce qui se déterminera comme propriété » (94) このモノはかくして「無いこのモノ」、「越えられたモノ」として置かれる。無いモノながらそれを視認させ得る能力は残る。しかし即座の蓋然であったらそのように視認するだろうが、個別のモノとして見るのではなく、普遍として、あるいはその特性から特定する形で残ることとなる。

(知覚が対象を見ると、見えるがままの姿として捉えられる。それは必ず越えられる(dépassé)仮の姿なので非普遍なのだ。特性が形成する姿、越えられるコトを前提とする姿を(知覚を発動して)捕らえよとへー減る戦線が教える。なお前文最終文にある「la perception qui a la négation……知覚は否定、区別、累層抽象化」の意味は、知覚にすれば眼の前のモノの特性には否定され得る普遍性が含まれると読み、その引き継ぎの一文)

La Phénoménologie de lEsprit精神現象学ヘーゲル 知覚モノと幻影2の了 (42日)

 













本書内表紙
La Phénoménologie de l'Esprit








   

La Phénoménologie de lEsprit精神現象学ヘーゲル 知覚モノと幻影3

202544日) « « Le dépasser présente sa vraie signification double que nous avons vue dans le négatif. » (94) 越える (止揚) dépasserは複合する2の意味を、先に説明した通り、否定として表出する。

« Il a à la fois le sens de nier et celui de conserver ; le néant, comme néant du ceci, conserve l'immédiateté et est lui-même sensible, mais c'est une immédiateté universelle » それ(前文の dépasser 越える)は否定すると合わせて保持する両の意味を持つ。「このモノ」の無であり、それでも即座性を保ちその無は視認される。それは一種の即座性の普遍である。

Hyppolite脚注:越えるdépasserはドイツ語 « Aufheben » アウフーヘーベン。(邦訳では弁証法の止揚)

脚注2 La propriété, le ceci sensible dépassé, est le véritable objet de la perception, qui, dans son développement, donnera naissance aux deux moments extrêmes, à l'Universalité de la choséité, à la singularité absolue de la chose. 特性とは畢竟、越えられるモノとして表現され、それが知覚対象の真の姿である。この特性は運動する際に2の対極を生み出す。「モノであること」の普遍、そして「モノの絶対個別」である。

部族民:ヘーゲル修辞を解釈:個体のモノは実質、個別の存在として「在る」。個別であるゆえ「絶対」である。一方、モノであることchoséitéは多層する特性(塩なら白い、辛い…など)を内包し経時的に同時的にも否定をうける。この肯定否定の特性は実質になり得ない、「普遍」。知覚はそれら特性(肯定否定を)覚知できる。

部族民2:アウフーヘーベン止揚とは dépasser 超えられた状態で、モノは無néantに陥ると語る。しかしそれは感じ取られる無である。消え去った無を知覚が認識する。「ceciモノそのもの」の絶対個別が否定され無に果てても、「モノであることchoséité」の普遍が知覚には見えている(ここの解釈は苦しい)。

Propriété特性は複層する、しかし互いには相混じらない。特性の運動に何らかの決定因が後付されて、決定素déterminabilitéとなる。この主張の一文は: « Etant exprimées dans la simplicité de l'universel, ces déterminabilités, qui deviennent vraiment des propriétés seulement par l'adjonction d'une détermination ultérieure » 94頁) 単純である普遍のなかで運動するそれら決定素(モノの性状を決定する)は、(能動的特性に)後付される決定因détermination ultérieureの作動により真の特性(否定する特性)となる。

これがl'une la négative de l'autre他方を否定する特性である。塩の例では白いという特性には、すでに白くないとの非特性la négativeを有する。この対の肯定否定が塩を止揚する。白と辛さは互いに無関心なので、白辛が拮抗する運動ではない。

この弁証法が展開する個、そのモノを « le milieu » 場という。  « Ce milieu universel abstrait peut être nommé la choséité en général ou la pure essence ; il n'est rien d 'autre que l'ici et l e maintenant, tels qu'ils se sont montrés » (95) この場はまさに抽象の普遍であり、これをして「モノであること」、あるいは純粋実質と呼ぶ。それは前章で語った(介在が無関心と否定に緊迫する)ココ、今である。

この後に最初に引用した塩の話が開陳される。« Ce sel est un ici simple et, en même temps, est multiple ; blanc, sapide, de forme cubique… » 前出ここに置かれる塩は単純にして複層する

特性の特質Aussi 「それもまた」に論が進む。

 « Mais lêtre est un universel, parce qu'il a en lui, la médiation ou le négatif ; quand l'être exprime cela dans son immédiateté, il est une propriété distincte et déterminée. Alors sont posées en même temps beaucoup de telles propriétés, l’une la négative de l'autre »

しかし存在は普遍である。なぜならそれは介在とその否定を内包するから。存在がその状態を即座に表現すると(今は朝と表現する)その時点で分離、特定できる。そして同時にこうした多数の特性が存在に据え置かれる。一の特性は他者の否定となる。

 « Vraiment des propriétés seulement par l’adjonction d'une détermination ultérieure » (95頁)決定因の後付けによって正しく特性となる。

上の引用2文は何が何やら分からない。そこでこう考えた;本章は経時的弁証法から抜け出し、同時性の弁証法を解説している。経時は分かりやすい(今は夜が、時間の経過で朝に)、同時性の弁証法は分かりにくい。ましてヘーゲルの主張は「特性は累層するが干渉しない」。一体何が同時弁証法の起動因となるのか。

La Phénoménologie de lEsprit精神現象学ヘーゲル 知覚モノと幻影3 の了(4月4日)






 
ヘーゲル弁証法の3段ロケット。
左の2本目柱はモノ即座性を悟性が即座に判断する誤りを示す。よってこのロケットは軌道に乗らない。右の3柱が三段それぞれの活動を表す。クリックで拡大