レヴィストロースによれば魔術はモノ思考の見境の無い拡大敷衍であると。一方、congruence思考の拡大解釈との見解もある。


マンドラゴラ伝説は形態の近似を起因とする共時因果。写真は写真はネットから

参考PDFの原図(パワーポイント)クリックでPDFに飛ぶ




 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月30日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
野生の思考1に飛ぶ
 2に飛ぶ
 3に飛ぶ
   野生の思考 LaPenseeSauvage を読む 4
  科学と魔術の上 (人類学)2020年7月15日
野生の思考4に飛ぶ
 5に飛ぶ
 6に飛ぶ 
   

本投稿向けに限定製作したPDF用語欄にmorphologie(形態学)が見られます。

forme()も見える、両者の差とはformeは全体の形、木であれば高さと枝振りの外貌、すなわち姿、その形がformeです。形態(学)と訳されるmorphologieは;Etude de la configuration, et de la structure exterieure d’un etre vivant.生物の外貌の構成、構造を調べる学。とあります。とある一の形の見極められる仕組みを見る。イヌという形formeをよくよく分解すると首、胴体、尻尾四つ足などで構成されていると気付いたら、すでにmorphologie形態学に踏み入っている。

Ce savoir et les moyens linquistiques dont il dispose s’etendenet aussi a la morphologie. La langue tewa utilise des termes distincts pour chaque partie  ou presque du corp des oiseaux et des mammiferes. La dicription morphologique des feuilles d’arbre ou de plantes comporte 40 termes, et il y a 15 termes distincts correspondant aux differentes parties d’un plant mais. (本書19頁、ConklinHanundo Plant Worldからの引用)

訳;(筆者はTewa族(オセアニア先住民)の案内者と徒の旅に出て、途上森林域を横切る、案内者の植物に関する知識の深さと語彙の豊かさに舌を巻いたーこれが引用文の前段)知る努力そして言葉を通じての適切な説明、こうした知識は外貌のみの観察を越えて<形態学>にむかう。tewa語には鳥類、ほ乳類の全ての構成部位に名が与えられている。木々、草類の葉の外貌からの識別(morphologique形態学)には40の用語が用意され、モロコシの一種にですら葉の形態に15の用語が備わる。

比較するに本邦の例をあげる。

牧野富太郎博士(18621957年)「日本の植物学の父」、多数の新種を発見し命名も。近代植物分類学の権威である。研究成果は50万点もの標本や観察記録、『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作」(Wikiから)

氏の著作「原色日本植物図鑑」(北隆館発行、左コラム)を開けると、葉の形体による分類が説明されている。葉脈を種別すると網上脈など4種。形による葉の分類は6頁に渡る。そこでは糸形、針形など76種の葉の形を類別している。植物の形態学である。Tewa語ではその分類が40、とすれと「世界の牧野」には及ばない。しかし彼は「学」としての分類である、日本人が76種の葉形を区別しているなどは考えられない。小筆の知識では針葉、広葉、広葉でもカエデとイチョウは別種とわけると、あわせて5の葉形を識別する(カエデを掌状深裂、イチョウは叉状と分類されると知った。イヌの尻尾なんかよりも難しい名のmorphologieだ)。

牧野博士の76分別は例外で平均日本人は5Tewa人は40。これをして日本人はTewa族に比べ形態分離能(morphologique)で劣るとは決めつけられない。生活を取りまく植物相Faunaの深さ、樹木をいかに資源として用いるかの文化の差が語彙表現にあらわれていると解釈すべきです。

同書の挿入図から(下)。これは具体科学にも似通う形態学の分析手法となります。

本文に戻る、

続いて植物のles parties constitutives et les proprietes des vegetaux(主要な部位とそれに関連する性質(用途、効能など)に150の用語が用意されている。彼らの形態学の狙いとは用途を特定する為であった。続く文に;彼ら同士で(特定する為に)色々話し合っている、それらは多くが医療用途、そして食物になるかどうかだった。形態と用途の繋がりをレヴィストロースはcongruence(訳を試みると紐付け)と規定する。聞き慣れない語の説明は後に回して、命名されている形態は何らかの用途に繋がるとの指摘がここに窺える。

シベリア先住民の生物そのもの、ないしは部位を特定の(医療)用途に結びつける例を並べる(20頁)。例をあげるとあるクモは不妊治療。黒いフンコロガシ(狂水症)、赤イモムシ(リューマチ)、石ころを含んだ冬眠熊のクソ(おそらく頭痛)など。この種の先住民の記録を幾例か羅列しての後、以下の文で土俗療法の成り立ちを締めくくる。

De tels exemples  qu’on pourrait emprunter a toutes les regions du monde, on infererait que les especes animales et vegetales ne sont pas connues pour autant qu’elle sont utiles : elles sont decretees utiles parce qu’elles sont d’abord connues.<21頁)

訳;世界中からこのような実践例を拾うことができよう。そこで次のように推察できる、それら動物植物が有用であると見なされてから知識に組み込まれたのではない。それらが知られていたから、有用と見なされたのである。

文の解釈に避けて抜けられない一句は「知られていたから有用」この論理である。

レヴィストロースはこれまで「有用であるから名を付ける」(南米Nambikwara族の毒草知識)と述べていた。有用性が先に認められて命名されたと理解される。その正反、「知られて後に有用と認められる」をここで主張している。これは混乱を催す。この正反対の謎を解くカギに「世界中」と「知る」の関連が潜む。

民族学者としてかつ哲学者として、人が知性を働かせる行為は「世界中、どの民族でも変わらない」なぜなら「人間だから」。これが出発点である。そして「こうした実践例が」世界中の現象であれば、それは歴史偶発性、地域性などを乗り越えた「知性」の動きに他ならない。クモを不妊症に熊のクソを頭痛になどの土俗療法には、それらの物質を治療に結びつける人間の「知性」がはたらくから。これをしてまず「知る」知性が働くのだと指摘している。その知性とは具体科学の華congruenceである。すなわち物体(草)と薬効果をcongruence(紐付け)する(知る)、この知性の後に有用との認識が出来上がる。

 

 

 

congruenceなる語の意味を探る;

氏の著作の神話学の全4巻でcongruenceは頻繁に引用されている。その意味を彼が語ることは無いが小筆は「2の異なる形状で表出しているモノながら“本質”は同一」と理解する。神話主人公の本質は世界創造者です。火を発見した主人公もいれば狩りの技法を盗んだ者もいる。それらの形式は異なるけれどcongruenceとして同一である。この同一追求の「知性」が先住民の医術、その論理背景を解く鍵でもある。

ではcongru...の思考作用はどのように働くのか。構造主義家元からの説明は無いから部族民が想像をまじえ、説明する;

異なる2の物質に外見の差異を越えて紐付する。formemorphologieなどの分類法を用いて別種である2のモノ。観察に長けた先住民が注意深く観察すれば、形状の違いながら幾分かの似通いが認められる場合はあるだろう。例えば現象の重なり、消失と出現の経時的連続性などに類似analogie(先住民が)働かせるとも推察する。こうしたある程度の類型を捜し、共時そして経時の因果を設定し2のモノを紐つける。これをしてcongruenceは具体科学の「知的」の一つとなります。この知性を働かせてキツツキの嘴と人の歯痛を結びつける共通の本質を探った。熊の屎と頭痛にも同様にcongru..が、何かの契機をきっかけにして認められた筈だ。

身近なcongru..2例を挙げる。西欧中世のマンダラゴラ伝説。

根が二股に分かれ形状は人、特に男に似る。言い伝えで横死した男の精が地に育ったと信じられていた。薬効は強壮。ここでは形態近似による共時因果を想定している。

日本、菅原道真などの「死に様伝説」。怨みを残して死ぬとあの世に行かない。道真は死後も、地に留まり天候不順、落雷を発生させ京を脅かした。憤死と飢饉には連続性があった、これをして経時因果があったと人々が類推した。それら2の形には共通の本質、恨みが根底に潜む、congru..が認められる。

日本語はこれを「祟り」と教える。

一方でこのような「科学」の因果関係は証明されていない、迷信であり治療には役立たないとの指摘は強い。対してレヴィストロースは答える。

Mais precisement son premier objet n’est pas d’ordre pratique . Elle repond a des exigences intellectuelles au lieu de satisfaire  a des besoins.(21)訳;しかしながら厳格にいえばその(治療するという行為)目的は現実的効果(治癒)を狙う為ではない。 その行為は知的圧力に応えるのであって、治癒の求めを満たす為ではない。

医療行為ではない、世界を表現する必要性(exigences intellectuelles知的圧力)に駆られた結果だとしている。その圧力とはなにか。

キツツキの嘴で歯痛を治す行為は>faire aller ensemble le bec de pic et la dent de l’homme<歯と嘴を共に去らしめる行為と(民族誌の記述からして)尊師は規定した。未開医術の根底には具体科学の知性が働く(前述)証拠として> dont la formule therareutique ne constitue qu’une application hypothetique , parmi d’autres<その治療の手法は色々ある中でこの組み合わせしかないとの事実をあげた。

キツツキ嘴の効能は歯痛にしか効かない。頭痛の訴えには熊の屎を投じる、タヌキの屎ではない。一の医用素材は一の症例にのみ有効である。なぜか、congru..、本質での一致がなせるからである、としている。これがモノに特化している具体科学の思考ほうで、congruenceもその例に漏れない。

一方、近代医学では薬は「症状」に効果をもたらす。症状が「痛み」であれば神経の炎症が原因となり、炎症を和らげる薬を処方する。同じ薬なれど頭痛にも歯痛にも効能を保つ。近代科学の雄、西洋医学の知性が一薬多症である。とは言え頭痛の訴えにオータ胃散を処方する医師に出会ったら、通院を控える決意が長生きの秘訣となる。

続く


 
    ページトップに戻る