イヌをタヌキと呼ぶ失敗を防ぐにはそれぞれの思想を育まなければならない

 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月30日
 
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  科学と魔術の中 (人類学)2020年7月15日
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先住民がこの土俗医療の技法を用いるのは痛みや震え、不妊を治すのではなく、彼らの思考が作り上げたモノ世界の正統性を確認するため(と先住民は思考している、レヴィストロースがかく分析した)。

具体科学はモノの有様を巡る知性体系で、PenseeSauvageなる思考の根源となる。ここでその知性の廻り具合をおさらいしよう;

どのようにして世界観を形成するのか、イヌとタヌキを例にとる。

四つ足がたくさんいる。それらの姿formeが似ている。類推analogieによる統合integrationが働いて、こいつ等を統合し同じ種とし、イヌと名付けよう。しかし良く観察すると異なる点も多い。未開人ならではの知性の鋭さが観察を深め、各部位の分析を始める。尻尾巻きと尻尾垂れ、デカとチビ。それぞれにアキタ、シェパード、シバと名づける(morphologie)。これらイヌ軍団にどうanalogiemorphologieを駆使しても属しない個体がまぎれている。面倒だからそれタヌキとしよう。山に登ったらタヌキに幾度も出会った。かくして敷延(globalisation)なる知的作業をへて宇宙というモノ世界にイヌ、タヌキが組み込まれた。イヌとタヌキという思想がモノ世界を裁断(decoupage)した瞬間である。

具体科学が向かう先とは何か;

Par le moyen de ces groupements de choses et d’etres, d’introduire un debut d’ordre dans l’univers<21頁)これらのモノと存在の集合化(上の文で述べている知的作業のコト)をとおして宇宙に秩序の先駆けを導入することなのだとある。

秩序のあり方をレヴィストロースは突き詰めてゆく。

le classement , quel qu’il soit , possedant une vertu propre par rapport a l’absence de classement<(22)。分類とはそれが不在である事態と比べると、(例え不備なる物であっても)いかなるものであっても効果が現れるのである。

vertuは勇気、実行などと訳される例が多いが、この文脈での意味に第2義のprincipe qui est considere comme la cause des effects、「効果」をとった。続いて古生物学者G.G.Simpson(アメリカ、恐竜の分類)の言を借り「その分類法にたとえ疑念が残ると自問しても、それを無効にするなどできない。分類無しとは秩序なし、大混乱カオスと果ててしまうからだ」>Les savants supportent le doute et l’echec , parce qu’ils peuvent pas faire autrement...(Principe of animals taxinomy1961年からの引用、22)学者なら誰しも(そこに、自らが唱える分類法)を維持し続ける。なぜなら他にやりようがないから。

そして難解な一文が立ちはだかる;

Or cette exigence d’ordre est a la base de la pensee que nous appelons primitive, mais seulement pour autant qu’elle est a la base de toute pensee : car c’est sous l’angle des proprietes communes que nous accedons plus facilement aux formes de pensee qui nous semblent tres etrangeres<(22)

上引用文にはある程度の独断を加味しないと読解に至らない。一方で勘違いを許すとクセジュ文庫化に自らを貶める。それを怖れるから訳に入る前に各文言の意を吟味しよう;

鍵となる語は2。その1a la base de toute penseepensee。文脈から断定するとこのpensee(単数、冠詞無し)は人類に共通する知性、その形容詞の使い方とする。思考の様態は民族、文明にかかわらず同じだから単数形をとる。その2proprietes(所有権の意味、複数)。これを知性活動の表出とする。表現の様には未開、文明などでいろいろあるから複数形にしている。しかしそれにも共通性があるのだと。さらに詰めていくと、

記号deux points:の前後の文内容は同じであると理解する。

後段に「思考の形態」が置かれる。formes de pensee, formesは複数、penseeは単数形。するとこのpenseeは前段の人類の思考penseeを受けている。「形態」は複数、となると前文のproprietes表現に対応する。それが我々にとても奇妙(etrangeres)におもえる。近づき方(理解の仕方)は共通に持ち合う所有する物(未開人にも文明人にも同じ知性から表出する)を通してのみ容易になる。

訳にこぎつけられるか。

訳;この秩序あれとの希求が、我々が未開と呼ぶ思考の原点となる。我々にとって非常に奇妙と思える彼らの思考を理解するには、彼らとも共通する「思考活動の表現」を比較すれば、その背景が分かるはずだ。

意訳;未開の思考はその様態で文明人と変わらない。ただ思考した結果(表出)に、我々は奇妙さを感じてしまう(熊の屎を頭痛になど)。それを理解するには思考の過程を理解すれば良いのだ。

ここがレヴィストロースの未開思考の哲学です。

Chaque chose sacree doit etre a sa placeFlecherOn pourait meme dire que c’est cela qui la rend sacree,puisqu’en la supprimant, fut-ce par la pensee, l’ordre entier de l’univers se trouverait detruit ; elle contribue donc a le maintenir ...()

訳;神聖なるモノには落ち着く場所がある(フレチャー20世紀前半のアメリカ民族誌学者の引用)。それはこうとも言える、その場所に納まるから、そのモノを神聖としているのだ。なぜならその神聖なモノを弾き出したら、それをしでかしできるのも知性なのだが、宇宙の秩序が根底から崩れる。知性は(野生の思想であろうと文明のそれだろうと)宇宙を維持するために必要なのだ...

Flecherが述べる神聖なるモノに未開人は秩序をあて、先に引用したSimpsonは分類をおいた。

幾例かの祭儀の段取りを説明し、Blackfoot族(北米)が実践する儀礼(雌バイソンの胎の仔の生育から春の到来を占う)を最後に挙げて>Pourtant on ne peut isoler ces reussites de tant d’autres rapprochments du meme genre , et que la science declare illlusoires<しかしながら、これらの成功例をして、その他多くの(占い)の手順、科学(la science=近代科学)はそれらを迷信(illusoires)と決めつけるのだが、から分ける事は出来ない(バイソン胎仔と春の関連はありそうだが、Blackfooot族は「生物学」的類推を巡らせて占った訳ではない)。迷信を信ずる「知性」で占った。

Mais n’est-ce-pas que la pensee magique, ‘cette gigantesque variation sur le theme du principe de causalite’ , disaient Hubert et Mauss, se distingue moins de la science par

l’ignorance ou le dedain du determinisme , que par une exigence de determinisme plus imperieuse et plus intransigente et que la science peut juger deraisonable et precipitee ?

23頁)

訳;  魔術の思考、HubertMaussが曰わく、因果律の上に君臨するこの巨魁、変異の思考、近代科学との乖離とは魔術が決定論を知らない、毛嫌いしているからではない。より強圧、非妥協な決定論の圧力を受けるからで、その点を持ってして近代科学がそれを非理性、短絡と決められるのである。

magie魔術に思考を重ねるはいささかためらうが文の意をくんだ。レヴィストロースによれば魔術はそれなりの因果律、決定論を具有している。それが文明人の持つ決定論よりも凝り固まっているのだと指摘する。続く


 
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