| 部族民通信ホームページ 投稿 令和7年11月30日 発足開設元年6月10日 |
サイト主宰 蕃神(ハカミ)義男 |
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| 書家一貞女史を語る | |||||||||
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(2025年12月20日)女史は昨10月にご逝去なされた、配偶の風雅氏から報せを受けた。葬儀は密葬、今様の家族葬は直系の近親のみ、参列は風雅氏のほか娘さんと孫娘さんのみであったと推測できた。思い出話でも交わしたい」とは風雅氏提案は12月半ば、風雅氏宅と決まった。夫君が部族民渡来部の近い親族。その縁で部族民は幾度か女史にお目通りをいただいた。その書を紹介したく人となりを記します。 東京生まれ、漢籍と書の課程の評価が高い都心の大学を卒業、小石會、清真会の会員活動を軸に書の研鑽に励み、病の前までは廣池学園に籍(中高等部の非常勤講師)を置き指導に専心した(個展図録から)。 発病後の生き様は回復期の幾波かを享受する楽しみ、そうした昼の遅くには筆を執る手も軽い、快癒にはしかし至らなかった。 思い出会の当日、日野市の山奥陋屋を部族民は冬晴れ朝の9時半ばに出立した。京王線鈍行、高幡不動で特急に乗り換え新宿に到着。山手線の外回り日暮里駅のホームに降りて連絡階段を前にした。漸く目的のT駅に到着。風雅氏は改札前に待ち構えていた。もう一人の 参加者K画伯は細君連れで姿を見せた。タクシーで氏の私宅に、茶の一服に喉を潤し、会話もはずんだ。 風雅氏は間際を語った「死が迫る、あるだけの力を振り絞り抗う、その残りを使い果たして死ぬ。傍に座しても手伝いように生者は何も出来ない、死にゆく者にしても脇に座す誰かが居ようと、それへの気遣いなど向けるべくもない。死は本能の孤独か」 部族民「間際に人は視覚、触覚を失う。そして聴覚は残る。傍の息遣いを聞いているし人気配はしっかり感じている。奥方はあなたの息を聞き言葉を耳にした。向かう旅は一人ではない、見送られているのよ。寄り添わられているゆえ臨終に心がやすんだ」 画伯「息が途絶え瞳孔は開いたままでも、声を掛けると口元が緩む。こんな例は本当にあるのだ…。彼女がそうだった」。 風雅氏「施設から引き取っての幾月か。その刹那は早い朝、斜め日が顔に差し込んだ。鳥が鳴き一人が往生し、大地は朝日に照らされた」 午餐の鰻重をありがたく半分頂いて、残りを持参パックに詰めて風雅氏と別れた。常磐線、通称赤電車、車内ボックス席での酒盛りが名物。私は座して残した鰻の脂うまさが気になってパックを開け、タレをさらにまぶしてガッツイた。前に座るK夫妻は車中の弁当喰いを知らない、驚かせてしまった。 ♪見上げれば雲と夕風、目焼かれた♪ 鰻を食らうは祈りと語った歌人を思い出した ♪鰻取る箸の手休み窓紅♪ ♪鰻食むなにの祈りぞつぶやきが雲間を焦がすあの陽に届け♪ 合掌 |
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