| 哲学主題の投稿(令和元年5月~) | |
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| 極楽浄土千年王国、死者は意識を持つ 考
日本人、太古から中世にかけて死者は意識を持たなかった。時代は下がって12世紀。空也上人の実践した浄土救いは法然に受け継がれる。専修念仏(せんじゅねんぶつ)とは、法然上人(1133~1212年)が開いた浄土宗の教えの中心で、他の修行(雑行)を捨てて、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることに専念し、阿弥陀仏の力で救われ極楽浄土へ往生しようとする実践のことです。この教えは、修行の難しさに関わらず誰もが平等に救われる道を示し、民衆に広く支持され、法然の門流は「専修念仏宗」とも呼ばれました(Wikipedia)。浄土教は「死者は意識を持つ」を教えた。西洋に見られる「中世以降、死者は意識を持つが主流」と波長が合う。 Youtubeリンク https://youtu.be/1wY1JQv37io
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![]() 福音書の1頁クリック拡大 ![]() 耶蘇教の葬儀に 欠かせない死衣Linceul 白の亜麻布 |
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精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 第二章 LA PERCEPTION OU LA CHOSE ET L'ILLUSION 知覚、そしてモノと幻影 その2 dépasser 越えるは否定すると合わせて保持する両の意味を持つ。無とは「このモノ」の無であり、それでも即座を保ち、視認される。それは一種の即座の普遍である。Hyppolite脚注:越えるdépasserはドイツ語 « Aufheben » アウフーヘーベン。(邦訳では弁証法の止揚)(2025年4月30日) Youtube動画リンク https://youtu.be/ejbbkEHu92k 第二章 LA PERCEPTION OU LA CHOSE ET L'ILLUSION 知覚、そしてモノと幻影 その2の下 Hyppoliteは脚注で肯定的組から否定する組、モノである事からモノ自体、への移り替わりと解説し、部族民はAussiのままでは弁証法に向かわない。何やらの仕組み(Unに他者を否定する作用の追加=後述)を持ち込む。その過程は探るに、他者に無関心で肯定のみの場milieuが原初にあった(弁証法での肯定)。それは「モノであること」、しかし無関心だけの特性は存立が不能で、各自が己を特定する運動に入る(塩の白特性が、明確に白と自己定義する)。排他となる(5月5日)。 Youtube動画リンク https://youtu.be/8z0lsQsrl6I 二章 2部 知覚、そしてモノと幻影 その3 特性そのものの性状を追求する。それは同時性で普遍を具有し、その同時性矛盾をして覚自(Pour-soi)の目覚めで否定行動に移る(本投稿の趣旨)最後の文を引用「余ヘーゲルは加えてモノはそれ自体が2の対立する真理で構成されると述ぶる」。2の真理とは「実質essenceと普遍universel」(5月10日)。 Youtube動画リンク https://youtu.be/Q3XRWUe7kTU |
![]() モノと思考 クリック拡大 ![]() 弁証法が止揚を終えると、悟性は知覚 を失い、現象の野は消えモノ世界は実質に立ち帰る |
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| 精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 第二章 LA PERCEPTION OU LA CHOSE ET L'ILLUSION 知覚、そしてモノと幻影 その1 (2025年4月10日)ヘーゲル精神現象学GooBlog再開にあたり;これまでIntroduction導入章、第一章Certitude蓋然を投稿紹介してきた(2024年8月12日からこれまで39回のブログ、またYoutubeにも投稿)。部族民が力説したのはヘーゲル二段ロケット、しかし第二章 Perception知覚を読み進むにつれ、二段ではない三段なのだ!と感を改めるに至った。 |
ヘーゲル弁証法の3段ロケット。左の2本目柱はモノ即座性を悟性が即座に判断する誤りを示す。よってこのロケットは軌道に乗らない。右の3柱が三段それぞれの活動を表す。クリックで拡大 |
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| 1~4のまとめ 精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 本文 第一章 Coscience悟性 第一部 Text頁は有りません (2025年2月25日) Youtube動画リンク https://youtu.be/R6yRwyNTdDk |
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| 精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 本文 第一章 Coscience悟性 第一部 LA CERTITUDE SENSIBLE, OU LE CECI ET MA VISÉE DU CECI(感じる蓋然、あるいはこのモノ、そしてこのモノに向ける私の視界) 下_2(最終回)(2025年2月12日)感じる蓋然の4回目、最終回となります。モノ世界での否定肯定の活動、そこに普遍をみつけるヒトの悟性。ただし、感じる蓋然を自己に取り込まなければ、悟性はこの普遍を知ることはできない。ヘーゲルは異なる用語「感じる悟性」を持ち出します。こちらを「哲学的」悟性とも語ります。この悟性は実質のみ知る、するとその観察では「否定を受けない」肯定、いうなれば瞬時の実質を見つめる悟性となる。その悟性は、一旦は「豊かな」認識を獲得したが、認識した時点でこの実質は風化している。豊かさが逃げ、貧弱な実質を抱えるーと指摘する。
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![]() 本投稿の結語:感じる蓋然はモノ世界弁証法の焼き直し(Pdf資料から1葉)クリック拡大 |
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| 精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 本文 第一章 Coscience悟性 第一部 LA CERTITUDE SENSIBLE, OU LE CECI ET MA VISÉE DU CECI(感じる蓋然、あるいはこのモノ、そしてこのモノに向ける私の視界) 下_1 (2025年2月12日)モノは実質で、それを「見えるままの姿」で捉え、自己内に表象するのは、最も貧弱な真理しか掴めない。モノは実質の即座と、表現である介在に分かれる。即座は「これはこれ」「今は今」でしかない。介在を受け「これは木」「今は夜」とモノとしての表現に至る。その表現は朝になると風化し否定される。悟性は「感じる蓋然」の精神作用をもって介在と否定、そしてこの繰り返しが「普遍」と理解する。 Youtube動画リンク https://youtu.be/mmM2TwRIvCA |
![]() Youtube動画の サムネイル |
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精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 本文 第一章 Coscience悟性 第一部 LA CERTITUDE SENSIBLE, OU LE CECI ET MA VISÉE DU CECI(感じる蓋然、あるいはこのモノ、そしてこのモノに向ける私の視界) 中 (2025年1月28日)導入章に引き続き本文をYoutube紹介しています。 本文第一回(上、1月21日)では「感じる蓋然Certitude Sensible」なる概念を導入している。Certitudeは主体か客体かが分かりにくい語である。本稿で弁証法の原初(始まる前)ではモノに取り憑く客体、すなわちモノの曖昧さを意味し、弁証法が始まるとその蓋然性は主体側、すなわち悟性に憑依しその精神作用する。例証に「今maintenant」と「ここici」と採り上げる。今は夜のことがは一聴、真実と思えてしまう。 Youtubeリンク https://youtu.be/DulOyVtfx6o (Youtubeに移動SD画面) |
![]() 例証に「今maintenant」は朝あげる。その朝はすぐに否定される。クリック拡大 |
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| 精神現象学 La Phenomenologie de l'Esprit Jean Hyppoliteの仏語訳 本文 第一章 Coscience悟性 第一部 LA CERTITUDE SENSIBLE, OU LE CECI ET MA VISÉE DU CECI(感じる蓋然、あるいはこのモノ、そしてこのモノに向ける私の視界) 上 (2025年1月15日)しかしこの蓋然は最も曖昧(抽象的)にして、何にもましての貧しい真実を明らかにしてしまう。モノの身の内をただ単にそんなモノ(ceci)と表しているに過ぎない。そのモノは「存在する、真実はモノとしての存在のみ」と語っているだけとなる。こうした思考作用の悟性は「純粋な個」でしかない。あるいは個は純粋な「その者」かもしれぬ。向かい合う対象にしても純粋な「これ」でしかない(としか覚知していない)。 Youtube動画 https://youtu.be/-1GbOAO7Nwg |
![]() パワーポイント資料 (PDF化)の一の頁 クリックすると PDFに |
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![]() ラカン節炸裂のセミナー |
Hyppoliteがラカン(精神分析)に哲学を講義(25年新春番外投稿) 発言は教訓です;1ヘーゲルは様々に解釈されている。ハイデッガーの解釈もありうる(彼とヘーゲルの思想は真逆ですが) 2各自各様の解釈ながらその骨子は畢竟、絶対知savoir absoluは誰なのか、何なのかーに尽きる 本動画Youtubeリンク https://youtu.be/RaDZlz6n-qE |
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| ヘーゲルの精神現象学、その導入章12頁を2ヶ月掛けて読み、それなりの解釈を試み、Blog、Youtubeに投稿しました。感想は「面白い」に尽きる。今も読み進んでいる(読み倦むが正しい)ので、2025年も紹介を続けます。皆様には良いお年を(12月11日)。 | Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学導入章のまとめ (2024年12月11日)ヘーゲルの精神現象学La Phénoménologie de l’Esprit、その導入章(Introduction)の紹介をGooBlogそしてYoutube に投稿(9月26日から)していました。Youtube最終回(第10回)を12月3日に終えております。今回は最終回の上塗り、これまでの「まとめ」を動画にまとめました。10回の既投稿のままですが、図録スライドを中心にして簡潔を心掛けました。内容は:訳者Jean Hyppoliteの紹介に続いて :
1精神現象とは、ヒトが考える動作を示す。考えるとは脳内の現象活動である 2鍵語4と準鍵語の解説 。3現象は2の様態に分かれる。現象の野と仕組み。
4ヒトが現象活動に入って考えをいくら巡らせても誤り、オソレを犯してしまう。なぜなら現象の野には実体が投影されないから。オソレは10挙げられる。5悟性と知が実体の現象(基準と概念)を、幾度かすり合わせても、故に真理に達成できない 6(Jaxxaに先駆けること220年前)ヘーゲルは2段ロケットを開発した。一段目は悟性と知の内部での弁証法。ここで蓋然Certitudeと決定力Déterminabilitéの用語が持ち込まれる 7更にこれら運動には理性Scienceが内在していたのだ。かくして悟性はモノの実体、真理に(限りなく)近づける。ご批判を待ちます。 Youtubeリンク : https://youtu.be/gKPs3BmGT94 |
![]() 投稿のネタ本はフランス語版の精神現象学、出版1937年、訳はHyppolite |
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![]() Hyppolite胸像 |
J.Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介 最終 (2024年11月25日)副産物として弁証法は現象の野だけで展開されない。知、悟性の両者の内部でも(蓋然と真理の対峙など)弁証法が広がる(二段ロケット)。知、悟性が概念と基準を形成するのは、内部で確固とした体系(弁証法)が練り上げた後に現象の野に開陳する(ヘーゲル弁証法は機械的な否定とする、一部の解釈は、当たらない)。更に「モノには思想が宿る」の記述が見られる。この文はマルクスの歴史弁証法、サルトルの実存主義の萌芽に繋がる(Youtube概要欄の一部) Youtube動画リンク https://youtu.be/87TvL_eJoZc |
![]() Youtubeのサムネイル |
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![]() 2段ロケット弁証法 |
J.Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介5_1 最終の上 弁証法は2段構え、モノに潜む思想を追求する (2024年11月15日) 前回(精神現象学4_2ではサルトル実存主義を予告する「モノに思想(概念)が含まれる」を表現したそれまで「概念は現象の野」に知が投影するとしていた。この差をヘーゲルは「2の表現(モノは概念を含むか、概念は精神作用か=前回4_2)は実は一致する。基本は、これら調査において両の節目moments、その一は概念と対象(知)、別の一つは他者に向く存在と律自の存在(悟性)の、いずれもがここで取り組むとする「知る活動内部」に紛れ込んでいる事情を、理性
(我々)は心しておく。その意味するところは、理性は検査の場に己の基準も、個人思考をも持ち込む余地はない)と諭す。これをして弁証法の2段ロケットと部族民が理解した。更に「この2段仕掛けには」概念はモノ側に付属するーが必須となる。精神現象がモノの概念を理解する仕組みにDéterminabilitéを悟性が保有すると展開してゆく... |
![]() 精神現象学著者ヘーゲルと翻訳 Hyppolite クリック拡大 |
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| 精神現象学(Hyppolite訳、仏語版の内表紙 |
J.Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介4_2 精神現象と弁証法、モノに潜む思想 下 まとめ:人の理性(精神)活動は現象の野、悟性と知はその場で対峙し交信としている。これまでこのようにヘーゲルが説明してきた。本投稿から「現象活動とは知が差し出す己の真実(sa
vérité)を、悟性が見つめているだけに過ぎない」。この仕組みは真理を探れない。これから「知の真実」を語ると前置きして、知の概念と悟性の基準の正反対をヘーゲルは説明する。「概念はモノに付属する。モノは現象の外にある、故に(現象の野に住む)悟性が、(現象の野に見える)対象を通して(現象の外の)モノ概念を掴むのだ」と教える。悟性には、現象外のモノ概念(真実)を覚知できる「一つの何か」を持つと、我ら凡人を励ます」。この思想を発展させると「モノが思想を持つ、精神はそれを経験する」実存主義の魁となります。(2024年11月5日) Youtube動画リンク https://youtu.be/4qlu27dSuHU |
Youtube動画のサムネイル、クリック拡大 |
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![]() 訳のHyppolite 名訳とされる本書の難点は難しすぎる、もともとの原典が難しいのだから仕方ないかと感じ入る |
J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介4 精神現象と弁証法、モノに潜む思想 上 弁証法の段階をmoment(節目と訳す)とします。そこでの精神活動をまとめています。それは概念(知が理解する対象の姿)、と基準(精神が持つ思想)の突き合わせで、整合不整合を(悟性が)判断します。これらを「一連の基準」活動とする。その一連を経験expérienceとして、訳者Hyppoliteは「弁証法そのもの」の脚注を入れています。この活動での理性、認識、知、悟性の役割を説明するのですが、最終文節で「精神がモノ概念を形成、しかしこの反対もあり得る」それを「モノが概念を所有し、精神は対象モノを現象と見つめるだけ」と語ります。概念を思想と言い換え「モノが思想を持ち精神はそれを経験する」と理解すると、実存主義の魁となり(2024年10月30日) Youtube 動画リンク https://youtu.be/zTDRmZRls1M |
![]() 概念を具有するのはモノ、精神は対象(の形状)を浮かべるのみ後の実存主義を予告するヘーゲル、その説明図。クリック拡大 |
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| J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介3 Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介3 ヘーゲルは知を語る。「その目的は固定している、自身を越える必要性を持たない」。知はモノ世界の対象を理解するし、現象の野に持ち込む。その対象を概念化して、現象の影として現象域に投影する作業です。知の仕事とその範囲はこれだけで、それを「固定、自己を越えない」とヘーゲルが教える。しかし対象がモノ世界で具有していた実質、真理は失われる。その後、悟性に言及する。....(10月23日)。
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![]() 悟性がうちからの衝撃を受け、現象世界に入り込んでからの流れ クリック拡大 |
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| J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介2_2 (2024年10月2日)) 反作用に当たる言葉はnégation否定。この否定の様が限定的 « négation déterminée » であるとHyppoliteが指摘する。限定とはどのような否定か。ここで懐疑主義の否定をやり玉に挙げる。それは全面否定で、否定の後には己身の置き場すらない否定だと。Hyppoliteはデカルトも同じ穴のムジナじゃ(ムジナは出してないがそれに近い言質でひっくるめている)。 Youtube動画リンク https://youtu.be/3kxLZLB2rOM |
![]() 現象の働き方 左上図は現象の野の形成 下図は現象が道具として行動する クリック拡大 |
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![]() 本書出版の頃のヘーゲル |
J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介2_1
前回(1_2)でHegelは怖れオソレcrainteを語った。「疑い」についてもヘーゲル特有の意義が認められる。懐疑主義の疑いは« Le scepticisme, qui finit avec l 'abstraction du néant ou avec le vide, ne peut pas aller plus loin » 懐疑主義は無あるいは空虚の抽象化で終わりそれ以上進めない。Hyppoliteはさらにデカルトの疑いと比べ、それはただの疑問にしか過ぎないとも語る。ではヘーゲルの疑いとは。実質的実際(effectivement réel)であると本人が教える。この意味は疑う行為に一種の方向性=これが実際=が帯びるとの意味。疑いの方向性とは弁証法の流れそのものであり、特定の一点、すなわち絶対知の獲得に向かう疑いである。その特異点に向かうにあたっての「不調」の疑いと言えよう。(2024年10月8日) Youtube動画リンク https://youtu.be/6sJEZTUqBbg |
![]() 精神内の現象と弁証法のまとめ図 クリック拡大 |
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| J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介1_2
Hegelは怖れcrainteを語る。動詞craindreの第一義が(envisager) 立ち向かう(Robertなど)となる。よって憂慮などとの感情の表現ではない。困難事態に対処するときの心構えを表している。日本語にも同じ使い分けが見つかる。靖子嬢に振られる怖れは感情だが、大雨後の洪水の「怖れ」は対処するにも無力な心構えを表す。「この怖れは明確に、認識が時に道具(動き)として時に場として(影)の現象表現を採るのを前提にしている。我々自身(理性)と認識との隔たりを予測している」(Hyppoliteの脚注)。 困難な状況とはヘーベルでは絶対を勝ち取る困難さ、彼を受け継いだキルケゴールでは「神」への怖れとなる(2024年10月2日)。 本動画のYoutubeリンク https://youtu.be/dfvH5yAa0Zg |
![]() 精神現象が真理に到達しない10の怖れ クリック拡大 |
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| J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介1_1 (2024年9月30日) 今回は精神特に認識と悟性を分析します。そもそもの認識は自己を律し、他者に惑わされないモノそのもの(la
chose même )の性状であります。思考活動に入ると(考え始める)現象の野を形成します。そこにモノの概念やら悟性の介入が始まり、弁証法が進行する。なぜ弁証法なのか、悟性は検査対象を必ず「否定する」から、なぜなら現象であるから、現象の下での弁証法では真理にたどり着かない。 本動画のYoutube アドレス https://youtu.be/r1XfTUO7ohA |
![]() なぜ否定するのか、作成資料からクリック拡大 |
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![]() 著者ヘーゲル |
J.Hyppolite訳 ヘーゲル精神現象学 La Phénomenologie de l'Espritの紹介0
(2024年8月25日))本書はこれまで幾人かの哲学泰斗に(ドイツ語から)翻訳されています。原典に採り上げたHyppolite訳のフランス語版、書名は « La phénoménologie de l’esprit » (Aubier社、1939年刊)、仏語版の当該作品は翻訳が見当たりません。訳者Hyppoliteの脚注が絶妙でして、部族民(蕃神ハカミ)が意味がつかめず立ち止まる行句に、多くの場合、脚注に行き当たり、解釈に助かりました。ドイツ語からの翻訳本と比べ、Hyppolite解釈を表に出せるだけでも皆様に紹介する労苦も労われるかと勝手に思っています。導入章Introduction12頁を5回に分け投稿予定(2024年9月30日)。 |
![]() 難解作品の仏語訳を見事に成し遂げたJ.Hyppolite(1907~1968年) ドイツ観念哲学を専門。高等師範学校校長、フランス学院教授などを歴任 |
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Drothy Demetracopoulouイスタンブールのギリシャ人家系の生まれ |
L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 (2024年7月10日)レヴィストロース人類学は神話学の調査神話の挿話、登場物などを客体と見ておらず、主体とする。彼の構造主義人類学が先住民の思考、信仰、規則を主体と見ると同列、そうした思考での主体である。神話には人の思想が宿る。語り口に取り憑く族民の思考、これをして構造神話学の原点とする。同じ例を挙げる、親族とは族民思想の具現です。親族と親族外の範囲、婚姻できる親族の範囲、できない親族。婚姻できない親族は系統で、婚姻できる親族と同盟関係を築く。社会基盤をこのようにして形成する。人の智慧が親族の思想です。 |
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| Le rôle du philosophe 哲学者の役割 (Le Magazine Littéraire
1985年12月号より)哲学に申す。その役割とは、以下を伝えたい。(自然)科学から学んだ事柄を哲学者が体系付けしていない。故に、哲学そのものが素材(自然科学などの成果)に向かい合う必要に迫られている(2023年9月13日) |
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![]() 第9章、章題ページ クリック拡大 |
サルトル批判 野生の思考第9章 全2回 (2023年9月30日) 歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判 1 実存主義は個が外部を経験した後に、知(自由)を獲得する。存在を学ばないとヒトは知を獲得できない。サルトルはレーニン毛沢東弁証法にこの過程を生体移植した。個が、絶対の存在のモノ弁証法を経験して、自由を得る。モノ弁証法の宇宙を個が、実存的に経験して 歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判 2 分析理性なるは事象理解に至らない思考とするに急ぐあまり、サルトルは理解対象物と現実をすっかり引き裂いてしまった。この誤謬推理(paralogisme)は歴史についての彼の語り口にもあからさまに聞こえる。 (本稿はレヴィストロース著「野生の思考LaPenseeSauvage」第9章「HistoireetDialectique」の紹介です。野生の思考全体の紹介は |
![]() Cogito監獄の俘囚のはずのサルトルは自宅でくつろぐ。獄守レヴィストロースの監視がおろそかなのか(写真はネットから)。 |
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| (上のサルトル批判歴史と弁証法は野生の思考に掲載 1961年の出版。1955年出版の悲しき熱帯に同様趣旨の文が掲載されている。こちらは簡潔ながら共産主義実存主義などは形而上ではない批判している) 悲しき熱帯61ページ 精神分析共産主義実存主義の批判 61ページに突如「形而上学批判」の文節が出現する。批判対象は20世紀初頭に勃興した「新しい形而上の流れ」精神分析、歴史弁証法、そして実存主義である 動画リンク https://youtu.be/NDcKg9SDF5I Youtube検索窓にコピペ |
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| 悲しき熱帯から始まる著作の最後の最後で自身の思想の種明かしをしたレヴィストロース、「学究は答えを与えない よい質問を投げかけるのだ」に則って考えた、 | 自ら語る構造主義 (神話学第4巻裸の男の最終章から) 構造主義は目的論である Le structuralisme est résolument téléologique、構造主義は認識論であるLe structuralisme propose aux sciences humaines un modèle épistémologiques |
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| デカルトの自由は (2023年4月) «liberté d’indifférence » 無関心の自由と定義されている。無関心の意味は「選択において己に利得があるかないか」への無関心であり、他者強制もはねのけて、過程においても結果にも、後々の悔いを覚えてはならないとする心境(volonté)
と、実行(vertu) |
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| レヴィストロースのピアジェ批判
心理発達はマヤカシ ;そうした仕組みを鑑みると真(authentique)の構造主義(レヴィストロースが主張)とは、それらと別個のものと言える。それらとは、個が心理のうちに持つ形体(œuvre
individuelle)を、それが集合的であるにしても(ユング)、個別でも(ピアジェ)、精神の「構造体モノ」として、誤謬によって「起源genèse」に結びつける精神分析とその一派(ピアジェら)である。 |
Piaget発達心理学 |
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