部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
主宰蕃神(ハカミ)義男        部族民通信  ホームページに 人類学のページに     

野生の思考La pensée sauvage4 トーテム的分類法の論理「La logique des classifications totémiques」

 
 
トーテムは分類する科学とレヴィストロース、ここに生じる疑念 : 1トーテムは「宗教」に入るけれど分類法とは? 2その論理は?宗教とは信心なのだが?

答え : 先住民「彼らの科学的思考、具体科学Science du Concret」の一分野であるとレヴィストロースはトーテムを位置づける。森羅万象をどのように受け止める整理するのか先住民の理性がそこに働く。アニミズム的信心あるいは祖先信仰の宗教的のトーテム世界を否定する。






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 東京上野公園トーテム  一般には「トーテムは集団の祖先であるという信仰。トーテムとされる動植物をその集団の者が殺したり、食べたりしてはいけないというタブ―、トーテムを崇拝対象にする儀礼」(ネットから)。動物を特定し、先祖守護神と崇めたてる。トーテムポールと呼ばれる柱の上にそれら像を取り付け、広場や墓に奉る。あるいはその信仰を通して部族団結の礎に置くーこの理解でよろしいかと。それは信仰の範疇、あるいは部族社会団結の象徴である。

レヴィストロースがこの説明に異を唱えた。動物植物、それらを取り巻く自然、すなわち森羅万象とヒト(文化)の相関を思索する思考であると。

 
   

本文を読む ;

 « Mais en premier lieu, ces bribes et ces morceaux n’offrent ce caractère qu’aux yeux de l'histoire qui les a produits, et non du point de vue de la logique à quoi ils servent. C'est par rapport au contenu seulement qu'on peut les dire hétéroclites ; car pour ce qui est de la forme, il existe entre eux une analogie, que l'exemple du bricolage a permis de définir : cette analogie consiste dans l'incorporation, à leur forme même, d'une certaine dose de contenu, qui est approximativement égale pour tous » (page cinquante)

訳の前;(前文に)トーテム儀礼は一つの論理を調べるとハギレ断片のような(行為、しきたりなど)に当たる。それらをどのように論理で再構築するかを問うーこの文を受けて

訳:まず初めにこれら断片が存在する事実は、いかにして形成されたかとの歴史からの説明が主流である。それらが今の時点でどの役割を担うかに論が進んでいない。さらにそれらは種々雑多な面を見せると言える根拠は、内容に言及してからである。なぜなら形について、それら(断片)はかならず類似が見つけられ、やっつけ仕事bricolageの説明でも証明しているが、類似は本体(論理)の中に入っても、幾分かの内容を表している、全ての断片についても同じ様であるといえる。

上文を理解するに「トーテム的現象」でレヴィストロースの立ち位置を明確にする要がある。

1 トーテムとは「ポール像」に代表される特定動物への信仰のみではない。

2 動植物世界がいかにして形成されているかの論理組み立て。

3 世界、森羅とヒト社会(文化)がいかに繋がっているかを説明する論理。

3を踏み台として引用文を解釈すると ; Bribes断片、ハギレとは動植物に関連する説明言い伝え、取り扱いなど。これらを事柄の形体を些事にわたり論じても意味がない(多くが類似するから)。それらの内容(思想)に肉薄し、総体として何に役立っているかを探る。

レヴィストロースは万華鏡Kaléidoscopeを出して説明する。

« Cette logique opère un peu à la façon du kaléidoscope, instrument qui contient aussi des bribes et des morceaux au moyen desquels se réalisent des arrangements structuraux. Les fragments sont issus d'un procès de cassure et de destruction, en lui-même contingent, mais sous réserve que ces produits offrent entre certaines homologies : de taille, de vivacité de coloris, de transparence… » この論理はカレイドスコープ(万華鏡)の働きに似ている。胴状の容器に断片を詰める、それらが何がしかの仕掛けで構造的な調整をみせる。内部の断片は素材を壊して作成し、それらは似たりよったりだが、同一性を保っている。大きさ、色合い、透明度...など。

この後も続くが万華鏡の仕掛けを詳細に(この一文は35行)説明している。万華鏡とトーテム現象の類似には皆様お分かりかと。部族民における多様(些細bribes)なしきたり、儀礼などが鏡胴に充填する破片で、それら一つ一つには意味が見えない。しかしある原理、思考を通せば全体が構造を持つ「論理体系」に再構築できる。

上引用での鍵語は « arrangements » 調整である。この調整は仕掛け「論理」と協働する思考です、そしてその一様態の「分類」作業となる。部族民が見せる些細なしきたりの中身を吟味し、調整すると分類なる思考が浮かび上がるーとレヴィストロースが伝えている。

なぜ「分類」なのか?古生物学の権威、その分類法を確立したジョージ・シンプソン(190284年アメリカ)を引用する « Dans certains cas, on pourrait se demander si le type dordre qui a été élaboré est un caractère objectif des phénomènes, ou un artifice construit par le savant. =中略=pourtant le postulat fondamental de la science est que la nature est ordonnée, la science se réduit à une mise en ordre… » (Simpson, Principales of animal Taxonomy 1961)

訳;時折、その秩序立てを入念に考察された説にしても、客観的に事象を表しているだろうか、もしかしたら学者なる者の人工(机上の)作品に過ぎないのかに自問することがある。(この自問は必ず、ひっきりなしに起こる=中略部分)。しかし科学の基本とは自然は秩序を有するので、科学とはその秩序立てを探る学に要約される(22頁)。

シンプソンは近代科学の学究、彼の観点(世界を分類するとは、たとえそれが完璧でないとしても、何も分類しないよりは遥かに良い)、これをレヴィストロースが受けて ;

 « Or cette exigence dordre est à la base de la pensée que nous appelons primitive, mais pour autant quelle est à la base de toute pensée ; car cest sous langle des propriétés communes que nous accédons plus facilement aux formes de pensée qui nous semblent très étrangères »

訳;さよう、この脅迫感(秩序を組み立てないと)はあらゆる思考に取り憑いているから、我々が未開とよぶ思考の基礎にもあるのだ。彼我の共通の求め方があるとの視点を持つことで、非常に異質と思えるそれら思考形式を理解できるのだ(22)

実際例を本書に探る ;

Dogon族のフローラ植物界の理解は分類から始まる(54頁)。

植物は22家族に分けられる。家族構成は木、灌木、草と必ず3種。それらは父母、子などと擬せられる。またそれぞれは身体の部分はとある技術、社会の構成と交流(correspondance)関係をもつ。これら 植物家族は「単独生活する」「ともに生活する」の2形態に分けられる。

単独生活の植物はオスとメスに分かれる。おおよそ関連がない植物同士を(別居するが)夫と妻としている。雨期はつがいを組み、それぞれが子を持つ。メスはメスの種の子。オスも子を産みその子の種のオスを引き継ぐ。常に対に生活する植物もまた雨期に番いして、常に双子を産む。子はA植物がBを、BA 植物の子を生み分ける。

 彼らの分類法で驚かされるのは関連のない植物をcorrespondance(異種交信)させる奇抜さではなく、このcorrespondanceの考え方がアメリカ先住民にも見られる事実があるから。

植物にはオスとメスがあって、共棲していたり分かれて暮らしたりしているなどの世界観が例証される(北米Navaho, Obijiwa、ハワイ先住民などの言い伝え)。

Navaho族民族誌でDurkeim, Maussが報告した内容「生物は言葉なしと言葉ありに分けられ、言葉なしは動物と植物で動物は走り飛び、這いに3分され、それぞれは自然の構成要素と異種交信correspondanceを持つ」この宇宙には別の世界が存在する。

Ojibwa族はヒトと動物は通婚していたとの信心をもつ。古老は語る « Nous savons ce que les animaux font, quels sont les besoins du castor, ou de lours, du saumon et des autres créatures , parce que , jadis, les hommes se mariaient avec eux » 我々は。ビーバー、熊、鮭、他のあらゆる動物が何を必要とするのか、なぜそうした行動を取るのかを知っている なぜならかつて人は動物と通婚していたから。

ここでは狭い意味のトーテム(部族の祖先)を人類全体に広げている。

それ故に « Les êtres que la pensée indigène charge de signification sont perçus comme offrant avec lhomme une certaine parenté » 訳;先住民らが意味づけをしているそれら存在を、あたかも人との親戚関係がある大事な者らとみなしている。 « Les Ojibwa croient en un univers dêtres surnaturels » Ojibwa族(北米先住民)は超自然存在が住む別宇宙を信じている。; « ils ressemblent à lhomme en ce quils sont doués dintelligence et démotion. Comme lhomme aussi, ils sont mâles et femelles, et certains peuvent avoir une famille » (同)

訳;超自然者は人に似ているし知性と感情を持つし、人と同じく男と女に分かれ、家族を持つ。

ハワイ先住民が超自然世界を信ずる例を紹介する(Handyなどの民族誌から)。原文の紹介は省くが精霊、神々、人の精神などが人と共存する世界を信仰しているとする。北米先住民Ojibwa族と同類の信仰といえる。ハワイと北米の先住民には交流はない。それぞれが異なる文化生活を展開していた。

共通点は「先住民」の立場と新石器革命に獲得したscience du concret具体科学を信奉している人々である。かつ西欧の哲学科学が23百年前に獲得した「sciences modernes近代科学」の洗礼を受けていないに行き着く。大洋をへだてた両民族には共通項がある。その基本思想は具体科学にみられる「モノ」世界の展開である。

これら幾つか部族の分類法を挙げたのちレヴィストロースは ;





























 

古生物分類学の権威
ジョージ・シンプソン「理性
が分類することで宇宙を計る。
分類しなければ何も進まない」































植物はオスとメスに
別れ別居したり共棲
する
 

« Les classifications indigènes ne sont pas seulement méthodiques et fondés sur un savoir théorique solidement charpenté. Il arrive aussi quelles soient comparables, dun point de vue formel, à celle que la zoologie et la botanique continuent dutiliser. (60)

訳;先住民の分類法は方法論的であるのみならず、入念にして強固な一種の理論的知識の上に成り立ち、ある種の公式的見方をすれば、動物学植物学が今も用いる分類法にも通じるところがある。

この文の意味合いは ; Les classi...les定冠詞複数を用いている。意味は世界各地に先住民は分散しているが、彼らの分類の思考方法はアフリカであろうとアメリカ、アジアでも共通項があるとの主張である。その共通項はsur un savoir théoriqueである。un savoirとは「一種の」知識である。一種の理論的知識。理論的であるところは西欧と同等ながら、DogonにしてもNavahoでも「とある一種の」知識となる。ここで西洋の分類とは異なる意味合いをだしている、しかのそれは入念にcharpenterされている点には共通性がある。

動詞charpenterは材木を切るが原義、2義としてconstruire(構築する)。素材は前段階で異種交信の手段を経てarrangement(調整)されている。しかし材料、素材の種類に限定があるので、bricolageブリコラージュでみた「奇怪な」(西洋人の視点から)分類法が構築される。ある種の公式見方「un point de vue formel、」は不定冠詞とformel公式のを組み合わせて「そんな見方もあるかも知れない」程度、一歩退いた文の調子だ。表現にはなにやらの異質が醸し出されている。

 モノの思考「具体科学」を展開するとなぜ超自然世界を考えつくのか。

 « Les conditions pratiques de cette connaissance concrète, ses moyens et ses méthodes, les valeurs affectives quils limprègnent, tout cela se trouve et peut être observé tout près de nous, chez de nos contemporains que leurs gouts et leur matière placent, vis-à-vis des animaux, dans une situation qui est aussi proche que notre civilisation le tolère de celle fut habituelle à tous les peuples chasseurs… » ()

 訳;こうした具体的知識のみならず方法、手法そして愛情を込める事の価値など、これらを体得するに至る条件なるを考えてみると、同じ事が我々のごく近いところで見いだせると知る。その好み、そして選んだ職業によっては動物と向き合う同時代の人々、狩人....(続いてサーカス芸人、庭園管理者などを列挙している)

神話と寄せ集め技術の分析で「arrangement整え作業」なる概念で説明する。それらの行動は思考と感覚に動かされているとした。先住民が動物界を整える作業にはさらに「親近感」が溢れるとレヴィストロースは教える。先住民と自然界との距離感が我々よりも近く、親近感を持つにいたり具体科学を応用し、こうした世界観を持つに至った。

トーテム的現象は人の動植物界への賛歌かもしれない(部族民)。

 « De tels propos, sous la plume dun homme de science, suffiraient à montrer sil en était besoin que le savoir théorique nest pas incompatible avec le sentiment, que la connaissance peut être à la fois objective et subjective... » (54頁)

訳;こうした話題(人と動物の交流話し)を耳にするにつれ、一介の科学者たる者(レヴィストロース自身)の筆は、理論を追求する事と感情は両立していない訳ではないと身につまされる。知識とは客観的でありおそらく同時に主観的である、としたためる(54)

引用を続ける










 

カール・フォン・リンネ
生物分類学の父と評
される。没年は1778年、
日本では本居宣長、杉田
玄白らが同時代。
写真はネット
 

超自然への信心、そして動物自然への分け隔て無い姿勢。これらはscience du concret具体科学を信ずる民族部族に共通している。野生の思考の核心、トーテム的分類の核心に近づいているのか。 

 

尊師レヴィストロースは不定冠詞を多く用いて知識、思考を「一種の」「とある」と形容している。

  « Il nest donc pas excessif de dire , comme le fait lauteur de ces observations , que la distribution des plantes et des animaux , ainsi que des nourritures et matières premières qui en dérivent, offre une certaine ressemblance avec une classification linnéennes simple »

(62頁、ThompsonNamings in Wik tribesについての論評)

訳;これら事実については報告者(Thompson等)もそうと語るのだが、彼ら(Namings族)の植物、動物、食物とその素材に関しての分類法は単純リンネ式分類法と似通う点が無いとは言えない、こう言っても言い過ぎにはならない。

不定冠詞の修辞をこの文でも発揮している。une certaine...は「何となく似ているかも」が訳。une classification linnne...は「一種の単純リンネ式」。

リンネに「単純分類」なるバージョンがあったとは知らなかったが、この言い回しではDogon等と分類学の近代的始祖リンネと似通いは認められるものの、隔たりがあると判断せざるを得ない2の引用を通してのレヴィストロースの伝えかけは明瞭である。 

1.    近代分類法(リンネ)と先住民のそれは似通う。それは思考手順である。周囲を観察し、物事を取り込み、整理し、分解し再組み立てし、秩序たてて分類する。かく宇宙は成立すると説明する。

2.    両者が隔たる点は手持ちの道具の差。「正統」リンネ式分類は物をモノとは見ず、属性の集体としている。属性を取り集め整理し、分解している。

3.    先住民の分類法は形態の相似(morphologie)による arrangement(整え作業)、さらに「分解、再組み立て」の段階でcorrespondance(異種交信)を適用する。見聞きする周囲、手にできる道具の範囲(知識)で物事を整理し紐つけする。

4.    これら作業は具体科学が駆使する「モノへの拘泥」と「本質重視」の思考に立脚していると思える(部族民通信の解釈)。

知性、思考の進め方は全人類で共通とする首長から人類学が始まる。思考は先住民も文明人と変わらない。そこに流れる機能、用いる道具の差である。

 
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