部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2021年2月28日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
親族の基本構造5心理からの説明の下  
    (日付、ノンブルはGooBlog投稿時のもの)

仏翰林員(アカデミーフランセーズ)会員に選出されるを持ってレヴィストロースの碩学の程は高等とわかる。ということは下世話な立ち回りをクダケた言い回しで解説するなどを試みる訳がないを意味する。これはこれで良いのだが、部族民蕃神として「近親婚の禁止」を分かりやすく解説せむとし、卑近な証例を持ってこれを努力せむと決めた。何故に「心理起因」が禁止という「社会制度」と結びつかないか、令和の婚姻、今様事情と重ね合わせ、新宿発の鈍行列車の京王線的出鱈目テンポで論調していくつもりである。

前回(2021年2月10日)投稿「親族の中」でフロイトらのエデプスコンプレックスについて「もしこの傾向が純粋に心理起因であり、かつそれ以上ではないとしたら、何故これほどに社会的掣肘を受けるのかに説明がつかない」とレヴィストロースは指摘した。そして「集団に、関与した個人とそれらの子孫に危険性が存在するとして、禁止の起源はこの危険」で前回(下)を締めた。

この論点を逆説から解釈すると「婚姻相手への選り好みが心理起因にあっても、それが心理にとどまる限り社会から掣肘を受けない」となる。別の言い方では「純粋心理起因」はレッセパッセ(laisser passer)勝手にしやがれ、好きに任せるとなる。今様は令和の時代の習俗を借りてこの点を説明したい。

婚期も盛りの若者にして嫁に求める条件は「一麗二良」であるとネットで読んだ。その内訳は「見目麗しく気立て良く、控えめ良心」だとか。なるほどと感心したが、それも120年前の流行り歌謡「♪妻を娶らば才長けて見目麗しく♪」を鉄幹なるが明治32年に謡ったが、以来男の好みは少しも変わっていないと覚え故に感心したのである。これほどの長きにも変わらない事情は、稀にはあるがそうした女性は必ず存在し、目の前にチラつくから。今の世ならばワカオ文子様ですね。

一方、娘が婿さんに選びたい条件はひろく人口に膾炙している。それは「三高」。三とは給与、学歴、身長であり低きは好まれず、いずれかの高きをもってひとまずの必要条件、三つ揃って充分条件で合格だそうだ。娘らの本音がこの充分の高きにあろうと、まことしやかに伝わる。ちなみに三高男だって立派にウロウロと存在する。それが誰かなんて部族民は悔しいから例など挙げない。

好みは心理から発生する。心理で回りその帰結は個に戻る。社会にしても集団にも、心理に規制も制度も設けられない。一麗二良にしても三高にも、そんな選り好みなどはレッセパッセだ、個人の勝手と放置する。もし君が一麗二良の理想嫁と婚約できたとする。家族、友人らはその選択を「人倫に劣る」なり「欠陥を持つ子が生まれる、考え直せ」などと諫めたりはしない。せいぜい「うまくだまくらかしたな」とヤッカミを受けるだけだ。

聞いても見てもの「三高婿さん」を従え悠然と闊歩する散歩嫁に出会った友人が「あなたの結婚には呪いがかかっているわ、すぐに別れたら」の咎めを向ける横槍もいない、はずだ。

婚姻に際しての選り好みには、男にも女にも「レッセパッセ勝手にしやがれ」が適用される。これが普通なのだが。

この逆説のもう一捻りの逆を考えよう;

対局に構えるは「選り外し」が。娘のそれは「三低」でこれは分かりやすい。それが何かを説明する要はない。そして若者が避けたいのは「一醜二悪」であると最近、ネットつぶやきで教わった。その三は「醜い、陰険、出しゃばり」が心である。誰がそに当たるかは大ぴらにすると昨今は面倒がおこるから匿名にして某大学女名誉教授あたりは該当するかもしれないとしておこう。

娘達が若者らが、婿を嫁を選ぶにさいし、こうした低劣条件が絡まる物件、おっと間違い、人物には填りたくない。かく願うが人情、心理。令和の婚姻事情である。

これが「好みも外し」も人情、心理であるとの主張である。故にいかなる世の規則、社会の制度が介入する気配など見あたらない。三高との結婚願望は三低への差別だ。一麗二良などとウツツを抜かすは一醜二悪への侮蔑だ(文子を諦めキリンにしろと脅される気がする)などとして、国会が規制制度を立案「シコメ婚推奨」「低安俸給者救済」発行させるなんて動きは今の処、聞いたことがない。でも近親婚たはけ違反にはには厳しい。この落差は何故か?

罰が過重となる近親婚の禁忌と比較してみよう。

心理学的説明は「母親への憧憬が近親婚願望に向かうフロイトら、第9回投稿210日」「(近親女との同居で)性的関心を亢進させないから制度が禁止Havelock Ellisら第8回投稿28日」で取り上げた。

これらは「選り好みと選り外し」の心理作用である。それら心理ベクトルは今様の三高、あるいは一醜が向かう着点と変わるところはない。変わるのは一方には社会的掣肘が控え片方はレッセパッセ好きにしたらで許される。反応の差は一体どこから来るのか。

それが冒頭に申した「個人とそれらの子孫に存在するとして、禁止の起源はこの危険だ」である。近親婚を実行すると他集団と「女を交換」できない。すると個人、子孫、集団が孤立する。それがもたらす危険はまさに「社会」存続なのである。

この視点を軸に「親族の基本構造」が書き上げられている。近親婚から相互性、2重構造と進展し「限定交換」の部族民社会のあり方を論じている。

 

次回は「近親婚...」の社会学的考察に入ります。

(2021212)親族の基本構造10心理からの説明の下の了

 

追:最新の女性調査では「三高」はもはや古い。「三優、優しさ」がトレンドナウなのだそうだ。自宅にとどまる時間が多くなった働き方と関連しているとの分析がある。アグレッシブでマッチョかもしれない三高がやっとオシマイ、優男がモテだした。ブカンコロナが娘心を変えた。

親族の基本構造5の了

親族の基本構造4に戻る
 
   ページトップに戻る