野生の思考は

世界観(形態学)
哲学(魔術)
科学(寄せ集め)
で構成される。その基本思想は本質に重点を置いて属性を無視するところになる。じっくり読んだらそのように理解できた


bricolageと民芸運動の差は、片方はできあがりの形態を明確に持たない。もう一方はそれを持ち、作業道具を規格にあわせ管理している。民芸運動とは古くの「寄せ集め作品」を近代手順で再現したものと言い切れるだろうか。

写真は柳宗悦の作品。

 

染織(紬織り)で人間国宝の栄を受けた志村ふくみ氏(下写真は同氏作品)は若かりし頃、民芸運動に参加した。しかし彼女が目指す方向は「bricolageに似せる」とはあわず、柳氏と決別した(読売新聞掲載の回顧録から)

2の作品を見比べ、両者の方向性の違いは理解できる。しかるに志村氏の作品にも幾分かのbricolage的要素「崩れ」は窺えるよは目の迷いだろうか。
(写真はいずれもネットから)

 


ブルーノタウト(亡命建築家)に酷評された東照宮陽明門。技法は寄せ集めとは正逆の規格、寸法の厳守であろう。しかし寄せ集めの一方の表現、
mythopoetique「神話的詩の風情」
を感じるのだが。

崩れは奇抜、奇怪にもつながる。日光陽明門にして規格をまとめる中に崩れの極北を目指しているのなら、同じく近代にして我々は、新石器革命以来のbricolageの、闇の記憶にうなされているのか。

 
寄せ集め作品としてレヴィストロースが取り上げた2例


facteur Cheval (個人20世紀初頭、フランス)の城


Melies(初期の映画監督)一シーン


 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年7月31日
 
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野生の思考 LaPenseeSauvageを読む7 Bricolage  
ブリコラージュ 寄せ集めの論理
 (人類学)   (2020年7月31日)
 
 

レヴィストロース著「LaPenseeSauvage野生の思考」の第一章「LaScienceduConcret具体科学」の紹介を続けます。これまでGooBlog、及び部族民通信のホームサイトで前半部の「具体と魔術」を解説しました。今回は「Bricolage寄せ集め」について語ります。

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動詞Bricolerの意味;一義gagner sa vie en faisant toutes sortes de petites bosognes.選り好みせず些細な仕事で手間賃稼いで生活を立てる。二義arranger reparer tant bien que mal, de facon provisoire結果が悪かろうと気にせずやっつけ仕事でまとめる、直す。(辞書petit robert)。前向きの意味に用いられない。寄せ集めではなく「がらくた集め」「やっつけ仕事」が近い。「がらくた」は強すぎるので「寄せ集め」を本投稿では使う。

 

レヴィストロースは自身がどの意味でこの語を展開するか。数頁かけてこれを説明しているので、順に追うつもりであるが、より深く理解するにはrobertの説明に拘泥してはならない。辞書はこの動詞を「行為、行動」と語っているが、レヴィストロースは「そうした行為を容認する、そのやり方しか方法がない」とする考え方、思考に「寄せ集め」があるとして、その意味で用いている。

 

この思考が「野生の思考」であるし、頁が重なる中に具体科学、魔術との繋がりをも彼は指摘する。

 

Une forme d’activite subsiste parmi nous qui, sur le plan technique, permet assez bien de concevoir ce que, sur le plan de speculation , peut etre une science que nous preferons appeler « premiere » plutot que primitive: c’est celle communement designee par le terme bricolage.<(30)

 

parmi nous quiquiは直前のnousに掛からず主語のUne formeを受ける。quiのこの用い方は珍しい(普通は直前にある語、le(la)の定冠詞を持つ名詞、ただしa qui pour quiなどでは不定冠詞をうけることも)。une science que...が続くが、queにつながる名詞は定冠詞を被せる(と習った)けれど »une »と不定冠詞を被せる。この組み合わせも同じく特殊。レヴィストロースは文法から逸脱しても「とある、一種の」を2連重ねる事で、何らかを強調したかった。文法とおりにle(la)を被せたら「今の、規範としての行動、科学」と受け止める解釈を避けたからに他ならない。

これが動詞subsister(残している)の意味と重なりformeにしてもscienceも「かつての」モノとする効果を生む。

 

訳;私達にはとある行動形態が今も残る。技術面においてそれは目立つし、思弁においてもある一種の「科学」を今も精神に密かに育んでいる。その科学を原始的(primitive)と呼ぶは控え「原初premiere」の科学としよう。それが「寄せあつめ」なる語に形容される「科学」なのだ。

 

1 寄せ集め思考は今の我々にも残る。

 

Dans son sens ancien, le verbe bricoler s’applique....()訳;元々この動詞はこのように使われていた....

これにつづいて幾例かを取り上げている。ビリヤードの玉の残念な動き、馬術競技で馬がコースから外れる、狩り貧果を挙げる。それらは>mouvement incident<偶発事故、予期できないが起こりうる(歓迎されない)事態が発生するとの意。

Bricolerに、初めから前向きではない意義が見つかる。

 

2 完成結果が予測できないまま進める。

 

De nos jours, le bricoleur reste celui qui oeuvre de ses mains , en utilisant des moyens detournes par comparaison avec ceux de l’homme d’art<()

 

訳;今の時代にも「寄せ集め人」は歪曲した進め方で手仕事に向かう人として残る。芸術家とはおおいに異なる。

 

手作業で寄せ集め。するとbricolageとは大衆技能、民芸なのか。

 

3 魔術との比較がある;

le propre de la pensee mythique est de s’exprimer a l’aide d’un repertoire dont la composition est heteroclite et qui , bien q’etendue , reste tout de meme limitee ()

訳;魔術思考とは己の手持ち(の知識)を使って表現すると事にある。その知識の中身は雑多な構成となるから、その視野が広がっていようと制限された範囲に閉じこめられている。

 

元の意味の解説でincident(起こりうる不測事態)があると述べた。ここでは(作業、作品)の組み立て手段と技法に限定があるとしている。限定的かつ小規模な技術体制だから作業中に不測自体が起こる、何がまとまるか予測できない-否定的な作業形態と結果と読める。

そして>Ellepensee mythiqueapparait une sorte de bricolage intellectuel.魔術思考は寄せ集め思考の一形態である。

 

魔術とbricolageの相関は寄せ集め作品に表れる;>on a souvent note le caractere mythopoetique du bricplage ...<寄せ集め作品の神話幻想的性格を人々は注目していたのだ。

 

幾つかの神話幻想を実現している作品を挙げる。

villa du facteur Cheval (Cheval氏の個人製作)

Georges Meliesの映画 (映画初期の監督)

Dickensの大いなる希望 (オムニバス作品)

Wemmick のお城 (実物は残っていない、スタイルは継承されている)

 

 

これまでのまとめ、

1 寄せ集め思考は今の我々にも残る。 2 完成結果が予測できないまま進める。 3 魔術との類似性(共に限定される工具、知識でやりくりする)

 

続く文節は ;

 

deux types de connaissance scientifique que nous avons distingues=後略<2の科学認識法がある。後の文(略)には「それらを比較する事が重要である」としている。

 

2の科学認識法とは前章で縷々述べていた「具体科学」と「近代科学」に他ならない。過去投稿のホームサイトでは「野生の思考を読む」4~6回(具体科学と魔術)にGooBlogでは621日以降、投稿を重ねている「野生の思考を読む」に詳しい。

かいつまみ説明すると。

 

1      具体科学の思考はモノの分類、形態学に立脚している。モノを通して宇宙を説明する考え方である。

2      魔術ではモノの本質を探り、起因、発生を経時、共時の因果律に特定する。一つの形而上、メタフィジックである。道真の霊の本質を「恨み」とし、共時因果(冷遇やら左遷など)を設定し、彼の死(モノ)と落雷(これもモノ)を経時因果として説明する。causalite因果律の極地が魔術である。

 

日本の例を解説しているが、モノの因果にメタフィジック思考を展開して、それを律として定着させる思考は世界で共通であろう(本書に取り上げられるスーダンAzenda族はとある男の不運を同様に「誰かしらの呪い」の思考展開で語った)

 

こう考えていくと具体科学、魔術、Bricolage 寄せ集め思考は一つの塊として整理できる。それを野生の思考とすると具体科学の立ち位置、それに魔術、寄せ集め技術も同列として理解できる。

次章で「分類」を取り上げているがこれは具体科学の世界観となる(近代思考での科学技術)。すると「野生の思考」PenseeSauvageとは;

 

1 具体科学(世界観、分類学) 

2 魔術(哲学、因果律、決定論) 

3      bricolage(科学、技術論)

 

本書1~2章が伝える内容の全貌が見える。

 

Bricolageは野生の思考での創造(作業、作品)活動として位置づけられる。これを近代科学の技術論との比較を試みる。ここが>deux types de connaissance scientifique<である。

 

Le bricoleur est apte a executer un grand nombre de taches diverdifiees ; mais a la difference de l’ingenieur, il ne subordonne pas chacune d’elles a l’obtention de matieres premieres et d’outils concus et procures a la mesure de son propre projet : son univers instrumental est clos , ....(後略 31)

訳;「寄せ集め」の従事者はあらゆる種、様々な作業に手をつける。しかし(同じく多岐の仕事に携わる)「技術者」との違いは、それら作業の遂行が(手持ちの道具のみでは)困難だからとして、より有効な素材、工具を工夫する、見つけて持ち込むなどはしない。彼の工具の世界は閉ざされているから。

 

注;Le bricoleur寄せ集めの従事者は単数で表されるが集合名詞として読む。あらゆる寄せ集めの作業者、民芸品の制作者だが、ここで(自爆的拡大解釈で)魔術師、形態で森羅万象を説明する具体科学の毒草採取者などをも意味するとする。

彼らの「科学方法論」は解決すべき演題、あるいはやり遂げなければならない仕事が課せられたとしてもその作業の中味を分解、吟味などせず、手持ち素材と道具(手持ちの理論、形而上思考なども含む)を駆使して解決するところにある。彼(集合名詞として寄せ集めの従事者)の道具(手作業道具に加え思考、理論...などなど)は狭く閉ざされている。

 

ingenieur技術者は近代科学技術の技師であるが、哲学者、科学者と読むのも理解につながる。

 

この一文を「野生の思想」と「近代思想」との対照と見なせば、bricolageの位置が明瞭になる。

 

魔術はモノの因果を語る「科学」である。「モノに限定」されている方法である。モノを本質に限定し、属性を退け因果世界を説明する思考である。一方、科学者は雷の発生を道真の怨恨とする説を退け、気象状況から説明する。背景には雨雲の属性を重要視する。発達の仕組み、雲量や速度、そこから割り出される電位の蓄積、その対地効果を落雷として説明する。もちろん雲と雷、落雷と火災などはモノ同士の共時因果ではあるが、科学者は温度やら湿度などの系統を体系として持ち上げる。「因果causalite」と幅と深みで異なり、魔術よりも道具をより多く持つ。「決定論determinisme」であるが、その過程には「本質の繋がり」ではない、属性の分析を論拠のモトにして解決をさぐる。

下駄の放り投げのみでは気象庁に道具が足りなくなった。なればレーダーを設置したりスパコンを立ち上げるなど工夫を凝らす。

 

寄せ集め従事者は問題を正面から認識しない。本質を追求するけれど、属性には目を向けない。手持ち道具で解決するとしている。

 

寄せ集め作業従事者には「民芸」作者など土俗作業者も含まれる。どのようにしてガラクタ土器とか古着パッチワークみたいな寄せ集め作品を、彼らが製作したのか。本書の文意を探ると「土器が必要になった、そこいらの泥を適当にこねて、ぺたぺた叩いて日干しにするベイ」こうした「寄せ集め」が想像できる。作成技術に限界があるし、仕上がりの様を見据えず「適当なやり方、身近な道具」でモノを作る人々が目に浮かぶ。

 

この土器制作者に見る寄せ集め思考は

1      目的について本質を見る、属性を重視しない。

(土器という本質は水を貯める、これが一番大事。属性としては大きすぎない水漏れしない程度を規定する)

2      故に見えるモノ(作製された土器)と概念としての必要性(こういう土器を作ろう)の対峙は属性に規定されない本質(=概念)と仕上がり姿をアイマイである。

 

思考の進め方で魔術との共通性は認められる。共時経時のモノの因果(causalite)これが魔術思考であるが、近代科学は決定論(determinisme)として結果を説明する。両者の差異は思考の有様ではなく、「問題」に向かう姿勢である。

 

引用を進める。

 

C’est de la meme facon que les elements de la reflexion mytique se situent a mi-chmin entre des percepts et des concepts<(32)

この文節からbricolage行動の思考論に入る。C’estは前の文節で語っている寄せ集め作業のこと。element=要素=とは作品を形作る各要素。前回に掲載した奇怪な建造物(facteur du Cheval)を例に取れば石、煉瓦、窓枠など。pensee mythiqueでのelementは呪いの護摩の灰やらクマのクソなどと捉える。

 

訳;魔術的考察の各要素が「知覚されるモノ」と「考察されるモノ」の間をふらつくと同じく、bricolageに用いられる要素も同じくふらつく。

 

分かりにくいのはこの文の前段を引用しなかったから。そこで石煉瓦窓枠などのelementsはそれらが入手できたから用いるのであって、使えるなら何でも、使いにくくてもはめ込むという精神で作業する。するとこれらの材質は、その状態と用途に必要な規格との間で、すなわち、あるべき位置には置かれないけれど、何とか使えるから用いる。こうした状況を説明している。これをして「知覚...」と「考察...」の対峙にふら付きがあると説明している。

それを魔術思考を重ね合わせたのだ。

 

魔術考察における「ふらつき」とは何かをも申さねばならぬ。

それこそ妙薬「クマのクソ」を巡る知覚=単なるクソ、と考察=頭痛の快癒、ここに信じようともある意味では距離感を持たざるを得ない実態と言おう(苦しいけれど他に思いつかない)

 

ここでの主張は

 

1      Bricolageの方法論とは要素(部材)の規格に拘泥しない。要素の本質(材質そのもの)を重視し属性(規格)を軽視する。前投稿で説明したモノの形態に拘泥する具体科学と思察の進め方は共通する。またそれは魔術とも共通する。いずれも属性を軽視し本質を重要視する思考である。

 

本質と属性を使った理由は、この後にすぐソシュール言語学の「構造」を取り込む仕掛けを用意しているから。

 

ソシュールの意味論に入ろう。

 

前記のperceptsconcepts「知覚...」と「考察...」は意味論のsignifiesignifiantに相当します。小筆は幾度か解説を挙げている、

野生の思考を読む1で取り上げている(続きを読むクリックで飛ぶが、ここでもう一度。

 

Percepts=signifie(ソシュールの言う意味されるモノ), 知覚できる(モノ)はイヌに例えればそこらをうろつく、見えているイヌです。

Concepts=signifiant(同 意味するモノ)頭にあり言葉としてイヌを発音せしめる考察です。

 

Il serait impossible d’extraire les premiers (percepts) de la situation concrete ou ils sont apparus , tandis que le recours aux seconds conceptsexigerait que la pensee puisse mettre ses projets entre parentheses< (32) ( )は訳者。

 

この文は寄せ集め者の思考と行動を説いています。目の前にできあがった作品とそれを作らさしむに至った頭の中(設計図かも知れない)の関係を、ソシュール言語学の「意味する」、「意味される」の対峙を用いて解説する。

 

訳;感じられるモノをそれが表れている具体状況から引き抜く(Chevalの城で見ると、無造作に積まれる煉瓦や石の意味あい)は不可能かも知れない。さらには考察していたなにがしかを突き詰める作業とは、思想(設計図的なモノ)がそれらの考察を括弧内に置く(何を作るのを明瞭にさせる)事の要求につながり、これも労を要する。

 

前出>(魔術は)「知覚されるモノ」と「考察されるモノ」の間をふらつくと同じく、bricolageに用いられる要素も同じくふらつく<この考え方を言語学意味論から説明している。何故意味論を持ち出したかは、思察の進め方を一般的に、思弁的に進めるためと考える(レヴィストロースは哲学者なので)

 

劇的な一文が続きます;

Or, un intermediaire existe entre l’image et le concept : c’est le signe , puisequ’ on peut toujours le définir , de la façon inauguree par Saussure a propos de cette categorie particuliaire  que forment les signes linguistiques , comme un lien entre image et le concept , qui, dans l’union ainsi realisee, jouent respectivement les roles de signifiant et de signifie.(32)

 

 ; さよう、イメージと考察の間には何者かが仲介している、それが「意味」である。この特別な範疇(bricolageの作品と設計図)の課題、それはイメージと考察との関係であるが、それを「意味する意味される」のソシュールが先鞭を付けた言語学意味論の手法でもって、解析できる。

 

この後、寄せ集め作業者の製作姿勢、思考の描写が入る。貧弱な道具体系、手に入る素材を何でも使うの制約から作品がhetereclite奇抜、不規則になってしまう。この製作過程の跛行性をして寄せ集め従事者の頭には意味論の破綻が生じている。

 

続く

 


 
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