コペルニクス、デカルト以前の西欧は「モノ」に拘泥し、モノをして宇宙を説明する「具体科学」の大陸であったはず。話しがずれたけれどこの考え方を(その内に)進展させる。

の世界とは別の世界がどこかにあって、両世界はかつて交流していたとの信心は多くの人の心の隅に漂う。非日常と日常をかく、つなげているのだ。するとこれも具体科学の教えなのだ。これにしても新石器革命から信心が始まったのか。
占星術は黄道12宮なる非日常を人の未来という日常に重ねる。具体科学の魔術の端くれである。この図では動物と関連させている。
写真はネットから。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年6月30日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
野生の思考 LaPenseeSauvageを読む9  トーテミズム分類の論理 中 
(人類学)
 (2020年7月31日)
 
   

Dogon族の植物分類法をあげている(54頁)

植物は22家族(famille)に分けられるとしている。それぞれの家族には「家族員」として木、灌木、草と3で構成される。文中にはないが父母、子などと擬せられると推察する。それらそれぞれは身体の部分、とある技術、社会の構成と交流(correspondance)関係をもつ。

 

植物家族には「単独生活する」、「ともに生活する」の2形態に分けられる。単独生活の植物はオスとメスに分かれる。これはイチョウなどにあるメス、オスの木種(果を実らせるか否か)として実際的に分けているのではなく、おおよそ関連がない植物同士を(別居するが)オスとメス(夫と妻)としている。雨期(ないし乾期)はつがいを組み、それぞれが子を持つ。オスの子はその種の子、メスのそれもメスの種の子。

一方、常に対に生活する植物もまた雨期(乾期)に番いして、こちらは常に双子を産む。子の組み分けはA植物がBを生み、BA を子に持つ。

 

この分類法で驚かされるのは関連のない植物をcorrespondance(異種交信)させる奇抜さではなく、このcorrespondaneceの考え方がアメリカ先住民にも見られる事実があるから。Navaho族民族誌でDurkeim,Maussが報告した内容では;

 

>生物は言葉なしと言葉ありに分けられ、言葉なしは動物と植物で、動物は走り、飛び、這いに3分され.....それぞれは自然の構成要素と異種交信correspondaneceを持つ。

 

アフリカDogon族北米のNavaho族は、ともに自然の分類にかけては「独自」の長大で精緻な分類法を持つことで知られている。いずれも根底にcorrespondanceを置いている。分類にはそれほどの巧妙さを持たない民族にしても>Tous les bois sont du saumon>全ての木は鮭である(イヌイット族、Rasmussenの報告から)などこの概念を取りいれている。

すると、西欧の思考では説明が難しいcorrespondanceなるは、世界多くの先住民が取りいれていると言えるのか。

 

さらに幾つか部族の分類法を挙げたのちレヴィストロースは

Les classifications indigenes ne sont pas seulement methodiques et fondes sur un savoir theorique solidement charpente. Il arrive aussi qu’elles soient comparables , d’un point de vue formel , a celle que la zoologie et la botanique continuent d’utiliser.(60)

訳;先住民の分類法は方法論的であるのみならず、入念にして強固な一種の理論的知識の上に成り立ち、ある種の公式的見方をすれば、動物学植物学が今も用いる分類法にも通じるところがある。

 

一読してDogon,Navahoの分類法は西欧の動植物学にも比肩するなどと持ち上げているかに思えるが、ここはしっかり読まなければならない。

Les classi...les定冠詞複数を用いている。この意味は先住民の分類の思考方法はアフリカであろうとアメリカ、アジアでも共通項があるとの主張である。その共通項はsur un savoir theoriqueである。un savoirとは「一種の」知識である。理論的であるところは西欧と同等ながら、DogonにしてもNavahoでも「とある一種の」知識となるし、入念にcharpenterされている点には共通性がある。

この動詞charpenterは材木を切る、削るが原義である。2義としてconstruire(構築する)の意味を持つ。Construireする素材はその前段階で異種交信の手段を経てarrangement(整え)されている。しかし材料、素材の種類にはそもそもの限定があるので、ブリコラージュでみた奇怪な建造物(facteurCheval)に似通うモノ(分類法)が構築されているとは推測できる。

un point de vue formelにしては不定冠詞とformel公式のを組み合わせて「そんな見方もあるかも知れない」程度の一歩退いた文の調子だ。語の用法は正しいけれど、表現にはなにやらの異質が醸し出されている(レヴィストロースの文はこう読むのが正しいし、これは読み過ぎではない)。

尊師レヴィストロースは不定冠詞を多く用いて知識、思考を「一種の」「とある」と形容している。

 

Il n’est donc pas exessif de dire , comme le fait l’auteur de ces observations , que la distribution des plantes et des animaux , ainsi que des nouritures et matieres premieres qui en derivent, offre une cetaine ressembrance avec une classification linneenne simple.

(62頁、ThompsonNamings in Wik tribesについての論評)

 

訳;これら事実については報告者(Thompson)もそうと語るのだが、彼ら(Namings族)の植物、動物、食物とその素材に関しての分類法は単純リンネ式分類法と似通う点が無いとは言えない、こう言っても言い過ぎにはならない。

 

不定冠詞の修辞をこの文でも発揮している。une certaine...は「何となく似ているかも」が訳。une classification linnne...は「一種の単純リンネ式」。リンネに「単純分類」なるバージョンがあったとは知らなかったが、この言い回しではDogon等と分類学の近代的始祖リンネと似通いは認められるものの、隔たりがあると判断せざるを得ない。

 

2の引用を通してのレヴィストロースの伝えかけは明瞭である。

 

1      近代分類法(リンネ)と先住民のそれは異なる。似通いう部分は思考手順であり、それは理論をたてて演繹で、時には観察を通しての帰納で宇宙を分類し説明する。

2      両者を分ける要素は先住民の「単純リンネ式分類」が採用しているcorrespondance(異種交信)とarrangement(整え作業)である。すなわち手にできる範囲で物事を整理し紐つけする姿勢が明白。

 

3      correspondance(異種交信)とarrangement(整え作業)はscience du concret具体科学が駆使する「モノへの拘泥」と「本質重視」の思考に立脚していると思える(ここは小筆の解釈)。

 

思考の進め方は先住民も文明人と変わらない。考えの進め方が全人類で共通とする所から人類学が始まる。1は公理である。

 

2については、先にarrangementを寄せ集め技術の鍵語として説明した。限りある材料、道具で建築する。建築を土木、工芸作品と言い換える事も可能である。神話の創造過程にも寄せ集めと整え作業が窺える。先住民の技術、哲学(魔術)、創造(神話)を通して、表現の方法に統一性が認められるし、さらに世界観(分類法)に置いても、西欧人には考えがつかないcorrespondanceなる表現の一貫性がある。

思考の進め方が同じ、しかしそれを表現する手法で彼我に異なりが生じる。

上記2,3について推察を深めよう。

 

Correspondace(異種交信)の実例を本書「野生の思考」から取りだしてみよう。

 

1      Chaque animal ou plante est en correspondance avec un element naturel.

動物植物は自然の要素と交流する。例として鶴と空、赤い鳥と太陽、鷲と山、ハイタカと岩山などNavaho族(56頁)

2      木々と鮭、イヌイット 前出。

3      植物家族=必ずしも似通いのない植物が番いを持ち次世代を再生産する、Dogon族、前出。

4      動物が何をしたい、何が欲しいのか全て分かる、なぜなら人と動物はかつて親族関係を持っていた。ハワイ先住民、52頁。

 

5      どんな植物も人間の誰も知らない神聖な用途を持っている、大事に扱わなければならない。白人が野の花を採取する習慣を批判するOmaha族。59頁。

6      独自の鷲狩りの手法、穴を掘り人が底に潜む。上の筵に餌の肉片を置き、取りに来た鷲の足を掴む。超自然の動物からこれを習った。技術とその由来に超自然を持ち込んでいる。北米Hidasta族、67頁。

この猟技法の特異性についてレヴィストロースは>le chasseur et le gibier y sont conjoins dans l’espace intermediare , tandis que la chasse aux aigles les disjoint en leur assignant des emplacements opposes :<と解説する。その意味は「狩人(弓)と獲物の間には、本来、空という介在物がある。よって狩りは宇宙論的に許可されているが、「穴狩り」では狩人と鷲を隔てる宇宙はない。手で直接、鷲を掴む。そのうえ人が穴に隠れることはこの狩り以外にはない、穴に落ちるのは狩られる動物である。狩人が穴に落ちた動物に化けることで、この狩りは宇宙的に許される。このようにHidasta族の狩りの起源とを解釈している。

 

7      猟の成果と狩人妻の月経との関係。多くの先住民では貧果に結びつけるがHidasta族は好猟をもたらすと信じられる。その理由は上記の特殊性にあるかも知れない。68頁。

 

8      中世の西欧、星占いでは7の植物を惑星に結びつけ、12の植物に黄道12宮との関連を与え36の植物を占いに紐つけしている。人の将来と宇宙には繋がりがあり、それを予告する植物。

 

これら「異種交信」について著者は;

Tout cela, que nous attribuons volontiers a une philosophie naturelle longuement elaboree par des specialistes , eux-memes heritiers d’une tradition millenaire, se trouve tres exactement dans les societes exotiques .<(59)

訳;これら全て(異種交信)については、幾世代に渡り専門家が取り組み、彼らにしても千年もの先人の知識を受け継いで、入念に練り上げられた自然哲学であると私達は認めるべきである。西洋文明以外のあらゆる社会にその哲学は、明確に見いだされる。

 

先住民の科学、哲学を一つの範疇とするレヴィストロースの考えがここにも認められる

 

ここにある幾千年の歴史を誇る「自然哲学」と上1~8を結びつけたい;

 

異種交信の背景説明とは;

 

1      形体の似通い。木の肌と鮭の肉身の色との共通性。赤い木肌を紅鮭、白は北極イワナなどと見比べたのかも知れない。植物家族では似通うところは多くはない植物を家族構成とした。これは動物が群れ(あるいは孤立)で生活するという形体を植物に応用したかと思われる。

2      動物と生活圏の結びつき。鷲と岩山、鶴と空など。これもモノとモノの結びつきを頭に再製している。

3      過去、出自からの類推。人はかつて動物と通婚していた。花は人の知らない神聖な役割がある。

4      非日常と日常の結びつき。穴に潜み鷲を狩る。また猟果を非日常の月経と結びつける。8の星占いは中世ヨーロッパなので「先住民」とは言い難いが「黄道12宮」なる日常からほど遠いモノを設定し人の未来、日常と結びつかせる。3,4は日常のモノを非日常と結びあわせる作業で、非日常なるモノが存在するとの考えに立脚してい」る。魔術では超自然のモノが自然のモノにのり移る考え方を示したが、同根である。

 

8の異種交信の例を4に分類した。それらを統一する考え方は「モノとモノとの」繋がりです。これは先住民の分類作業です。基盤に具体科学の「モノ」を重視する思考が大きく影響している。

 

ブリコラージュの投稿でパワーポイント図(JPEG化した図)を添付したが、その中で

「先住民のモノ思考とは限られた属性をかき集め、それらをして「本質」とするところにある」とした。本質と属性の区別を付けずに、ありきたりの知識をかき集め、それをそのモノ自体、本質としてしまう。近代科学の考え方は属性の追求であります。その究極に(相対性理論に王者の地位を譲ったが)ニュートンの万有引力、ダーウィン進化論、クリックらのDNAが位置する。

 

限られた範囲での知見を元に木の本質を木肌の色とし、それを鮭の本質である肉の身と先住民は比べた。自分たちが入植者よりもより動物を良く知るという事実をかつての婚姻関係に結びつけた。1~8全ては属性を本質と見なし、形態によって「直感的に」つながるモノとモノとの関連を科学としてまとめた。続く

 


 
    ページトップに戻る