部族民通信ホームページ   投稿2023é年7月15日  開設元年6月10日
主宰蕃神(ハカミ)義男        部族民通信  ホームページに  哲学のページに 神話学のページに   
  自ら語る構造主義 (神話学第4巻裸の男の最終章から)   
悲しき熱帯から始まる著作の最後の(神話学裸の男の最終章)で自身の思想の種明かしをしたレヴィストロース、「学究は答えを与えない、



よい質問を投げかけるのだ」(悲しき熱帯)の種明かしをしてくれた
  
  裸の男L’homme nu(神話学第41970年発行)の最終章Finaleフィナーレに著者レヴィストロース自らが構造主義を語る段落に出会った。その趣旨を紹介する。結語から :

1      構造主義は目的論である Le structuralisme est résolument téléologique(615頁) 

2      構造主義は認識論であるLe structuralisme propose aux sciences humaines un modèle épistémologiques (614頁)

これでは何が何やら分からないかと思う。文脈をたぐりながら説明します。

 « Mais si les mythes considérés en eux-mêmes apparaissent comme des récits absurdes, une logique secrète règle les rapports entre toutes ces absurdités : même une pensée qui semble au comble de l’irrationnel baigne ainsi dans une rationalité constituant pour elle une sorte de milieu externe, dès avant que la pensée ne l'intériorise avec l'avènement du savoir scientifique et en devenant elle-même rationnelle »

 : 神話が突拍子もない物語として受け止められているとして、それら奇抜さの関係を支配する秘密の論理が背後に隠れる。(神話を創る)非理性的と思える思考にしても、一種の統合理性に涵養されている。(西洋文明が)科学的思考の到来を迎え思考自身が理性を獲得し、非理性さを内在化(克服)する以前からのことです (裸の男614)

神話を通して先住民理性の二重性をレヴィストロースが語る。その1が外部はかくあれと理解し神話としてまとめる先住民の図式理性、2思考を「論理性」に統合する理性。

前引用に続く文 ;

 « Ce qu'on appelle « progrès de la conscience » dans la philosophie et dans l'histoire répond à ces procès de l’intériorisation d'une rationalité préexistante sous deux formes : l’une immanente à l’univers, sans laquelle la pensée ne parviendrait pas à rejoindre les choses et aucune science ne serait possible ; et, incluse dans cet univers, une pensée objective qui fonctionne de manière autonome et rationnelle avec même de subjectiviser cette rationalité ambiante, et de se l’asservir pour la domestiquer »

訳:哲学、歴史学で唱えるところの「意識の発展」は前もって内包している理性による内在化(事象を自己に取り込む)に対応するものである。この理性には2の形式が認められる。1 は本来的に人に備わる(immanente)理性、それ無しでは思考は物事を取り纏められず、いかなる科学も立ち育たない。2は人に内包(incluse)される思考で、客観的であり自律して理性的に発展し、この理性を外部として対象化し、手なづけ使い切る事のできる理性である。

訳注: « immanente » が本来から持ち合わせている理性で、 « incluse » はその中に内包されている。両語の語感を鑑みると、1がまずあって、2はそれに含まれる。こうした2重性を思い浮かべる。

上引用は西洋文明人の思考進化の様を語るが、根本の理性の2重性が先住民の理性と被ると指摘する。西洋思考での1« immanente » 理性。この語は「絶対的にそこに在る」の含意を持ち、広く膾炙される用法でスピノザにおける「神」。カントの先験 « raison transcendantale » にもこの語が当てられる。ここではカントを(行外に)仄めかしているとしたい。するともう一つの内包されていて対象化する思考 « pensée objective » は弁証法的理性 « dialectique transcendantale » の言い換えと理解できる。

構造主義はカントの土台に建つ(レヴィストロース本人の語り)。と考えれば2の引用分が伝える意味の「先住民の神話思考」、「西洋文明の思考発展は2の理性の相互作用」も、カントを共通項として理解が速い。

 « immanente » =transcendantal = 先験理性

 « incluse, pensée objective » = dialectique =弁証法理性

 « En acceptant ces postules, le structuralisme propose aux sciences humaines un modèle épistémologiques d’une puissance incomparable à ceux dont elles disposaient auparavant. Il découvre en effet, derrière les choses, une unité et une cohérence que ne pouvait révéler la simple description des faits, en quelque sorte mis à plats et éparpillés sans ordre sous le regard de la connaissance » (同書614)

訳;上記の公式(理性の2重性)を受け入れつつ、構造主義は人文科学に一つの認識論モデル(modèle épistémologiques)を提供したのである。その効果はこれまでいかなる人文科学が展開していた論理よりも強力だった。それ(ilstructuralisme構造主義)は事象の裏に隠れる一体性、連関を白日に晒した。単なる事象の説明、すなわち、見つめたところで平坦に秩序もなく散らばるだけの何やらかにしか認められない、そうした知見では、それら一体性は暴かれることはないだろう。

 





 

裸の男615頁
 
裸の男の裏表紙
ハシゴの上に座るは
Amlashの少年ブロンズ像
(カフカスの古代民族
カスピ海に面する今の
アゼルバイジャン
に住んでいた)
(写真説明)裸の男 の表紙L'Homme nuは神話学全4刊の最終作。その最終部フィナーレに至ってレヴィストロースは構造主義を説明している。最後になって手の内を明かすかの解説だが、実は完全には明かしていない。部族民(蕃神)は彼はあえて語らないが(西洋知識人には当然なので)この説明にはカントの2の理性が潜む、その最重要点をレヴィストロースに代わって詳らかにしたいと投稿に至った。

 « En changeant de niveau dobservation, et en considérant par deçà les faits empiriques les relations qui les unissent, il constate et vérifie ces relations plus simples et mieux intelligibles que les choses entre lesquelles elles sétablissent et dont la nature derrière peut rester insondable, sans que cette opacité provisoire ou définitive soit, comme auparavant, un obstacle à leur interprétation » ()

訳;観察する水準を変え、経験できる物事を取り込みつつ、物事を結ぶ関係に考え巡らせ進むと、それ(il、前文のilを引き継いで構造主義)はそれら(物事)を結びつけている連関性を、(経験主義的にあるがままに)見るよりもより単純に、より理解しやすく、解明できる。見つめる視界は、一時にせよ常にせよ、不透明であるうえに、物事の繋がりはできあがっているけれど。その実体(nature)は覚知出来ないのだから、それら(leur、経験主義による判断)は(正しい)解釈にたどり着かない。(括弧は訳者)。

訳を逐語的に試みると、クセジュ文庫並みの拙文に陥る。簡便に意訳すると「事象を見るままあるがままに解釈する経験主義的観察は、真理にたどり着かない」となる。その上で :

上は一の文を二に分けて引用した。前部分(前回11日)では構造主義での認識の仕組み(épistémologie認識論)をレヴィストロースが解説して、その骨子は「事象の裏に隠れる一体性、連関を白日に晒した」となる。今回引用の後ろ部分は見つめる対象「choses物事」の有様を記している。

「事象の裏に一体性」は、今回引用の「物事を結ぶ関係」と同一。これと比較する手法が(あるがままに)物事を見る、すなわち構造主義的観察ではない認識。アングロサクソン系民族学の経験主義、機能主義を示すことは明白です。さらに ; そもそも観察する視野は(構造主義でも経験主義でも)不透明なのだから、物事をあるがままに記述したところで、不透明さを複製しているだけ。構造主義の認識論モデル(=前回)を採り入れ、物事の背後の実体(nature、この語には「本質」の義が備わる、本質と訳しても近似する)を捕らえなくては観察にならないーと諭している。

構造主義とは?の答えが上の2の引用に集約されている。


 
 ベルギーの画家ポール・デルボー画



続く一文 :

 « le structuralisme est téléologique, après une longue proscription par une pensée scientifique encore imbue de mécanisme et dempirisme, cest lui qui a restitué sa place à la finalité et qui la rendue à nouveau respectable »615頁)

訳;構造主義は目的論である。長いこと機械決定論と経験主義に浸透されている名のみの科学思考のくびきをはねのけ、彼(luitéléologique、目的論)は構造主義の立場をしっかと究極位置(finalité)に決め、彼をして構造主義への新たな賞賛を授ける根拠にもなった。

Téléologie目的論を強い意訳ですが「本質追求論」とすると分かりやすい。人の目的(本質)とはつまるところ理性となります。理性のあり様の思考と理性の働き(penséeentendement)は如何なるかを説く論が構造主義です。

「機械決定論、経験主義mécanisme et empirisme」はメカニズム、外界からの刺激を想定し内部(心理、思考) が作用を受ける「決定」を土台にしている、人の内包する知を素通りしているとの批判の一文と理解する。また、前引用にある「そうした知見le regard de connaissance 」は後文に現れる(=引用はなし)機能主義、決定主義さらには実存主義などを当てつけていると採れる。例えばPiagetの発達心理説では年齢と心理発達を機械的に結びつける。人が内在する理性への言及はない。

サルトル実存主義について両論の乖離(知の起源を本来とするか、個人経験とするか)を解き明かし、個人の経験則をいくら重ねようとも知は発生しないと、レヴィストロースは批判しました。

この文節はまさに構造主義とはなにかを自身で解説した文脈となっています。 

結語

3      構造主義は目的(finalité)論である。人の究極は何かを探る理論である。

4      構造主義は認識論である(形状を現し覚知できる物事と、それらを統一する思想がこの関連を突き詰める認識論)

理論

1      人の究極(本質)は知である。

2      知が宇宙森羅を2段の思考作用で分析し、森羅を思想として系統付ける。

応用

1      神話学での神話解析手法(人は持ち前の知で森羅を観察し神話を創り上げる。一旦、神話及びその派生(variantes)が出来上がると、それらは覚知できる形式(モノ)と受け止められる。それらを人に内包される知が系統づける)

2      親族構造、出来事の意味合い、意味論に於いてのモノと人の表象の関係など。

自ら語る構造主義 了(2023年6月13日起稿、9月30日改)

 



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