先住民の思考をモノの見方、魔術、神話そして世界観と広げていきます。



その根底に具体科学があるとする主張です。



別の世界を信じたOjibwa族(カナダ先住民)の少女



参考の図、上写真をクリックしてPDFにはいる。2頁目が本稿との関連


万華鏡と映像
色ガラスの破片が鏡の作用で規則性のある模様に様変わり



ブリコラージュ思想につながる(写真はネットから)
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年7月31日
 
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野生の思考 LaPenseeSauvageを読む8 トーテミズム 分類の論理 上
(人類学)
 (2020年7月31日)
 
   

野生の思考LaPenseeSauvageの紹介を続けています第2章は

Chapitre II La logique des classifications totemiques

トーテム的分類法の論理

序段に神話と寄せ集め技術の比較が置かれる。前の章La science du concret具体科学では魔術と寄せ集めの比較(721日投稿の比較表を参照に)であった。ここに神話を持ってきたのはトーテミズムを導入する布石である。

 

神話と寄せ集めの共通点に万華鏡をanalogie類似として絶妙に引用する。

 

Cette logique opere un peu a la facon du kaleidoscope : instrument qui contient aussi des bribes et des morecaux , au moyen des quels se realizent des arrangements structuaux<ここでの論理展開は少しだけだが万華鏡に喩えられる。この器具は(神話、寄せ集めと)同じにガラクタ破片を用いるがそれらを構造的に(あたかも意志が決めるかに)整頓する。(51頁)

 

万華鏡は皆様ご存じ、手で握れる太さの紙筒。両端は塞がれる。一方の端に採光の色ガラス、もう一方には覗き込みレンズ。覗いて廻してあら不思議、色鮮やかで幾何学的な模様が広がる。絡繰りを知るよしもないが、色とりどりのガラス破片(今はプラスチック)が筒内を浮遊し、その重なりが幾何学模様に反映される仕組みである。

arrangementsなる語の意味を後に考察する。

 

それら一つ一つを取るとクズ破片、それが万華鏡の論理(絡繰り)で統制のある構造に化ける。この点が神話、寄せ集め技術と似通う。両者には絡繰りならぬ、論理があるわけだ。

 

引用文頭の「Cette logiqueここでの論理」は前文の内容をさす。

 

Leur necessite n’est pas simple et univoque ; elle existe pourtant , comme l’invariance , d’ordre semantique et esthetique , qui caracterise le groupe des transformations auxquelles ils se pretent , et dont nous avons vu qu’elles n’etaient pas illimitees.<(同)

 

leur(それら、かれら)はこの文の前の「contraintes不自由、制限」を指す。ガラクタを集めて何やらを形成しようとしても、表現には制限があるとの意味合い。

ilsは同じく前文のleurs paliers d’utilisationを受ける。leurは神話イメージ及び寄せ集められた素材。すなわち神話や寄せ集め技術の表現の場。神話の口承内容や作品となる。

 

すると上引用の訳は;

 

表現においてなにがしの制限が課せられるが、それは単純でも、一言で言い表せる内容でもない。意味論としてかつ美学の見知から、神話では断片の集まり、寄せ集め技術ではガラクタが変容する過程を決めつけている。確かにその規制はある。変容の様は無制限ではないとは知っている。

 

万華鏡の絡繰りが神話では意味論の制約、寄せ集め技術では美学に取り変わった。こうした制限をarrangementなる語に言い換えた。その文節を引用する前にちょいと整理を;

 

contraintes表現における制限でこれは意味論(辻褄の合わない突拍子もない組み合わせは、たとえ神話でも避ける。別の言い方をすればimages(神話イメージ)の組み合わせは、バラバラの集まりとなるが、意味論の仕掛けを通じて、総体としての訴え(message)が潜む。この考え方が次著作の神話4部作に引き継がれる。

寄せ集め技術の作品は時にmythopoetique(神話詩的)表現でおどろおどろしいが(facteur Chevalのお城、前投稿)そこにも美学的配慮が窺える。

 

le groupe des transformations幾つかの表現(ガラクタ素材)が集体となって訴えある1の作品に化ける過程。これがarrangement整え作業、人の思考、選択をへてある作品となる。その文を;

 

sous un autre rapport, ils(=fragmants) doivent en avoir suffisament pour participer utilement a la formation d’un etre d’un nouveau type : cet etre consiste en arragement ou, par le jeu de miroir , des refrets equivalent a des objets , c’est-a-dire ou des signes prennent rang des choses signifiees ; 後略(51)

 

訳;(引用の前文に寄せ集めのガラクタや神話の断片は、それらを個々に見ると意味を持たない(Ils n’ont plus d’etre propre=本来持っていた存在を失している)破片に変わっているとして)

本来とは別の関連の中でそれら破片は(前出discours=対話、元々の製造者がその部分に意味が付せられるように計算して作る)、意味合いを十分所有し新たな応用の中で1の存在として形成されてゆく。新たな存在は整え作業に生まれる。鏡の効果により反射光が作品となる。同じくこの整え作業にては、(神話の形成過程での) 意味論的配慮(des signes)が意味される物(神話の断片)を順に定めて取り上げている。それと同じである。

 

この語がclassification(分類)につながるキーワードです。

 

 

 

神話や寄せ集め建築などで素材を仕分け、整理する作業を「arrangement整え作業」とした。作業する姿勢は「signe意味論」と「esthetique美意識」に分けられる。意味論では人の思考作用が働き、美意識は感覚に動かされる。ここが前回まで、続く頁で分離しているわけでなく、両者の2姿勢を統合した精神作用が、多くの民族誌学者から報告されていると指摘を入れている。

 

Celle-ci les  saisi sous un double aspect , affectif et intellectuel. (52)彼らからの報告で整え作業には2の性格があると知る。感情と知性である。Celle-ciは前文のl’observation ethnograohique民族誌学の観察、les(ses caracteres=整理作業の性格)同じく前文を受ける。

 

続いて;

 

Les etres que la pensee indigene charge de signification sont percus comme offrant avec l’homme une cetaine parente. Les Ojibwa croient en un univers d’etres surnaturels :

先住民らが意味づけをしているそれら存在を、あたかも人との親戚関係があるとみなしている。Ojibwa族(北米先住民)は超自然存在が住む別の宇宙を信じている。

 

signification(意味つけ)とpercuspercevoir感知する、2の語を用いているが、前の文節にあるsigneesthetiqueを受け継いでいる。それらの精神作用が別の世界と超自然存在を想定し、それらを信ずるのだ。引用を続ける;

 

ils resemblent a l’homme en ce qu’ils sont doues d’intelligence et d’emotion. Comme l’homme aussi, ils sont males et femelles , et certains peuvent avoir une famille.(同)

超自然者は人に似ているし知性と感情を持つし、人と同じく男と女に分かれ、家族を持つ。(male男は人に使えるがfemelleは大変な卑語メスで、人の女性にはまず使わない。ここでは超自然な存在なので用いたと思われる)

 

ハワイ先住民が超自然世界を信ずる例を紹介する(Handyなどの民族誌から)。原文の紹介は省くが精霊、神々、人の精神などが人と共存する世界を信仰しているとする。

 

ハワイと北米の先住民には交流はない。それぞれが異なる文化生活を展開していた。共通点は「先住民」の立場と新石器革命に獲得したscience du concret具体科学を信奉している人々であり、かつ西欧の哲学科学が23百年前に獲得した「sciences modernes近代科学」の洗礼を受けていない。

具体科学の基本思想は「モノ」世界の展開である。モノを展開するとなぜ超自然世界を考えつくのか。小筆は稚拙な推論を控え、引用を通しレヴィストロースの考え方を探る。

 

Ojibwa族の古老は語る>Nous savons ce que les animaux font , quels sont les besoins du castor, ou de l’ours , du saumon et des autres creatures , parce que , jadis, les hommes se mariaient avec eux...我々は。ビーバー、熊、鮭、他のあらゆる動物が何を必要とするのか、なぜそうした行動を取るのかを知っている なぜならかつて人は動物と通婚していたから。

 

Ce savoir desinteresse et attentif , affectueux et tendre, acquis et transmis dans un climat conjugal et filial , est ici decrit avec une si nobles simplicite qu’il parait superflu d’evoquer a ce sujet les hypotheses bizzares inspirees a des philosophes par une vue trop theorique de developpement des connaissances humaines.(53)

 

訳;この損得なしの注意深い観察、婚姻生活の雰囲気からでも浮き出たような温かみと優しさがここで高邁な単純さと相まって、とっても奇妙な仮説をひねり出し、きっとそれは誰かしらの哲学者達が人の知識の発展の様を理論として考えついたものである。

 

自分たち白人(入植者)と較べ動物の知識にいかにすぐれるかの理論である。先住民の口述、ここでも、精神性と思考性を引き出している。

 

Les conditions pratiques de cette connaissance concrete , ses moyens et ses methodes, les valeurs affectives qu’ils l’impregnent, tout cela se trouve et peut etre observe tout pres de nous, chez de nos contemporains que leurs gouts et leur matier placent, vis-a-vis des animaux, dans une situation qui est aussi proche que notre civilisation le tolere de celle fut habituelle a tous les peuples chasseurs....()

 

訳;こうした具体知識、それのみならず方法、手法そして愛情を込める事の価値など、これらを体得するに至る条件なるを考えてみると、同じ事が我々のごく近いところで見いだせると知る。その好み、そして選んだ職業によっては動物と向き合う同時代の人々、狩人....(続いてサーカス芸人、庭園管理者などを列挙している)

 

神話と寄せ集め技術の分析で「arrangement整え作業」なる概念を持ちだした。それらの行動は思考と感情に動かされているとした。先住民が動物界を整える作業には「親近感」が溢れるとレヴィストロースは教える。

 

De tels propos , sous la plume d’un homme de science, suffiraient a montrer s’il en etait besoin que le savoir theorique n’est pas incompatible avec le sentiment, que la connaissance peut etre a la fois objective et subjective...(54頁)

 

訳;こうした話題(人と動物の交流話し)を耳にするにつれ、一介の科学者たる者(レヴィストロース自身)の筆は、理論を追求する事と感情は両立していない訳ではない、知識とは客観的でありおそらく同時に主観的であると、したためるだけであろう(54)

 

超自然の信心、そして動物自然への分け隔て無い姿勢。これらはscience du concret具体科学を信ずる民族、部族に共通している。野生の思考の核心、トーテム的分類に近づいているのか。続く


 
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