| 部族民通信ホームページ 投稿2024é年7月31日 開設元年6月10日 |
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| L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 (上中下) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() Drothy Demetracopoulou イスタンブールのギリシャ人家系の生まれ。米国に渡って歴史神話学を学んだ。(1905~75年) |
L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 上
本稿はYoutube動画に投稿されている、Text内容はパワーポイントで再現されている (本稿は2024年7月にGooBlogに投稿され、一部改編ののちにYoutube動画に投稿となった。日付ノンブルはBlogのままに残る) (2024年7月10日)仏語の哲学書はこのように解釈する。汝は「主体か客体か」色分けして解釈にこぎつけた(ガチ構造主義だが読んでくれ) 前文 : レヴィストロース人類学は神話学の調査神話の挿話、登場物などを客体と見ておらず、主体とする。彼の構造主義人類学が先住民の思考、信仰、規則を主体と見ると同列、そうした思考での主体である。神話には人の思想が宿る。語り口に取り憑く族民の思考、これをして構造神話学の原点とする。同じ例を挙げる、親族とは族民思想の具現です。親族と親族外の範囲、婚姻できる親族の範囲、できない親族。婚姻できない親族は系統で、婚姻できる親族と同盟関係を築く。社会基盤をこのようにして形成する。人の智慧が親族の思想です。 参考に部族民がかつて作成したアボリジニ・ムルンギン族の親族構造のスライドをここに引用する。族内を婿と子の交換(一般化)が12巡すると、8支族のいずれもが婿を贈り婿を貰う、子を贈り子を貰う。子を贈るという不等価交換が巡回の巡り目で子を貰う。大循環の結末は経時としての等価交換が保証される。誰も得せず損しない、族民の抱く社会のあり方、構造の「思想」です。 一方、行動、慣習などは機能を持つモノであるとする説。マリノフスキーなど英米系学究が主唱してきた。機能社会学と俗に伝わる。この理論は社会事象などの調査の対象をモノ化している、「機能のみが付帯する客体である」と矮小化する。レヴィストロースはここを批判する。彼らの理論は神話要素を固定化する、固定された要素には思考がとりつかないうえ、自律運動を見せるべくもない。ただ出現する頻度、数値にのみ評価を受ける「モノ」である。 レヴィストロースは神話学全4巻を通し「構造神話学」を掲げた。彼自身はこの語を用いないが、本書で開陳される趣旨、理論を読み込むにつけ、この冠語がまさにふさわしいと感じ入る。 そして今、批判の矛先は「歴史神話学」に向けられる。機能社会学への向けた批判風景がここにも展開されている。以下に引用する文列は本書52~53頁から。視線を本に落とし上から下、横に流れる行の列を目で追えば、満天の星のごとく哲学的修辞が(部族民の)脳みそに煌めいた、脳みそ景色がこの投稿となります。 (仏文クリック、ナレーション) 実は、我々(レヴィストロース個人)は歴史神話学をこれまでの書で否定している、(不満足な)論点の実態とはその学派の学究(on=一般的人となるがDemetracopoulou)は、自ら感じ入る所信で、神話なるものを規定する。いかなる神話物語にしても単独孤立していないはずだが、そう思いとどまる瞬時もないし、これと覗える形態をただ経験から決めつけるのみ、それで十分であるとの思い込みに閉ざされている。その上、一の神話はその場とその時系列に位置しているだけで、伝播系統で幾つかの偏移神話が生み出だされ、かつ一の必然性に支配される。この起動原理のもとでの地域的瞬間的な存在であるとする。 文言、語の解説 2 ; 活躍する兄弟双子:北米神話では悪霊退治に双子が登場する。M539では山野に跋扈する悪霊を退治し星に昇天する。夜な夜な叫ぶアビも悪霊、退治するのは双子漁師。双子とアビには筋立で関連が認められる。この関連がレヴィストロースの伝える « motivé » 動機づけと理解出来よう。歴史神話学は筋道に潜むこの有機結合を語らない。 « définit arbitrairement le mythe » 自ら感じ入る所信としたが、意味がわからない訳となった。直接法に変換すると「勝手気まま」。アビが語られるからこれらをアビ神話群とするが、この断定はおおよそ根拠のない「気まま」。次文の « un discours isolé que son énoncé empirique suffit à caractériser » 孤立した語り口など無いと(思いとどまらず)、sonその者の(前文のonを受け継ぐ、Demetracopoulouのこと)経験からくるだけの「決めつけ」に引き継がれる。 L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 上 了 (7月10日) |
College de France 階段教室でイシスの冒険を講義するレヴィストロース。 La Chaire(Collegeでは教授にこの名称を当てる)時期は1971年11月。彼は日曜日の11時から隔週で公開口座を持った。渡来部は(留学していた時期)に参列した。「何を喋っているのか分からなかった」は本人の弁。ラテン語で講義していたのかとも。 ![]() アボリジニ(オーストラリア先住民)ムルンギン族が思考する親族構造。 婿と子を交換(贈り貰う、この段階では不等価の限定交換)して12巡回すると8の支族が平等に貰って贈る、一般化に平準される。クリックで拡大 |
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とある文学系の大家がレヴィストロースのサルトル批判(野生の思考第九章)について「レヴィストロースは何も理解していない」と論評した。しかしこの反論は間違い、なぜなら形而上的文言思考を盛り込んだ哲学論文は読み手が「解釈する」しか読みようがない。 論文も神話も音楽も演奏ではなく解釈です。 |
L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 中 (神話要素とは歴史神話学で)具体的な客体であり分析対象に採り上げられ、その客体は集団の中に位置する性格付けのみを受ける。要素が具有する固有性状から分析するなどは決して無い。更に(Demetre..が定義する)神話とは、その集合体を通して確固としているかもしれないが、すでに主観に導かれる判断基準で出来事、構成、目的などに細断されている。その細分仕方も厳格な基準で扱われているとは言えない。辻褄が合わなければ先住民語り手の気まま、忘却に押し付けられる。「一の語りでは失われていて、別の語りに復活している。別の神話群では押し込められたり引き出されたりして、いずれにしても本来の性状は、それがあれば神話が生まれた状況が判明するのだが、すでに失われている」(Demetra...) 文言、語の解説(鍵語に網、下線を入れている)2 ; 対象とする要素をl'objet réel具体的客体と定義する。Réelの語義は実際そこにある、見えるモノとの意が浮きでる。そのモノは特定の神話群groupeでのみ取り沙汰され、神話群が離れると意味をなさない、なぜなら客体だから。Propriétés はレヴィストロースの用語でも神話の登場物(者)にあらかじめ定められている性状です。性格行動基準が定められている、よって自律行動が採れる主体と言える。Demetra..は、(調査する側の)主観的判断基準Critères subjectifsを持ち込み、対象をモノobjectif réelと捉える。上記の自律する性状が、神話進展に結びつく仕組みを無視する。 神話の有り様(existence)はmorcelée en incidents細分化される。動詞morcelerはmorceauモノの一片から派生する。モノを細分するとの意義。ここにも客体として神話を捉える(Demetraらの解釈)の批判が覗えるが、「それをしたところで」理解に繋がらないと止める。 辻褄が合わない事情は語り手の気ままcapricesに責任を帰す。dépourvus de propriétés intrinsèques本来内包する性状、が見えないとするが、その原因は要素を細分しているところに起因する。動機づけを導入し、筋道に法則性を説くレヴィストロースとは正反と言える。 神話を出来事などで細分化すると、その神話はともかく一つの纏まりを残すだろうが、神話の理解にもたらす成果は強圧的な示唆と化す。ともかく認識できるように(歴史神話学に特有の)進め方で視覚像、逸話などを不整合のまま放置して、神話の意思を探り抜き取る。著者(Demetra …)によればこの意思とは「惨禍をもたらす近親姦であり、被害者の世界秩序への挑戦」であるとする。この単純過ぎる解釈が神話の肉付けを見逃している以上に、それぞれの細目が厳密に動機づけられている神話事情も語られない。 文言、語の解説3 ; 前半はDemetra...の神話解析方法論。不定冠詞 « une » が続く。Une unité, une forme, une idéeなどと4の名詞にかぶさる。不定冠詞とは「とある一つの」の意味で、unitéに冠すると「とあるなにかの」一体。その一体が素性、有り様などで明確に定義できればlaを冠するはずだが、そのように文を作らない。得体のしれない何やらの「一体」。極め付きは « une tradition » とある一つの慣習。この語が歴史神話学の分析手法を「とある伝統」と切り捨てている。 これらの調査はDemetra が手掛け、歴史神話学の規範に沿った信頼おける結果が得られているはず。が、その手法をレヴィストロースが認めないと不定冠詞で表現している。 « toute la substance » は「文脈に内包される全て」が直訳だが、肉付けと訳した。この語substanceは、先程のmorceauと正反に、意識思想が思いつく。語源は « idée, pensée qu’il y a dans l’essence » 本質に宿る考え、思想(Robert Méthodique)。この肉付けにも思想が隠されているわけで、その果たす役割は « rigoureusement motivé » 厳密な動機づけ。神話要素が包含する肉付けの概念も、動機付けの仕組みも説明しない歴史神話学の手法は、この筋立てを支配する機構=構造=を見逃す。反文化の化身アビが、兄弟双子の活躍を導く動機 « motivation » の役割を当てられ、そのつながりは(北米神話では)厳密。アビにも兄弟双子にも、主体性が具わり自律歩調で活動する筋立ての様が聞こえている。 部族民は別投稿で「活動から沈黙」の動機づけを述べた。兄弟双子もアビ退治の活動の後に、空に上って星に化身して春の訪れを告げる(M539悪霊退治の双子の星)。 L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 中 了 (7月12日) |
![]() Demetracopoulouの作成となる同心円の神話群。最外円は群の全てに採り入れられている挿話。それが起源神話と決めつける。この例出は「月の嫁」クリック拡大。 ![]() Youtube動画のサムネイル |
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L’Homme nu裸の男に読む構造神話学と哲学修辞 下 そこ(歴史神話学)では複数の伝播神話に共通する「分母」語ることを自ら封じ込めている。一方で、一の神話を原型と特定し、近親姦の姉がアビに変身するとなど(一見して)重要かつ共通する挿話を(ただ一つの)共通項目とする。この進め方はより深刻な瑕疵を含む。なぜなら原型挿話を選ぶ過程が「自由な=勝手な=前提に」汚染されるからである。子を匿うとは「家族と集団の救済のために」と彼ら(歴史神話学)は語るが、より簡単に説明できる。但し神話記学の誤り解釈に執着せず、神話の中身に入りこまなければならない。愛でられ地下の穴蔵に匿われる少年は、父親に忌避され巨木の頂に捨てられる少年と対称を見せるのである。穴蔵の少年は(南米ボロロ族の)木に遺棄された少年の、逆転伝播といえる。 文言、語の解説(鍵語に網を入れている)4 ; レヴィストロース主張する共通分母 « dénominateurs communs » がこの引用文にしてようやく出てきた。歴史神話学においての共通分母(らしき)と比較をしている。あちら側は重要神話を特定する際に、共通かつ重要性 « constant et important» の一点のみを見極める。アビ神話群で共通なのは「近親姦姉のアビ変身」という一の分母(引用文での « celui » は複数形のdenominateurs受けるが、単数としての関係代名詞、たった一つの分母)となる。この要素をして、神話群を取り纏める外円として客体化する(歴史神話学の同心円を思い出してください、最大円を神話群の原型とします)。外円内側に同心円として位置する小径要素を選ぶ際に « présuppositions gratuites » 勝手な前提が入り込むのを許してしまう。これは具体的に、月の嫁神話でのヤマアラシが「月に変身する」「太陽に変身する」などの挿話をして小円に閉じ込める。それら選択の基準には「理論背景」はない。自由選択、この自由は「気まま勝手」との意が籠もる―レヴィストロースはかく論難を仕掛ける。 « mythographe en mal d’interprétation » 誤り解釈の神話記学、歴史神話学をです。「愛でられる少年」「忌避される少年」を歴史神話学が説明するとすれば、それらは別々の小円に表せられ数値化の度合いで円の径がさだまる。そのような解釈を否定して、ボロロ族鳥の巣あらし(忌避される少年)の「逆転」伝播と、簡明な持論を述べる。 この逆転事情を考察するに、母と近親婚を犯した少年は忌避される、姉に迫られる少年が匿われる。既遂は忌避され未遂は匿われる。人の心情、道理が反映されている。いずれにも「少年英雄と近親姦」を結ぶ動機motivationが二の要素をつなげている。 神話伝播とは族から民へ、伝達の経路は時間も距離も長い。順列あるいは逆転の法則の元に伝播するという事情とは、送る側受ける側に思考による「動機の遵守、あるいは修正」が入り込むを意味するかと思う。先住民はヒトなれば伝播は「人の思考」に支配され、表のまま、あるいは裏に返すなりの方向性が入り込む。順行と逆転が見られるとすれば、それは分析理性と弁証法の表現です。我々(私だけ)愚衆にレヴィストロースが問いかけた「動機づけと共通分母」の作動原理はカント « entendement » 考える行為に戻れ、ここに「構造神話学」の教義が認められる。了(7月16日) 後記;Avant d'en arriver là et de pouvoir faire la preuve de cette équivalence, nous aurons une longue route à parcourir pour connecter entre elles les étapes de la transformation. Nous commençons par exposer l'économie de la distribution du mythe de la dame Plongeon, en nous aidant de la version syncrétique établie par Demetracopoulou. この相似姓(2の少年の逆転対称)を証明するに変身の長い道のりを辿らなければならない。ここでDewmetra…の統合した業績、それは確立しているから、を採り入れる。 彼女への讃辞で締めくくられます。付表:言葉と意味をまとめた。
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