ヘーゲルは考える仕組みは現象としてその生態を解析した。しかし現象の作用では真理に到達できないとヒト精神の不全を指摘する。最後に悟性が決定力
déterminabilité
を発起して真理に到達する(に限りなく近づく)。その作業にScience理性が常在する。
部族民蕃神
 部族民通信ホームページ 投稿 令和6年11月30日  発足開設元年6月10日
 
 サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
       部族民通信  哲学のページに
   Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介5最終 上  
    20241122日)本稿はYoutubeに動画投稿されているヘーゲル「精神現象学」の最終節に当たる。Blog初稿(914日)からこれまで(精神現象学1~4)のまとめ;

1      ヒトが思考するとは真理を追求する、その仕組みは精神内に現象を形成することに始まる。

2      知が真理のモノ概念を現象の野(milieu、フィールド)に投影し、悟性は自らが育成する真理(基準mesure)とすり合わせるexamen、その時点は節目moment

3      しかし知の現象(概念)を牾性が己の現象(基準)に照らし合わせても整合しない。整合したと思ったら、それは真理への怖れ(真理を掴んだの勘違い)にすぎない。

4      ヘーゲルは別の仕組み(進化形)を開陳する。モノの概念はモノ自身が具有する。その真理を影でしかない現象の概念を通して悟性が見極める。

ここまでが今までの投稿、今回は

5      その仕組みは2段ロケット弁証法―となります。

6      悟性は最終に真理(に限りなく近い基準)絶対値、savoir absoluを獲得する。

Youtube動画は6幕投稿しています、接近して楽しんでください。直近の動画(4_2モノは精神を宿し個がそれを経験する)リンクは;https://youtu.be/4qlu27dSuHU




これまでに作成した図をここに載せる
 
精神現象学著者ヘーゲル
と翻訳Hyppolite
クリック拡大、以下も
   

本文 « ces deux présentations coïncident ; mais l'essentiel est de retenir fermement pendant toute la recherche ce fait que les deux moments, concept et objet, être-pour-un-autre et être-en-soi, tombent eux-mêmes à l'intérieur du savoir que nous étudions, et donc que nous n'avons pas besoin d'apporter avec nous nos mesures, d'utiliser nos idées personnelles et nos pensées au cours de la recherche ; c'est, au contraire, en les écartant que nous aboutirons à considérer la chose comme elle est en soi et pour soi-même » (74)

2の表現(モノは概念を含むか、概念は精神作用か=前回4_2)は実は一致する。基本は、これら調査において両の節目moments、その一は概念と対象(知)、別の一つは他者に向く存在と律自の存在(悟性)の、いずれもがここで取り組むとする「知る活動内部」に紛れ込んでいる事情を、理性 (我々)は心しておく。その意味するところは、理性は検査の場に己の基準も、個人思考をも持ち込む余地はない。なすべきはその反対で、それら(理性の基準、思考など)を検査から引き離すことでモノの律自性及び覚自性(実質)の理解に近づく。

HyppoliteLe savoir phénoménal ayant en lui l'opposition du sujet et de l'objet, de la certitude et de la vérité, peut procéder lui-même à son propre examen, et cet examen se nomme expérience. On notera la réversibilité des termes de l'opposition.

現象の知は主体と対象、すなわち蓋然性certitudeと真理の向き合いを抱えている。よって自身内部で知としての本来の検査を遂行できる。この検査を経験と言う。上記対立(主体と対象)は裏表逆立も想定される。これを私は注目したい。

部族民:引用文で留意する2点。1は節目においての調査に1(概念と対象)と2他者に向くのいずれもが融和して「紛れ込む」。もう一点が「知る活動」の実態。Hyppoliteはを現象の知と明確にしている。その正体を「certitude蓋然」と定義する。

実質を現象化する過程の「蓋然性」、正しいかもしれないが間違いもあり得る、を意味する。一方外世界には真理が控える。さらにはこの主体客体の逆立もあると指摘する。すると(主体の)知が(客体だった)モノ真理の対象になってしまう、なぜなら概念を具有するのはモノに逆立するから。知る活動の振幅乱れの実態を表している。モノ概念がヒトの知をして真理を知らしめる(実存主義の魁=前出)。

2点目: « tombent eux-mêmes à l'intérieur du savoir » 知る活動に紛れ込む、この句こそヘーゲル思想の転換点を暗示する。これまでの説明では、精神活動は現象の野(認識connaissance)で展開する、しかし知と悟性の内部に対立が入り込む(落ち込む)、これは両の内部に弁証法機構が備わり、モノ真理に向かう進展が生ずると言っている。結果は「理性には弁証活動に入り込む余地はない」につながる(後文で詳述)。




 
精神現象は認識Connaissanceの現象の野(milieu)で活動する






   

悟性の分析 « la conscience est d'un côté conscience de l'objet, d'un autre côté conscience de soi-même : elle est conscience de ce qui lui est le vrai et conscience de son savoir de cette vérité. Puisque tous les deux sont pour elle, elle est elle-même leur comparaison » 74頁)

悟性の一側面は対象(モノ)に向く悟性であり、もう一方の側面は己を知る悟性である。言い換えると己にとっての真実の悟性であり、この真実を知ろうとする自身の知の悟性である。二通りの(悟性のあり方)は真理追求のためであり、悟性はその2通りを比較する自身である。

部族民:前文の知内部の2面性(蓋然性と真理=Hyppolite)と同様の2面性を悟性にも向ける。対象に向けられる悟性は、外部の真理を探す。もう一方はこの真理を探る知を確かめる悟性は内に向く。

 « Quand la conscience trouve donc dans son objet que son savoir ne correspond pas à cet objet, l'objet non plus ne résiste pas ; ou la mesure de l'examen se change si ce dont elle devait être la mesure ne subsiste pas au cours de l 'examen ; et l'examen n 'est pas seulement un examen du savoir, mais aussi un examen de son unité de mesure* » (75)

悟性が対象を検分して知(が持ち込む概念)とこの対象が一致しない、対象もその事実に抗わないとする。それはその検査に持ち出した(悟性の)基準が、検査流れにおいてもはや立場を失しなっている、あるいはこの検査は知対象の検査を乗り越えて、基準の一体(検査摺り合わせから整合の判断まで)の見直しにつながる。上の了
 



現象を通して宇宙を理解するヒトが陥る陥穽は10に分けられる「真理を理解したと思ってしまう勘違い」は最も危うい
 

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の最終節 中 

これまでのまとめ: 914日にGooblog 投稿した「精神現象学の紹介」の初回シリーズの最後半部を大きく改訂し、再投稿を試みている。改訂内容は前回(上)で報告している通り「1悟性、知、それぞれに概念と真理の拮抗、弁証法が発動する」。本稿でこの趣旨が更に展開する。精神の単性要素(知、悟性)それぞれの内で弁証法が展開する。悟性には「一つの何か」が備わり、内の弁証過程に湧き出て、精神外のモノ真理を掴む。これを決定力déterminabilitéと後に命名する。精神が外部の真理に肉薄する過程には内なる弁証法と、現象の野での知と悟性の拮抗が演じられていた(2段ロケット)。 

 
   

前回、現象学上の最終文を紹介:

「悟性が対象を検分して(彼が知る)知とこの対象は一致しない。対象もその事実に抗わないとする。それはその検査に持ち出した基準が、検査流れにおいてもはや立場を失しなって」節目検査での不整合を記す文です。

脚注Hyppolite : * Un savoir déterminé de la conscience constitue une totalité concrète ; si l'examen montre une disparité entre les deux moments, les deux moments changent en même temps, et la conscience, qui a fait une expérience, est conduite à une autre forme de savoir.

悟性から判断を受ける知は、確固とした総体を形成している。検査により前後節目の間に不整合が発覚すると、2の節目は同時に変化を見せ、悟性はこの経験を体現するのだから、己の知のあり様を変える。

部族民:本章後半には基準、概念、実質に新たな考えを導入している。それは2段構えの弁証法を導くためと(部族民は)解釈する。Hyppoliteの「確固とした総体」の意味は知の内部の弁証法の仕組みーと理解する。

2段ロケット弁証法は「モノが思想を宿す」「モノ思想を精神が探る」が前提となる。現象の知=Hyppoliteは、その内部性状が「確固」と形容され、弁証法であることを指摘する。また悟性にも主体と客体の対立が潜み=前文、こちらも弁証法の確固性状を有する。この思考発露を判断力déterminabilitéとし2段目につなぐ。2段目はこれまで説明していた「現象の野での弁証法」で基準と概念の検査であるが、基準(悟性)は眼の前の概念を透かし、外世界の真の概念、真理を探る「確固」性を発揮する。

« Ce mouvement dialectique que la conscience exerce en elle-même, en son savoir aussi bien qu'en son objet, en tant que devant elle le nouvel objet vrai en jaillit, est proprement ce qu'on nomme expérience* » (76)

悟性が自身としてかく活動し、あわせて知も対象も活動し変化する。悟性の前に新たな真実対象が、これら活動の中から湧き出る。これを経験と言う。

部族民:自身の内に弁証法の過程で「基準」と「概念」をまとめる。この確固とした節目を経験する知と悟性、そして決断に導かれ外部世界を探査する悟性。もはや理性が入り込む余地はない(nous n'avons pas besoin d'apporter avec nous nos mesures, d'utiliser nos idées personnelles et nos pensées au cours de la recherche=理性は思考を持ち込めない=前回4_2の句を裏付ける) 

追補:検査は必ず不整合に陥る。しかし知は確固とした総体(内部の弁証法)を持つから総体ごと変遷する(知内部では蓋然と真理、この対峙を経て概念を新たにする)。この変因律は悟性にあっても同じ。両者内部での弁証法に続いて精神現象にて2段目の弁証法が発起され、悟性が決断をもって裁定する。













 
現象の野では節目moment検査examenが発動し弁証法が進展する
   

Hyppolite:*L'expérience et la dialectique se trouvent identifiées. ここに弁証法と経験が特定できた(経験:弁証法の一節、弁証法:目的性を持つ繰り返し)。

結語(12頁の導入章の最終頁。多くはこれまでの引用で語られているが、ヘーゲル先生は念をいれる) « L'expérience que la conscience fait de soi ne peut, selon le concept de l'expérience même, comprendre rien de moins en elle que le système total de la conscience ou le royaume total de la vérité de l’esprit ; cependant, les moments de la vérité s'y présentent dans cette déterminabilité particulière : ils ne sont pas des moments abstraits et purs, mais ils sont comme ils sont pour la conscience, ou comme cette conscience surgit dans son rapport à eux. C'est pourquoi les moments du tout sont des figures de la conscience* » (77)

悟性自からが体験する「経験」は、経験の概念の仕組みにより、悟性の体系、あるいは精神真理の王国を含まずに留まるものではない。個別的決定を実践する段階で、いくつもの真実の節目が現れる。それらは抽象的、単に純粋のみの節目ではない。悟性に訴えかけるかの節目、あるいは節目との連携でこの悟性が湧き上がるかとも思える節目である。これをして節目の流れの全ては、悟性の形態といえる。

(含まずに留まらないは2重否定、含み留まるがその意)

Hyppolite:*Distinction de la Phénoménologie et de la Logique.現象学の論理学からの区別。(精神活動の中心に悟性を据える。その悟性は「論理」の下僕ではない、弁証法の律則で動く。デカルト、カントなど哲学先人との差を指摘している)

部族民:外部真理を判定する能力déterminabilité、個別の節目でそれを発揮する機会はparticulière個別判断。悟性が節目の独自にあわせparticulière個別判断を実行し、節目の真理が体現される。弁証法発展では悟性が主導権を握る。








 
現象の野での弁証法の前に、知と悟性はそれぞれ内部で概念と基準を組み上げる仕組みを働かせていた。これを弁証法の2段ロケットと(部族民が)命名した
   Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の最終節 下 

20241122日)« En se poussant vers son existence vraie, la conscience atteindra un point où elle se libérera de lapparence, lapparence d'être entachée de quelque chose d'étranger qui est seulement pour elle et comme un autre ; elle atteindra ainsi le point où le phénomène devient égal à l'essence, où, en conséquence, la présentation de l'expérience coïncide avec la science authentique de l’esprit ; finalement, quand la conscience saisira cette essence qui lui est propre, elle désignera la nature du savoir absolu lui-même » 77頁)

節目の中身の全て、その存在の真実に、悟性は自らを向け己の表現から解き放たれる地点にたどり着く。その表現とは何某かの、悟性を別のものにしてしまう、異質なものが取り付いていた。そして現象が実質に同等な地点にたどり着き、その流れに沿いながら、経験があからさまにする表現が精神の正統なる理性と合致するに至る。最終的に悟性はこの、己に本来である実質を取り込むことになり、絶対知savoir absoluとは己と顕示できるに至る。

部族民:その存在=は前文 « les moments du tout » を受ける、son(代名詞単数男性形)なのでle tout。その意味は幾度かの節目を通して、ようやく真実の存在になりうるに至った節目の中身(基準と概念)を指す。目を曇らせる異質を悟性が拭い、次に現象と実質が重なり最後に絶対知を獲得する。

HyppoliteCette introduction démontre l'immanence de la science à l'expérience. 本章は経験(弁証法)においての理性の内在を証明する。

用語;Immanence内在とは:Caractère de ce qui est intérieur à un être ou à un objet des pensées (Dic. de philo. Nathan) 存在あるいは思考の客体に内在する性状。スピノザの自然に内在する「神」はその例と挙げられる。ここでは精神における理性の内在、弁証法における精神優位、モノ世界を敷衍する絶対知を表す。

部族民は理性をtranscendantalと理解していた。この語には対象から概念を形成するに経験を必要としない、即物即断性がうかがえる。一方immanence内在は常在する「原理」の意を感じる。先験の即物能が原理として弁証法に内在すると理解する。

まとめ:精神現象を当初は内向きに説明し、後半に知も悟性もモノ世界を見据えると外向きに変化した。現象の知は、概念からモノの実質を探り、悟性の決定力の駆動で、絶対知を獲得できると結論付けた。

悟性知理性のせめぎあい、弁証法過程の呻吟を12ページの要約にまとめたIntroduction導入章。まさにヘーゲル思想のすべてを詳細記述した力作が本書本章です。

Hyppolite訳、ヘーゲル精神現象学 導入章の紹介 了 (1122日)