DNA発見以前の植物学は形体分類、morphologie形態学が基本。この点では具体科学の植物分類法と似通うが、全くの別物である。なぜならcorrespondenace異形交流なる



トーテム分類法を否定しているから。写真は日本植物図鑑(牧野富太郎博士)の挿絵、葉の形状を35通りに分類している。

写真クリックで大サイズ写真。
>Le paradoxe neolithique lui (a la
science moderne) conviendrait<

新石器(革命)の逆説こそ近代科学の名にふさわしい(本書12頁)から出発した。具体科学の起源を新石器革命として、近代科学は具体科学を否定して曙を見つけた。
否定の中身とは「属性の重視」「本質の転移などあり得ない」....です。これらをPDF3葉につなげました。

皆様からのご批判を切に希望いたします。


部族民通信へのご連絡は

tribesman@tribesman.net

にお願いします。@は全角です、半角にお直しのうえmail宛先に。
追記;「神話4部作」を先に読み、「野生の思考」に取りかかり、その間に「親族の基本構造」を読み(かじり)すると、神話4部で先住民の宇宙観と精神性を説き、野生の思考にては野蛮
(saauvage)とされていた先住民の理性を、西欧のそれとの関連で語り、基本構造で人間社会(
humanite)のあるべき規範を説いていたと知った。
これらをまとめてレヴィストロースの思想を全容として理解したい
、なんとか文章にしたいと思っている。時間がかかりそうだ。9月半ばには第一報が発せられればと願う。(蕃神 2020年8月15日)


新大陸中米先住民は(近代科学では)無縁の植物を「オスメス」に分けそれらが交合して子を産むと信じている。オスメスにカギ括弧を入れたのはメスもオスも子を産むから。



この奇妙な組み合わせは具体思考の派生「トーテム的分類論」の鍵語、crrespondance異種交流が理論根拠になっている。

上2葉の挿絵写真は上ヨモギ類でメス、下はその連れ合いセージ類のオス。
本書から。
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年8月15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
       部族民通信  ホームページに  
サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
野生の思考 LaPenseeSauvageを読む10(最終回)
トーテミズム分類の論理 下
(人類学)
 (2020年8月15日)
 
   

星占い占星術は中世に発祥した(小筆には不明、近世かも知れないし古代もあり得る)。

黄道12宮なる考えはシュメール起源とする記事をWikiで読んだが、彼らも占いに用いていたのか、彼らは新石器革命の申し子ともされる、すると具体科学の信奉者、あるいは創始民族かも知れない。天文観測を占星術に用いた、おおいにあり得る。

 

コペルニクス、ニュートンらの天体解析。デカルト、カントを経て形作られた本質と属性を分離する哲学。これらが知識人に新しき科学=sciences modernes=の思考を植えつける前の科学、哲学は先住民とされる人々の思考と変わるところが無かったとは言えるのか。

正しく言えばデカルト以前に西欧に哲学は無かった。コペルニクス以前に天文学は無かった。中世までの「哲学」とは神学であり天文学とは暦を作成する天文観察であった。神、実は代理人のローマ教会と法王が全てを決めているので、それ以外の考え、思考を公にしたら「破門」される。

コペルニクスの著書は死後に刊行された。デカルトはより自由なプロテスタント国家のスエーデンに逗留していた。

(天球の回転の出版は1543年彼の歿年でもある。死に際に製本された著作を抱いたなどの逸話があるが、真実かは不明。生前に出版を決意したが刊行は死後が正しいようだ、Wikiから)

この論をすすめると;

コペルニクスが星、太陽の動き(見えるモノ)をして天空が地球周囲を回転するは誤りだ(正しいモノが見えていない宇宙がそこにある)。そしてはデカルトが蜜蝋を手にしつつ、目先手先の感覚で物質を探るのは不可能だ決めつけた。これら以前の西欧は「目に見えるモノが宇宙を分断している」と思考していた。ならば西欧といえど中世までは具体科学の大陸であったはず。


このあたりの説明にパワーポイント3葉を作成しました。パワーポイントをJPEG形式に変換してもサイト画面にアップ出来ます。

その3葉を一挙掲載。

 

 

野生思考と近代思考 1について;


クリックより鮮明なPDFに飛ぶ

左のコラム;

両者の差を語彙の豊かさ、貧しさから判定していた時期があった(らしい。レヴィブリュール20世紀初頭の民族学者、らの時代だったか)。とくに抽象語の多さ少なさで族民の精神発達の度合いを決めていた。頂点に立つのが西欧近代思想とのオチが用意される

 

抽象語とは様々な個体を統合する語で、カタバミ、ナズナなどの種々を「草」する思考です。草と木を統合すると「植物」となりその上位に「生物」が位置する。統合するとはこれら似かようモノを取りまとめる思考力が必要になるわけで、上位、さらに上位の統合を試みるとは、そうした思考の成熟がなければ不可とする考え。

 

未開人は個々の草に名称を与えている。その数は西欧の一般人よりも多いかも知れない。しかし「草」なる抽象語を持たない「植物」の語彙もない(小筆には民族誌に不明だから検証できない)。こうした事象は「関心の持ち方」の差であると「百科全書」の一節を引用し、思考能力の差を否定している。

 

この主張、先住民と文明人とに「考えを進める思考力に差はない」、これが本書「野生の思考」の底流思想として流れている。

 

右のコラム;

言語と思考を説明している。

自然は断絶など見せずに連続している。それを人は概念を持ち込んで分断する。概念は言葉に表れる。イヌといえばイヌでしかないが、実はこのイヌ世界は人が頭に描いた概念の世界である。ソシュールの意味論の構造性を用い、かつ思考的に大いに発展させて自然、概念、言葉、実態を(本書のそこかしこで)言い表している。その辺りに解説を入れた。

 

1枚目の伝えかけとは;

 

1      概念、あるいは思考、思想でも良いが、それは頭に宿り言葉として表現される。その仕組みには先住民と文明人には優位劣位の差別はない。

2      先住民の語彙に抽象語が少ない(事実かどうかは不明)理由は抽象化する必要はないし、使う場面もないから。そんな語を用いると不便になる場合が頻繁に出てくる。

 

3      Nambikwara(ブラジルマトグロッソに居住)は毒草の利用に長け、当然個別の語彙も豊富だ。故に「毒草」なる抽象語を持たない。全ての毒草に固有の具体名称が当てられている。父親は「そこに生える「毒草」を採ってくれ」と命じたら、息子は目当てとは別の毒草を持ってくるかも知れない。必ず「生え丈も盛りで吠え猿なんかを鏃一塗りでマイラせる紅トリカブト=Nambikwara語で言ってもチンプンカンプンにしか聞こえないが=を採れ」と命ずる。

 

余談ながら;

 

本書の最終章「歴史と弁証法」でレヴィストロースはサルトルの「弁証法的理性批判」への批判を展開した。サルトルは1950~60年代に共産主義に傾き、その歴史観である「唯物弁証法」による歴史解釈を「実存主義」独特の言葉遣いで開陳した。この著で「人の歴史の究極は共産主義経済にあり、人間社会はその途上」であるとした。ここまではよろしかろうが「西欧社会が共産主義に向かう未来は確実で、なぜならこの社会は、未だ発展していない「未開社会」とは異なり、共産化に接近しているから」と述べた。

これにレヴィストロースが(文の調子からしてまさに)噛みついた訳です。

 

第一章の冒頭に百科全書でのDidrotの言を挿んで、最終章で展開した。この著作で当初からサルトル批判を念頭に置いていたのだ。

 

2葉について;

 
クリックより鮮明なPDFに飛ぶ

図表に野生の思考PenseeSauvageなる語を用いるが本書中にはその語は出てこない。sauvageに替わってconcret具体あるいは具体的を用いる。具体思考は近代思考PenseesModernes(複数)に対峙する。実はこの近代思考についての記述は少ないので、小筆は勝手に科学でいえばコペルニクス、哲学ではデカルト以降とした(前述)。

 

具体思考とは何か。

 

1      モノを通した宇宙観。宇宙はモノで出来ている。

2      モノは形を持つ。形(forme=全体の姿、morphologie=部分の形状)による植物の分類。

3      形状(形以外にも色、生息域、感情、思考などもモノの一部)は本質である。というか本質と属性の区別を持たない(部族民通信の解釈)

4      似通う本質のモノ同士の移動、交流など(魔術magieに通じる)

 

これに対する近代思考は

1      モノは属性を持つ。

2      属性が似通っても本質が同一に結びつかない。この原理を最初に発見したのはコペルニクスです。天動説は天空の動きを見てのまま、天空が動くと説明した。ここに形状の似通いは本質の同一と決めつける具体科学の考え方が表れている。中世までは西欧もモノを基盤とした具体思考の大陸でした。

 

野生の思考と近代思考3の写真をご参照ください。

 クリックより鮮明なPDFに飛ぶ

起源について図では野生は新石器革命時期、近代をコペルニクス以降とした。

C’est au neolithique que se confirme la meitrise des grands arts de la civilisation : poetrie , tissage, agriculture...文明のすばらしい技術が開花したのは新石器時期である。土器、織り、農耕など... 27頁)とあるから小筆が類推したのである。

 

モノ指向の具体思考はそれらのモノが発明された時期に始まった。実に12千年の歴史があったわけです。

この文の直前にparadoxe neolithique 置かれる新石器の逆説なる語に目が止まった。これについてなにやらかの説が定着しているかとWikiなどで調べたが出てこない。レヴィストロースの造語のようだ。

 

le nom de paradoxe neolithique lui(science moderneのこと) conviendrait parfaitement. 新石器の逆説なる名称こそ近代科学にふさわしい(26頁)とある。解釈を試みると「12千年前に思考、科学、技術を生み出したがその後発展しなかった。近代科学の発生は幾百年前でしかないが、新石器(具体科学の)逆説である」。

 

逆説の意味合い, 全てが反対を受けとめてこの図をまとめた。

 

思想の欄;

具体思想はモノに執着する。モノとは外貌である。形態、色...(前回説明)。その形体が本質であるとする考え方です。というか本質と属性を分離させない思考です。本質ならば属性を引きずらず、自由に行動できる。本質の転移(transformation)、交流(correpondance)などの芸当が可能になります。

 

近代思考の基礎は属性の追求です。その源はデカルトにあり、カントは人の本質とその最大の属性「思考」を分離した。人本性とは別個の属性なる「思考」が宇宙の属性を考える自由を得た。小筆部族民は、本書を読みつつ、このように考えるに至りました。

地動説、万有引力、DNA、それと進化論ですが、これらは究極の属性を知ったという結果であります。

 

世界観;

枠内に書かれる字義の通りです。ここではトーテム的分類の鍵であるcorrespondance(異種交信)について説明する。近代科学的には同一ではあり得ないモノ同士に転移、交信があるとする考え方がこの意義です。前々回に説明したので一例を;木肌と鮭の肉身の色を見比べ、同じなので交流があるとするイヌイットの分類法。

 

モノへの執着と、属性を本質とする野生の思考が現れている。

 

哲学;

モノそのものを本質として、異形に移りのる。これが魔術の基本です、その理論は具体科学に端を発するとはこれまで説明してきた。一例、道真は死して恨みというモノに変わった。恨みが気象現象に乗りうつって、落雷を落とした。

近代哲学においては道真なるヒトは身体、頭脳、行動などの属性で規定される。それらが停止したら道真の本質も無に帰すと考える。

 

科学技術;

ここで寄せ集めブリコラージュが出てきます。

寄せ集める材料、工具はモノなので替えようがない。寸法、素材を削ったり叩いたりして規格を統一する考えをもてない。本質を寄せ集め別の本質に異形転移する、これがブリコラージュの原点です。

 

野生の思考の了

 

 
    ページトップに戻る