専修念仏の法然、悪人正機を唱えた親鸞、2の上人の偉大さを改めて確認した







 部族民通信ホームページ 投稿 令和7年12月20日  発足開設元年6月10日
 
 サイト主宰
蕃神(ハカミ)義男
       部族民通信 
極楽上千年王国、死者は意識を持つ考  
 

(2025年12月20日)投稿子(部族民蕃神ハカミ)は本年(2025年)8月のYoutube夏季口座「生者と死者」にて、レヴィストロースの言葉「福音書の影響で西欧では死者は意識持つに傾いた」を引用した(悲しき熱帯Bororo族章から、この動画アドレスは (リンクhttps://youtu.be/GJrr_SdjYgI )。蕃神はとある事情に制され顔面露出は難しい故、Youtubeは渡来部が受け持つ)。福音書以前は「死者は意識を持たない」となる。この仕組みが福音書の語とともに、妙に引っかかった。

生者の死者観を自分なりの解釈を試みむとし、本草稿に至った。

訪問の皆様には上の唐突「福音書」の引用に首をひねる方々もあるかと。その前に少々の解説を挟むとす;福音書Évangileは新約聖書構成の主要部。イエスキリストの生涯と磔刑後の昇天を語る(マチウ、マルコなど4使徒の記録に分かれる)。彼らが伝える福音とは「良き報せ」、これが新約聖書の骨幹を形つくる。イエスが復活し神の国に昇天し世はいずれ終りを迎える。その暁に千年王国「イエス統治による王道楽土」がこの地に到来する(千年王国の語はヨハネ黙示録)。江東楽天地(東京錦糸町)には誰でも入れるが王国は入楽者を選ぶ。許される者は「最後の審判」で判定される「良き人」のみ。悪しき人は地獄に落とされる。審判に臨む死者は墓から蘇り、イエスの尋問に震え備える。

死者の名はジャン・ジャック、「ちょっぴり上級」一市井人で生を全うした彼は、どの心構えで審判に備えるのか、とある資料(未公開)を参考にジャンの審判作戦を詳らかにする。この瞬間のため土中の千年万年、意識を保ちつつ「作戦を練っていたのだ」。審判舞台に呼び出された。着座した目の前にイエス。ジャン、死衣の下は生涯最盛期の服飾、濃紺の上下を着し金色モールに真紅ネクタイ、胸に輝く大勲位は永年のお上貢献の証。イエスに向き直って「正しき業を営み職務を尽くした。かくも立派な服を」と左袖を張っては己をドヤ証明する。もし女なればとっておきの夜会服をキラキン見せつけ「妾ワラワは貞淑な妻にして...」胸先をゆるく広げる。

しかし人生回顧の陳述は審判のとば口。肝心は信仰の証明である。「それがしは敬虔なキリスト実行者でした。日曜礼拝の朝、祝祭の夜には必ず教会の末席を汚し...」と良き信心ぶりをジャンは披露する。フムフムとイエスは頷くが、正しき信者かどうかは埋葬次第の金の濃淡が決める。報告を開いて一読しジャンを見据えた。「汝は司祭ジョルジュから秘跡を受けたな、しかし文言は最上ではない、賽銭を出し惜しみしたな」とすっかりバレる。

ジャン「クソ神父め、余計な一節を入れたな、しかし悪いのは遺族、かみさん。葬式=Ensevelir=費用を出し惜しみしやがって」。もはや呪いは後の祭り。しかしイエスの前とあってはイガミ面を堪えて「永きは我の生、一時に、不如意懐寒さに怯えました。家族にもシマツ(節約)を諭しました。それをもって神への吝嗇などとは」、ワーッ泣き崩れた(格好を見せた)。演技と知るもイエス「まあ良いか、汝は天国」「ヤッター」

ここで留意の2点を挙げる。その1「正しくに葬られる=ensevelir」耶蘇式に必須は3点、死衣を纏う、祝福を受ける、墓に入る」いずれも金がかかる。しかし生者は工面してでも正しい埋葬に努める。 « Malgré sa douleur il voulut lui-même ensevelir son fils. 悲しみをこらえて、男は息子に死衣を着せるのを望んだ » この前文で彼は貧しく己の分一着の死衣しか持たない、この一衣を息子に着せると、己は死んで着する帷子を持たない(引用は辞書Robert)。死衣なしには天国に入れない、帷子着せずに埋葬すると死者の恨みを生涯被る。亜麻布リネンの帷子は高価。

耶蘇教葬式の知識;「故人を偲び、故人のために祈り遺族を慰める通夜を行な う。葬儀はミサ(聖餐式)で行なう。このミサがレクイエムで始る」このあとも延々と続く(お葬式-Plazaサイトから)。

天国に入るか地獄に落ちるか、葬式の金掛け次第。

その2「死者は土中にて覚めて寝ても自身の記憶を保つ」。意識を保ち身構えているのだ。このあたりをSNSでは「死んでから復活するまでの中間状態、活動する肉体のない不完全な段階である。次がキリストの再臨後の復活した体における生活で永遠に続く段階である。こ の間、意識は持ち続ける。誰も死後、永眠できない(お葬式Plazaサイト、一部加筆)

死者は「意識を保つ」との信心に福音書が相当に貢献したーとレヴィストロースが教えている。それを近世とするが、何時からかについては後に語る。

部族民の関心は「本朝永きは2000余年、我ら祖先は死者をどのように理解していたか」日本人の死者観、それを探る。

神代から古代中世まで日本人は、死者に意識を与えなかった。原始の信心、後に神道と呼ばれる宗教では見ても触れても近づくもならない、穢れとして死は忌避されていた。穢れ死者は黄泉の国に落ちる、としかこの宗教は教えない。黄泉での死者の様を教えるは古事記、伊邪那岐が死した伊邪那美を訪れるあの衝撃場面。彼女はすでに腐乱死体、鬼と化けて伊邪那岐を引きずりこもうとした。

言葉から死者観を探る。

野辺送りとは死者を葬儀場に送る葬列をいう。岩波古語辞典(大野晋)に尋ねると「野辺とは野」「葬送の野」とある。「送れば帰らぬ習いの野」(古語辞典)。人を送る(捨てる)場で墓と記されない。死者を打ち置き腐乱に任す。そんな消えゆくだけの死者に意識はあるだろうか、無いと云わざるを得ない。

「野辺参り」なる語は見当たらない。野辺の亡者にお参りする人はいない。祀るとは墓に死者を安置する儀礼。なれば生者はお参りを施す。「墓参り」なる語とつながる。

死者は来世を迎えられるとの信念を心に、捨てられた遺骸に息を吹き込み弔ったのは空也。

空也(903~972年)は、念仏を唱えながら各地で道を作り、橋を架けるなど社会事業に従事しながら諸国を遊行する「阿弥陀聖」と呼ばれる(Wikipedia)。

鳥辺野は京都市中に位置し、死骸を捨てる葬送の場、野辺、であった。空也はその入口に六波羅蜜寺を創建し(951年、創建時の名称は西光寺)、遺骸の菩提を弔いお骨にして墓に安置した。

この弔うを探ると;「菩提を」とは、死者の冥福を祈り供養することを意味します。もともと「菩提」は仏教における「悟り」を意味しますが、日本では死者の「冥福を祈る」という意味で使われるようになった言葉です (GoogleAI)

空也が死者は祀らねばならない拠り所とした浄土教は、死者は意識を持つと教える。この切り口から釈迦の教えを浄土教と比べる。

釈尊は「一切の苦しみは執着(欲望や思い込み)から生じる」という真理の解明と、それから解放されて「安穏で幸せな境地(悟り・涅槃)」に達することにあり、心(思い執着)が現実を創造するため心を手放し、ありのままを受け入れること(諸行無常・諸法無我の理解)を説いています」「いかなる思いをも捨て涅槃の境地に達して死ねば輪廻転生の苦しみから抜け出せる」(GoogleAI

死者は意識を持ってはならないー釈迦の教えです。

一方、浄土教(じょうどきょう)、中国の北魏時代に慧遠(334~417年)が説き、唐代の善導が提唱した。阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く大乗仏教の一派。観仏や念仏によって阿弥陀の浄土に往生しようと願う教え。如来は自らの名を称える者(「南無阿弥陀仏」と称名念仏をする者)を必ず極楽浄土に迎え入れるという誓いを立てたとしWikipedia )。

釈尊教えを尊ぶ南伝(上座)仏教は死んだら意識を抹消せよ。北伝(大乗)は死しても念仏を唱え極楽往生を祈れ!原始信心の「意識はない」から、解脱か浄土か方向は異なるも、死者意識に関心が向いた。

さて空也の念仏、それは死者が元々具有していた意識を励起したのか、意識ない死者を浄土に誘導したか、いずれだろうか。部族民は後者に思える。空也の死者にはまだ意識がなかった。活動の時代(10世紀後半)は「死を忌む古代」信心を引きずっていた。僧侶の唱える念仏が客体の死者を浄化して極楽に導くーと空也は信じていた(私感、部族民は宗教史には門外なので誤りかも知れぬ)。

時代は下がって12世紀。

浄土教は飛鳥時代には伝わっていた(GoogleAI)、その頃も後も、本朝では現世利益の助として加持祈祷を専らとする仏教(真言宗)が優勢だった。真言は貴顕高位には精を尽くしたが、衆生は救わない。人々は救いなる思想を知らぬまま、死骸を野辺に放置していた。空也の活動は上記の通り。上人の実践した浄土救いは法然に受け継がれる。

専修念仏(せんじゅねんぶつ)とは、法然上人(1133~1212年)が開いた浄土宗の教えの中心で、他の修行(雑行)を捨てて、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることに専念し、阿弥陀仏の力で救われ極楽浄土へ往生しようとする実践のことです。この教えは、修行の難しさに関わらず誰もが平等に救われる道を示し、民衆に広く支持され、法然の門流は「専修念仏宗」とも呼ばれました(Wikipedia

親鸞、一遍らが活躍する(13世紀)。

一遍は(1239-1289年)は、時宗の開祖とされる。法蔵比丘の誓願によって衆生は救われている。「南無阿弥陀仏」の各号を書いた札を民衆に配り(賦算)、民衆に既に救われていることを教えて回るというものであった。(Wikipedia

一遍に至って死者の意識保持は明確となった。しかしすぐさま国民的普及へ直線に進んだとは言えない。寺の創建の数から見ると16世紀後半を待たなければ広範には広がらない。「寺がいつ創建されたかを調べると、9割弱のお寺が、室町時代後半から江戸時代の初頭の約150年の間に建立されている。つまり150年間の間に、寺が7〜8倍近くに増えているのです。(sougiya.biz
この時期に創建された寺院の多くが極楽浄土を約束する浄土宗派と推測できる。傍証として「今の日本、最も信者数(寺数に比例)多いのは浄土宗、浄土真宗など浄土系の宗派です。 浄土真宗本願寺派が約775万人、真宗大谷派が約728万人、浄土宗が約602万人」(文化庁・令和5年版「宗教年鑑」)。

「遁世僧」が民衆への普及に尽くした。法然、親鸞、道元ら鎌倉新仏教の僧侶、または明恵、叡尊といった旧仏教改革派の僧侶たちを指す。彼らは国家公務員である官僧と異なり庶民の救済に務めた。「穢れ」を克服する理論があった。例えば浄土宗開祖 法然は阿弥陀仏に帰依し「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで極悪人でも極楽往生できる、救われると説く(GoogleAI)。

親鸞の「悪人正機」善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや、は悪人(自身で悟りを開けぬ)多くの庶民の心を掴んだ。

レヴィストロースに戻る。

欧州、意識を持たない死者が(古代)、意識を持つ死者に移り変わる(中世)。きっかけが福音書。特にカルヴァン(1509~1964年)派の興隆に伴い、死後復活の思想が隆盛となった。レヴィストロースが示さなかった近世転換のきっかけはプロテスタント勃興16世紀と推察する。(同派の教え)神の主権と予定説: 神の絶対的な意志がすべてを決定し、人間は救われる者と滅びる者が神によってあらかじめ定められていると説く(GoogleAI、己は選ばれていると誰もが信じるから働く)。

(欧州における救いの庶民化)は部族民が説いた本朝、死者の意識変遷と重なると思う。両地域とも;

1      古代には死者復活の信心を持たない(部族民は欧州古代人の宗教信心には疎いが)

2      後に広範思想の大系を持つ「世界宗教」の伝播を受ける

3      死者意識の一般化、天国の庶民解放(16世紀)

日欧の交流はなかった時代、すると両地域ともに1~3が自然発生したのだろうか。庶民に観点を置いた宗教史、両極の対照となろうが、部族民には手に負えない。了

追記:キリスト教は善人を選ぶ、浄土教は悪人も浄土を許される。親鸞の偉大さは世界宗教史で群を抜いている。

 

 

 








福音書の1頁クリック拡大







Youtubeの
サムネイル









耶蘇教の葬儀に
欠かせない死衣Linceul
白の亜麻布













 

空也像
東京国立博物館サイトから