サルトルは理性としてヘーゲル弁証法を応用し、世界観にマルクス唯物弁証法を採り入れた。この2重性をもって「神の弁証法を人の理性(分析)で説明するとの批判をレヴィストロースから指摘された。(ここの解釈は部族民)



農法家ルイセンコは小麦の春化手法を拡大解釈し、獲得資質は遺伝する珍説を発表した。スターリンはその考えが唯物弁証法の証明と支持した。党大会で演説するルイセンコと立ち上がって支持姿勢を見せるスターリン。正統生物学者の「ほとんど」全てが反論したが、ブルジョワの手先として弾圧された。銃殺獄死流刑の数3000人とも。(数字はWikipedia写真はネットから)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2021年4月1日
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歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判2  
   

本稿は2021319日からGooBlogに投稿した歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判の本サイト転載版です。Blog投稿時の日付とノンブルが付されています。

歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判32021324日)

原点
1の「理性」を前回まで(批判の1,2で)解説していた。本投稿は原点2「世界観、歴史とは」を取り上げます。ヘーゲル弁証法では理性の自律運動がモノである歴史に反映される( le reflet de l’automouvement personel=前出)。頭の中の観念と宇宙の森羅が一の原理で同期し、その主体は理性である。<La Raison, pour Hegel,  n’est pas seulement une qualite de l’esprit humain : plus radicalement, elle est ce qui anime l’ensemble du reel - << tout ce qui est rationnel est reel tout ce qui est reel est rational>>(Dictionnaire philo. Nathan)

理性は、ヘーゲルにとって人精神の一つの資質のみならず、より過激的に,、現実の総体を活動さしめる根源である。理性なるもの全ては実際であり、実際なるものはすべて理性である。

一方、マルクス弁証法は、

唯物弁証法を真理とする観点である。ヘーゲルの思弁的弁証法をマルクスが「モノの活動」として取り込み、歴史経済の動きを説明する資本論を発表した(1867年)。歴史を究明する学とする見方から紹介する。

Chez les Marxistes : adaptation de la conception hegerienne au materialisme de Marx , Hegel etant idealiste , attribe le procesus dialectique a l’idee. Marx et Engels voient les processus dialectique dans la matière dont la pensée ne constitue qu’un reflet ; c’est fondamentalement dans la matière que s’opposent les contraires et que se realise la conciliation.( Dictionaire de la langue philo. Puf)

観念論者のヘーゲルは弁証法の論理展開を観念の中に置いた。マルクス主義者にとって唯物論マルクスはヘーゲル論法を物質の自律運動の説明に取り込んだ。もはや思考は物質の反映でしかない。対立が生じ解決に向かう(弁証法の)工程は基本的には物質の中に起こる。

もう一文、

Marx et Engels acceptront cette dialectique hegelienne comme methode mais ils en inverseront le sens, en la faisant <<descendre du ciel sur la terre >> pour appliquer a l’etude des phenomenes historiques et sociaux, fondamentalement aux facteurs economiques : ce n’est plus l’esprit ou l’idee qui determine le reel, mais le contraire et les maxistes ulterieurs elaborent en systeme rigoureux ce materialisme dialectique>(同)

マルクス・エンゲルスはヘーゲル弁証法の工程を引き継いだ。しかし「方向」を逆にした。歴史と社会、特に経済現象に応用するため、ヘーゲル弁証法を「天から地に降ろした」のである。もはや現実を規定するのは精神でも思考でもない、その反対である。マルクスを引き継いだ共産主義者(レーニン、毛沢東)は唯物弁証法を厳格な(支配)システムに練り上げた。(この引用文での動詞は「未来形」、予測を含むから断定していない。そのように思うのだが-の言い回し)

 

皆様お気づきかと、精神かモノか、選択した主体は両者で分かれたが、真理は常に一方にしか存しない。故に片割れ側は、弁証法的動きを見せるのであるが、それは他方(主体側)の反映(reflet)でしかないとしている。精神の弁証法とモノの弁証法がともに理性を持ち並立するとは決して諭さない。なぜなら哲学だから。

サルトルは世界観(歴史)においてはマルクス理論を導入した。歴史において弁証法は神の理論と位置づけ分析理性(人の理性として)を排除しているから、マルクス史観を全面的に受け入れているところは間違いがない。

しかし理性においてはヘーゲル流の弁証法を採用している(部族民の解釈)。その証左が個(soi)の精神活動をinterioriser(内証化)、exterioser(外在化)、totaliser(統合)と、ヘーゲル3段階をなぞって説明している。ここのinteri/exteri…には明確に理性活動が認められる。己の原点、実存主義の基底「個が存在を知り自由(理性)を得る」をサルトルが弁証法に合わせたのだ(ここも部族民の解釈)。「知る」とは個の理性が認識する過程である。個が知った存在は機械的な「外部の反映」ではない(=この段落は前述)。

マルクスは個が外部(弁証法の)解釈に己の都合(分析理性)に合わせて取捨選択などしてはならないと教える。そうした世界をマルクスが描いたけれど、サルトルが画く仕組みには人の理性が残っている。この組み合わせに矛盾が出ないだろうか。この点こそレヴィストロースが指摘した「神の理論を人の分析思考(raison analytique)で説明している、これが誤り」に当てはまる。

一方レヴィストロースの歴史館は、

歴史とは地理的に孤立し単発で発生する事象(anecdote挿話)を経時的につなげ統合化する思想である。民族学は地理的に接合する逸話を採取し共時的に統合する。事象を分析する手口は歴史と民族学では経時共時の差が際立つも、対称的であるともしている。民族学文献が民族学者の「思想」であると同じく、歴史は歴史家の「思想」とレヴィストロースは規定します。

ある思想のもと機動因を一にしてそれら融合し、「思想化」を探るのが歴史家であるから、歴史は「思想」である。彼の論点です。

この考えと対照される歴史がモノである立場が権力を握ると、

マルクス主義の継承者、旧ソ連現中国、北朝鮮でこの宇宙論(モノが理性を支配する)は教条として金科玉条、政治的に利用されている。例証としてルイセンコ(似非)遺伝学を挙げよう。「獲得形質は遺伝する」これは明らかに誤謬であるがスターリンが支持し、共産党のお墨付き学説と祀り上がったからには「異論を唱える生物学者」は銃殺か獄死、シベリア送りにされた(被害者は3000Wikipedia )。香港民主派がオルドス刑務所に送られる理由は「神の弁証法(毛沢東主義)に異論」をはさんだから。

マルクスが告げた「地上に降りた神」の弁証法が歴史を造り理性を支配するこの世とは、「神」がそこらに立ちはだかり民衆の理性を支配する強圧である。部族民はそれがあってはならないという立場です。

脱線したようだ、

脱線ついでに本投稿の最後の一文、

Le Marxisme n’est pas seulement une theorie du socialisme , c’est une conception du monde achevee, un systeme philosophique d’ou decoule narturellement le socialisme ploretarian de Marx. Ce systeme philosphique porte le nom de materialisme dialectique. Pourqui? Parceque sa methode est dialectique et sa theorie materialiste>

マルクス主義は単なる社会主義理論ではない。それはやり遂げた(究極)世界の概念でありプロレタリア社会主義を生み出す哲学システムでもある。この哲学体型は唯物弁証法との名を持つ。なぜか?なぜならそれは弁証法の手順を取り、唯物論の理論を抱くからである。

共産主義の教条をあからさまに表現した一文、そのはずスターリン著「無政府主義対社会主義」の第1巻序文である(Dictionaire de la langue philo. Puf孫引き)。究極のプロパガンダ、スターリンに「歴史は思想」などと反論するとシベリアに送られる(前述ルイセンコ粛正以外にもソルジェニーツインなど列挙するにも紙が足らず)背景が見事に理解できる。「歴史が神、個の理性は神の反映」が共産主義社会に出現していたのだし、今もこの世になお残る。

歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判3 了(2021324日)

4回(326日を予定)で未開社会論および3原点のまとめを投稿します。

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