反作用に当1801年では弁証法の用語がまとまっていなかった。作用をexamen試験、反作用は文中のnégation、統合をexpérienceとしていた。

 部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
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Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介2_2 

 
   

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介2_2 

(文中のノンブル、日付はブログ投稿時のまま)

今回のみYoutube概要欄の記事を前文にします

(20241013) ヘーゲル弁証法は作用反作用、統合の仕掛けで、これを繰り返し進展する。1801年、ヘーゲル最初期(おそらく)の本書では弁証法の言葉は出現しない。しかしその概念が弁証法に酷似するexpérience経験なる語が重要な役割を占める。訳者のHyppoliteは経験を弁証法と捉えて良しとしている。では源初ヘーゲル弁証法、経験弁証法(Dialectique d’expérience)とは。

反作用に当たる言葉はnégation否定。この否定の様が限定的 « négation déterminée » であるとHyppoliteが指摘する。限定とはどのような否定か。ここで懐疑主義の否定をやり玉に挙げる。それは全面否定で、否定の後には己身の置き場すらない否定だと。Hyppoliteはデカルトも同じ穴のムジナじゃ(ムジナは出してないがそれに近い言質でひっくるめている)。

一方、ヘーゲル弁証法では部分否定をもっぱらとする。否定しても主体(悟性)は客体(否定された概念)とのつながりを残す。だから弁証法の次段階(moment節目)を形成できる。それ故に経験弁証法は「方向性完結性を具有するのだ」すなわち絶対知を捉えるに至るのじゃ。ヘーゲルの(今様の言葉)ドヤ顔が目に浮かぶ。

経験弁証法が方向性完結性を持つとは、そこ弁証過程には理性が支配していると言える。悟性も知も現象の野で影になってしまっているはずなのに、理性はどこから来るのか。ここでチョー天才のヘーゲル先生が持ち出したのは « conscience naturelle » 自然悟性。理性も悟性も知だって、現象の野に入ったら実在(en-soi , pour-soi)を失い現象、phénoménal、に果てる。しかし悟性に限って « conscience naturelle » 自然の悟性、現象の野に入る前の悟性に立ち戻り、否定を限定に、方向性を絶対知に向かわせるのであると。この理性に制御された弁証法の道のりは « effectivement réel » 実効的な実際だともヘーゲル先生は教えてくれます。

以下本文(10月13日)

3 非実在、知と悟性、弁証法の創生

 « Le système complet des formes de la conscience non réelle résultera de la nécessité du processus et de la connexion même de ces formes. Pour rendre cela concevable, on peut remarquer en général, à titre préliminaire, que la présentation de la conscience non-vraie dans sa non-vérité n'est pas un mouvement seulement négatif, comme elle est selon la manière de voir unilatérale de la conscience naturelle » (同)

非実際である悟性の形状が変遷しながら完結する体系は、これら形状が相互に関連を持ちつつ連動する必要性に起因する。これを理解するためには前もって、全体として、非真理の環境のもと、非実在の悟性の表現は単に否定反応を採るのみならず、あたかも自然本来の悟性として一方向性に向かう動きを現している。

部族民:「 形を変える」は(弁証法の節目毎に悟性は基準を変える)前頁の注釈で既述。「完結体系」(système complet)とは前文節で、懐疑主義Scepticisme(あるいはデカルト的疑い)は方向性を持たない、ヘーゲル弁証法では疑い(否定)が方向性を持つから、真理に到達する完結性を残す。その完結性とは方向性あるいは意思である、それはどこから発するのか。 « la conscience naturelle » の自然naturelleに注目したい。悟性に非実際non réelle. non-vraieの形容を前文で採っている。それは現象であるから。しかしその後に「あたかも自然のごとく」が続く。この自然とは現象に入る前の悟性で、精神の中で実際であった。考えるとは現象の野に入り、基準と概念を見比べるが、この現象の悟性は非実在、しかしそこには悟性が生まれ持った目的性が認められる、非実在であるが « effectivement réel » 実効的に実際(前文)の意味合いが効いてくる。この一文はヘーゲル弁証法の仕組みの記述です。

 « Le scepticisme, qui finit avec l 'abstraction du néant ou avec le vide, ne peut pas aller plus loin, mais il doit attendre jusqu’à ce que quelque chose de nouveau se présente à lui pour le

jeter dans le même abîme vide. Si, au contraire, le résultat est appréhendé, comme il est en vérité, c 'est-à-dire comme négation déterminée, alors immédiatement une nouvelle forme naît, et dans la négation est effectuée la transition par laquelle a lieu le processus spontané se réalisant à travers la série complète des figures de la conscience* » 71頁)

懐疑主義と比較しよう。それは無ないし空虚の抽象観念で終結し、それを超える進展はない。新たな某かが出現し、己を再び虚無に放り投げてくれと待つのみの懐疑主義に未来は残されない。その動きと真逆を考えてみよう、(前段階の)結果は(後段階に)、あたかも真理であるかに受け入れられる。その意味合いとは限定否定négation déterminéeで、何かがすぐさま新しく生まれる。「限定否定」が節目momentの更新を生み、自発的取り決めが、悟性の姿の流れを完結に導く。そしてこの否定の中に進展が活性化する。その進展とは、自発行動であり悟性の形状移転の完結目指すところである。

Hyppolite *Hegel insiste particulièrement sur ce caractère de la négation qui est toujours négation déterminée et qui par conséquent n'est pas isolable du contenu nié. ヘーゲルはこの否定の性格を強く主張する、決められた、限定の否定。限定であるからこそ、否定した内実を切り離さない。(脚注は69頁脚注に続いて2度目の「一般否定」への批判、こちらは « Hegel critique un doute général …前回に紹介» 。ヘーゲルは一般的疑いを批判する。それは疑いを中身から切り離す、これでは疑いを乗り越える道のりは形成されない。決められた限定の否定は疑う行為と疑ぐる内容とに断絶がない。弁証法の中心にこの限定の思考をヘーゲルが置くー Hyppoliteの教えです。

部族民:またHyppoliteはヘーゲル一世代前の哲学者、Shulze手法の懐疑主義と弁証法を比較している。(Schulze 1761-1833フィヒテや新カント学派に影響を与えた=部族民は彼を語れない=ヘーゲルに戻る)弁証法の否定とは、一旦はそれを「真理か」と仮定して検査(examen)の後、悟性が抱える基準mesureと見比べ、それとは異なるから、必ず否定する。この過程をexpérience経験と呼ぶ。機械的、無省察な (何でもかんでも) 否定するとヘーゲル弁証法を決めつけるのは誤り。

ここで否定はなぜ「必然」なのかを省察したい。検査examenは取り込まれた対象の性状(概念)を、悟性が(精神の)基準と比較する過程なのだが、両者ともに現象として出現している、実際 (réel) ではない。観念内のあやふやな2の基準が合致することは、そもそも実質を持たないのだから、絶対に、ない。たとえ同一と見えても、それだから合致とはいかない。標準原器を持たずして見比べているだけ。故に、悟性は「必ず」否定を選択する。その際に「対象objetよ、キミが抱える概念は真理に、これこれが一歩たりない」一定の基準を預け、対象とのつながりを残す。これが限定否定、これらの流れをHyppoliteは「toujours(常に)否定」と軽く教える。

精神活動を発展させ非実際non-réelの悟性が、réel=実際の存在、真理、絶対知savoir absoluに ヒトが近づく。その可能性を与えてくれるのが「目的追求の方向性、前を引き継ぎ後に与える連続性、経験の時空を決められる自発性」弁証法です。ヘーゲル弁証法にヒトの目的志向が潜むのだーが伺える一節である。

Hyppolite 2Dialectique de l 'inquiétude humaine qui est peut-être une des intuitions fondamentales de l’hégélianisme. 不安に起源を求める弁証法は、ヒト直感の根源から発生しているといえる。この直感は理性の直感です。

部族民:本文中に散見される「不安、怖れ、疑い」などの心象表現を目にしても、それらを感情のほつれと解いてはならない。根拠は怖れオソレの解釈にあります。絶対、それは災害、疾患、寿命などか、を前にして無力な個の心構え(envisager)と理解する(前出)。この派生となる不安疑いも、絶対を目前にする個の、感情とは切り離される、精神のどよめきと解釈する。Hyppoliteが語る直感も感覚の即座発露とは異なり、精神の閃きと理解したい。ちなみに本引用の « inquiétude » 不安は « état d’instabilité d’esprit » 精神の不安定が哲学意義となる(Robertから)

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介2_2 了 (Youtube動画)













 
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現象の働き方
左上図は現象の野の形成
下図は現象が道具として行動する
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