「読み・書き・伝える...」シリーズは;
下に紹介する書「絢爛たる悲惨」から
大いに示唆をえた。
これを手にして頁を開いて、投稿の
表題となる徳永氏畢竟の名句
「読む楽し...」に接した。そしてこの駄文をしたためた次第です。
教官を長く勤めた徳永氏は直接的に「教えるむなしさ」と説きました。小筆は教える立場にはない、ブログとホームサイトからサイバー空間に自説を発信している様を
「伝える...」と改編した次第です。

GooBlogに掲載したところ、好意的反響が多く、もっと(このテーマを貫いて欲しいの声も受けた。本稿を皮切りにして「書く苦しさ」を創造活動の全般に焦点を当てた「...絶対解は目の前に1~3」を加えました。

徳永恂著、読みみ応えあるも、蕃神には難しかった
 部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2020年1月15日
 
ボロロ族酋長 
悲しき熱帯より
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サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
   読む楽しさ、書く苦しさ 伝えるむなしさ (読み物) 2020年1月15日投稿  
 
読み書き伝え」シリーズへのリンク
「...伝えるむなしさ」 続いて創造活動の苦しさを論じた
..絶対解は.目の前に 1」    「2」     「3」 を追加した。にクリックで飛ぶ

「伝えるむなしさ」と「絶対解...1~3」を連載物とする理由については右コラムに。 

令和2年、正月7日は松の内。
昨年31日から引き続き天気は快晴、夜と朝は冷えるが日中は暖かい。正月らしさに恵まれた天候ならば、肩のこらない話題を幾行か、

>私の心に浮かんだのは読む楽しさ、書く苦しさ

1日夜にその書を開けて楽しみながら、(筆者には申し訳ないが)摘み流した後書きに当たったこの句。その書は「絢爛たる悲惨」徳永恂著、作品社、出版2015年。

徳永氏の経歴を後付けでたどると大学卒業の後、大学院には通わず幾つかの大学で助手職を得て教鞭をとった(特に秀でた秀才生の学卒後の進み方の典型)。定年を迎え(20世紀も終わろうとする年に70の歳を迎えたと前書きがあった)50年の教壇生活を振り返る心境をこの後書きに吐露する。

それが上記、>苦しさ...<に続く言葉は;

教えるむなしさ

引きつけられた。

年の初めは元旦の、夜更けに出会ったこの名言、真冬の星ならオリオンか、夜霧と一緒に降りてきた。夜なれど空は快晴、星くずのこぼれをお年玉と噛みしめながら、己体験に照らしあわせ、名句の味わいを体験せむとした。

読むは楽しみ、

これには思い出の数々がある。きっと皆様のご愛読書、座右の一冊とも重なるはずです。しかるに個々の小説、特定の論説は取り上げまい。その楽しみとは何か、これを考えた。

読むとは発見であるし、時に発明かも知れない。発明の語感に違和を感じるとすれば、「推理」を受け入れてくれるだろうか。著者の主張、見解が文中にあちらこちらと散りばめられているとして、読みながら考えの発展に「推理」をすすめる。その先さらに文言外、行外に、分節のまとまりが説くは「こうした事であるはず」。
時に推理を越して「発明」してしまう。

これが楽しみだ。

書くが苦しさ。ブログ子の端くれ、小筆は毎朝毎夕、感じている。

他人(ヒト)もすなる、なら我も始めむとキーボードに向かった幾年月がまとめる苦しみ。パソコン打つを「書く」とするは本来動作と異なるのだが、まあ許してくれ。苦しみはいずれにもつきまとうのだ。

当初、ブログ始めの幾月かはいささかにも苦しくはなかった、しかし、苦しみを体感しないとは「書く」への妥協でしかなかった。「創る」への取り組みが安易なる姿勢であったからで。そうと気付いたら苦しくなった。かくなる小筆の間抜け加減がもろに出ているのだが、茹でカエルよりは一寸マシと己を励ます。

妥協とは;

書くとは心を頭に言い換える行為とする人も多い。思いに浮かぶなにがしかを頭を通して文言、行と句に言い換える作業とする。私もそう信じていた。書く前に何をキーボードに託すのかを整理して、こつこつと粛々と、パチパチとキィを叩いて出来上がりだと思っていた。

これが大間違い。

ある主題を書くとする。出来上がるはず紙面、あるいはPCスクリーン面にはその絶対「解」がすでに存在している。

埋まっているはずの絶対解、完成文章など凡な小筆には見えないから、仕方なく字をパチパチ綴る。しかし「解」には絶対に達しないから頭をひねる。ひねっても、ひねっても解に、完成に至らない。ありきたりの語彙、平凡な語用、稚拙な言い回しの重ね合わせでは「絶対解」にたどり着かない。

心を頭に述べさせるのではない、そこに置くべき創造物を完成させるのだ。
しかし私は書きなおしと書き足し、削除、そして繰り返し、こんな作業しかやり通せない。そのうちに何となく外貌が見えているのだが、子細まではつかめない、筆耕しながら探り当てようとして、苦しみながら、見果てぬ「解」を探し求めている、ただそれだけだ。

このように徳永氏の苦しみを理解した。

教えるむなしさ、

教師が100教えて生徒が200を覚える逆転は「出藍の誉れ」。生徒は褒め称えられる。教師は何を感じるか。教師冥利に尽きるか、「してやられた~」と生徒に嫉妬するか。50しか理解しなければ頑張れよと励まして、なんとか70~80に達するまで面倒みるか。それまでは「歯がゆい」となるか。

では100を教えて10しか返らってこない。ならば何を教師は思うのか。「じれったい」か、5だったらそれすら越す空虚感が返ってくる。腹立たしく「クッソたれ~」で投げ出すか。
たとえ2にしても1でも教えた成果は残る。反応が実数である限りむなしさは感じない。

しかし;

100を教えて、その水準が高すぎた。敷居を50に低めてその50を丁寧に教えても、反応は戻ってこない。教えた労苦のわずかな反応が虚数、ゼロかマイナスにむなしさが滲むのか。
 

小筆、教えた経験がない。

その2年をあえて「教えた」とするならば、さる教育機関で下働きをした。
仕事は教材の配布説明、調整(昨今は黒板に書くなどでは済まないから機器を揃える)、偉い方(正しく教える人)の授業に入る前の「おさらい」。こうした初歩のお手伝い的仕事から始めて教壇に立つ順位、 給与袋の薄さ厚さが決める高みの位置に登る算段を覚える。これらの月日を経てやっと、偉くなるのかも知れないが、そうした社会の縦横の仕掛けをやりくりする才覚が、私には賦与されていないと気付いて、逃げ出した。以来、多摩は日野市の借家過ごし

♪月曇る無職の里のわび住まい♪

こんな話はどうでもよい、「むなしさ」を自己の体験としなければ文が納まらない。

伝えるむなしさ...を常に感じている。

部族民ホームサイトは人類学、哲学、レヴィストロースの作品紹介である。

世の中は今、ITAI、省資源、平均所得、総理とかトヨタのボーナス額などが話題に取り上げられている。全てが社会、生活の日常の実際に関連している。哲学は形而上を対象にする、人類学だって形而上だ(異論は多々あるだろうが、形而下に徹した実学は必ず行き詰まる。今の人類学が例だ)。

実社会の実態と関連は「限りなく透明に近い」ほどブルーに薄い。世の人々の誰もが、この種の話題に関心を持たないのだ。

個人生活において、ホームサイトで取り上げた主題を時折、話題にしたりもするが、すると多くが身を退ける。たまさか会う知人、友人にこんな話題を切り出したら変人扱いされる。

伝えられない、伝えたら反応はゼロ、いいや、マイナス。むなしさはゼロから始まる。


本文の主題>読む楽しさ、書く...教える...<は定年退職講演の壇上で徳永氏がふと思いついた言い回しであった。聴衆には弟子筋、OB、学生で400席の会場が満員であったと聞く。「教えるむなしさ」に言及した際の、お弟子さん達の反応は如何に。

本書「華麗なる悲惨」を開き後書きでご確認ください。



 
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