レヴィストロースは心理学、社会学からの説明に対しそれら説が引用する事象の正誤を語っていない。説を導く論理手順の不整合を突いている。生物学説明(遺伝劣化)にはその事実はないと切り捨てたとの対象を見せている。これら2の説を「学説」と扱い、学からの整合を論じる姿勢と思える。
EmileDurkheimの写真(ネットで採取)フランス社会学の創始者1858~1917年フランス)。日本の柳田国男の1世代前。学説は古めかしい感を否めないが、本書「親族...」の刊行が74年前、当時は「トーテム信仰、血の汚れ...」説も影響を保っていたと理解する
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2021年3月15日
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親族の基本構造6 社会学からの説明 上  
 

(本投稿はGooBlog202131~8日に投稿(4回)した訂正加筆版です、日付とノンブルはブログのまま残してあります。)

(ブログ投稿202131日)レヴィストロース著「親族の基本構造Les Structures Elementaires de la Parente」の紹介を続けます。

前回まで「導入章Introduction」から「自然と文化Nature et culture」、「近親婚の問題Le probleme de l’inceste」を紹介してきました(18日から212日)。最終の10回目で取り上げた心理学的説明(フロイトなどの精神分析手法)は「近親婚禁止を説明できない」と切り捨てた背景を紹介した。

理由として「母との婚姻を希求する個人、その深層心理=精神分析学オイデプスコンプレックスに類型される」は糾弾され、社会制裁を受ける。しかしそうした背景と異なり、母でない近親でもない女との婚姻はいかなる社会でも糾弾されない。この説明はない。それでも精神分析手法は、幾分はマシな展開を見せてはいるが。

近親婚の禁止は人類にあまねく広まる。この汎人類性(universite)に彼らは注目して、同じく「汎人類的」である深層心理を持ち出した。個別は一般を説明できないわけだから、同じく一般的なレベルの事象を持ち込む。この手法は正しい、このように批判すれば

1説明の遺伝劣化に比べてマシ(前述)と言えます。

しかるにレヴィストロースの指摘は厳しい、

「憧憬、希求なる心理作用による婚姻願望は様々な男女関係で発生するが、近親関係にのみ禁止され、実践した個人に掣肘が与えられる」。禁止の汎人類性に注目するが、特殊性(いつでもどこでも厳格に=禁止の三角関係という=の罰則)には考察が至らなかった訳である。これ故に心理説明は「近親婚」理由付けにならない。

このところをかみ砕いて説明すると(近親ではない)隣村のアキコチャンと結婚を希望する若者に「好きだから結婚したいとは不届きなヤツ」なる罰は課せられない。「laisser faire好きにしなさい」(自由経済の標語、資本主義勃興期に流行)と無関心である。一方アキコチャンが近親だったら制裁される。同じ好き (心理学) でも一方では勝手にしたら、近親だったらダメ!と社会の対応がことなる。すると好き嫌いの(心理)前に「社会制度での範疇分けが」入っている。これをオイデプスコンプレックスなる心における「汎人類」を持ち込んだ精神分析、心理学は説明していない。

 

3の社会学的説明に入ります。

Les explications du troisieme type presentent ceci de commun avec celle qui vient d’etre discutee pretendent , elles aussi, eliminer un des termes de l’antinomie. En ce sens , elles s’opposent toutes deux aux explications du premier type, qui maintiennent les duex termes , tout en essyant de les dissocier.(22)

3の説明はこれまで紹介してきた2の説と共通の要素を持つ。(他の説明に見られる)論理矛盾は排除したと主張している点である。第3の説(社会学)は第2説(心理分析)と相まって、2の矛盾を内包しながらもそれを何とか克服したいとした第1(生物学)とは異なる。

若干の寄り道を許せ。

第1説の生物学説明の第1矛盾は「人類遺伝子の均質性からその(遺伝劣化)危険性はない」し、そうした実態(遺伝劣化、怪物)が報告された事実もない(言い伝え、迷信は採取されている)。第2の矛盾は部族社会の多くで婚姻の禁止対象は遺伝的に関係のない姻族をも含む。すなわち遺伝劣化の危険が起こりうる筈のない関係をも禁止している。族民も生物学的事由による禁止を信じていないと言える。この2点(実態が無い、禁止する内実が理由とするところと離反している)に矛盾が2カ所生じている。

社会学的説明は先住民観察などの成果を元にしているから、第1説の1の陥穽から(実態がない)からは免れている。遺伝的遠近にたいしての中立については社会学的観察に基づく説明であるから、この項に関しても齟齬はないと主張する。主張は2グループに分けられる。

1       Frazer(1854~1941英国)、Morganら。Exogamie(族外婚)の遺構として。またMcLennan1827~1881英国)らが族外婚と「略奪婚」を融合させた仕組みが社会の古典的形態であり、ここに近親婚の禁止が始まるとしている。(レヴィストロースはFrazerMcLennanを分けているが、小筆は一括りにした)

2       Durkheim(1858~1917年フランス)ら。族外婚にトーテム信仰、「血の原理」を加え近親婚禁止を説明する。

レヴィストロースはこれら2説も、それぞれ論理の落とし穴が見られるとしている。その一文、

La force de cette interpretation provient de son aptitude a organiser, dans un seul et meme systeme, des phenomenes tres differents les uns des autres et dont chacun , pris a part , semble difficilement intelligible>(24)

つじつま合わせ急ぐあまりこれら解釈は、それ自体に、それが向かう流れにも、雑多な事象のつなぎ合わせのあまり、それら事象のいちいちが理解不能に陥っている。

上訳は分かりにくい。意訳すると;

まず結論ありきの無理技で説明している。関連のない事柄をつなぎ合わせて、論理の手順からして無理筋となっているが、力業で辻褄あわせを試みているだけである。

レヴィストロースにかかればFrazerDurkeimであろうと辛辣批判に曝される。そこまで彼が強気なのは、前の2の説明(遺伝劣化および心理学)批判で強調した「禁止の一般性」汎人類性universaliteと、特殊性(三角関係)との整合をこれらは取れない、取ろうとしていないからである。

すなわち;

「社会学的説明に立脚すれば、観察された事象は部族的でありその場限り、個別的となる。汎人類に演繹するには別の次元での検証が必要となる。個別の観察事例から近親婚の禁止という一般事象と掣肘の特殊性(いつでもどこでも厳格に)を説明することは出来ない」に尽きる。

個別の報告例をもってしてでは汎人類現象を説明できない、論理の展開が生硬過ぎるとの指摘である

ここで(蕃神の個人的関心なるが)興味深いのは、レヴィストロースは事実の正偽をもとに批判しているのではなく、彼ら論理の筋立てにおける生硬さ、そして「錯誤」を衝いている点である。深層心理なる現象があるかないか、それを追求するのではなく、深層心理には違反者を厳しく罰する機能がないーここに力点を置く。この志向は彼の著作に必ず見られる。代表格は「歴史弁証法におけるサルトル批判」。レヴィストロースの思索方向をより知るためにも、上記2の紹介とあわせ、レヴィストロース指摘と批判の道筋をたどろう。続く。親族の基本構造11社会学からの説明(1) 了

親族の基本構造12社会学からの説明(2)

202133日)社会学からの説明1は族外婚をして「近親婚禁止」の起源とする。その発展として族外婚と略奪婚を絡みあわせ、これをもって「禁止」起源とする説を取り上げ、その批判をレヴィストロースが展開する。(Lubbockが主唱した。著作は1896年ロンドン出版、小筆はこの学者を知らずWikipediaにも探せなかった)

Lubbock trace le schema d’une revolution qui aurait consacre le passage d’un marriage de groupe , de caractere endogamique, au marriage exogamique par capture. Les epouses obtenues par ce dernier procede , en opposition avec les precedentes, auraient seules possede le statut de biens  individuels, fournissant anisi le prototype du marriage individualiste modern.(23)

Lubbockは族内婚の性格を帯びる「集団」結婚から、略奪により配偶者を得る族外婚への道筋を想定した。略奪された妻の地位は、前者(集団結婚での妻)と較べ個人的財産(夫の所有物)として立場が確立している。近代的結婚、夫婦関係のひな形となっている。

結婚形態を集団から個人間、ひいては近代的成人同士の合意にまで「進化」する図式を想定していたと読める。するとここでの「集団」とは今様の個別の組み合わせを幾組か合同し、式を執り仕切る集団結婚式とは異なり、複数の夫と妻の複数が集団として共有される。ある意味、乱交的カオス結婚の原始かと類推する。妻を独り占めする私有財産化に個人が目覚め、隣村からめぼしい女を盗んでくる。その女は夫の所有物である故に他の誰の妻でもない。ここに個人性をもつ妻が生まれ、近代的細君の原型となったと主張する。21世紀今となっては荒唐無稽の感を抑えきれない。

本論文の発表は19世紀末、ダーウィン進化論(発表1859年)の衝撃が、社会科学系にも影響を及ぼし「進化論の第二の波」が発生した時期でもある(Wikipedia調べ)。進化論から影響を受けたLubbockらが社会における「進化」をこうした単一方向の発展「カオス原始から美徳文明へ」と図式化したと思われる。(レヴィストロースはLubbockと進化論の関係を語っていない。批判を通してのLubbock説の背景を類推である。勘違い誤りあるかもしれない、ご容赦)荒唐無稽な社会進化論とその論調の生硬さ、しかしこの推定を是として論を進める。

親族の基本構造4 社会学からの説明 上 の了

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