部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
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歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判 1

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College de France
フランス学院教授
Chair室の
レヴィストロース

レヴィストロース著「野生の思考La pensée sauvage1961年出版Plon」のHistoire et dialectique歴史と弁証法第9章(最終章) はサルトル批判です。今回採り上げるにあたり文意に盛られる基本主張を取り出し、筆者の論点に沿いながらサルトルの主張、思考と対比したい。ここでは « Ne perdre pas de vue » 視野を失するな―これを原点を見失うなに言い換え、その戒めに沿って進める。

3原点>

1      理性論、ヘーゲルの亡霊    
   弁証法は神弁証法は補完

   

2      歴史観、レーニン毛沢東主義
   サルトルの立ち位置 

3      未開文明とは
   出来損ない文明

 

1理性論、ヘーゲルの亡霊

宇宙は弁証法 « dialectique » なる「公式」に支配されているとサルトルは主張する。弁証法を「神」と崇め歴史、社会、事象、思考を弁証法の発達段階で定義する。「知」も弁証法の配下にある。この弁証法は「唯物弁証法」です。一方でサルトルは分析理性 « raison analytique » を捨てず、その手順で歴史弁証を説明する。この矛盾がサルトル弁証法の基盤のあやふやさ « paralogisme » (誤謬推理) 、彼自身が思考の巡りで動揺している。(本書299頁)。

サルトルの言い分を採り上げると「分析理性を全面に出して宇宙を説明する手法は「見せかけ屋=esthète」の怠け者の論理(本文から)にすぎない、なぜなら宇宙は弁証法で出来上がっている、分析とは「見かけ」を批判しているだけ」。これは唯物弁証法の教条そのものです。

 

弁証法を思想史の流れから紐解く ;

弁証法とはプラトンに始まる、それが1番目。2, 3を飛ばして4番目はヘーゲル、彼の弁証法は « elle est l’idée de développement elle-même, se développe dans la nature et histoire, n’est donc que le reflet de l’automouvement personnel » (Dictionnaire de la langue philosophique Puf)

弁証法とは自然、歴史は人の自律思考の反映であり、それ自体が自律的に発展するとの思想である。(個の思考が自然、歴史に反映される。唯心論の弁証法です。へーゲルはフランス革命こそが「個の」思想が成し遂げた歴史の大事例と大見得を切った。さもありなん)

« L’idéalisme absolu comme la loi de la pensée et du réel, qui, progressant par négations successives (affirmation ou thèse, négation ou antithèse) résout les contradictions en accédant à des unifications (ou, selon un vocabulaire désuet et peu précis, Synthèses » (Dictionnaire de philosophie, Nathan) 

思考と実際を統合する絶対思想である。連続する否定を通して発展しながら、統合(unification)に結びつき対立を解決する。連続否定とは肯定(affirmationthèse、主題)の提示から始まり、否定(négationantithèse反主題)の繰り返しであり、統合、これが(古臭くあやふやな)サンテーズSynthèse止揚につながる。

紹介したヘーゲル弁証法は皆様ご理解していると存じます。ヘーゲルのこの「仕掛け」をサルトルが流用する。後に紹介する語彙(サルトル用語)のintérioriser(内省化)、totaliser(総合化)、extérioriser(発露)は、まさにヘーゲル三段構え弁証法の仕組みを、実存主義の手法で引き継いだ風合いを見せている。

 

レヴィストロースの弁証法解釈を探り、サルトルとの対比で両者の違いを明確にする ;

カント:事象を吟味する理性は「先験transcendantal」に支配される。理性発動 « entendement » と先験を重ね合わせると « dialectique transcendantale » 先験的弁証法(仮訳)となる。ここでの弁証法は  « réfutation » として知られる。動詞réfuterrepousser (un raisonnement, une proposition, une opinion) en démontrant sa fausseté誤謬を指摘しのちその説明(提案、意見)を再び取り上げる(Robert)となる。まず主題を吟味して、誤りを訂正するための否定手順を執る。主題に誤り(fausseté)が見つからなかったらréfutation(反主題」を提起しない。理性が発動するから、(ヘーゲル的)脳髄反射による否定は見当たらない。












 
サルトル
アレキサンドル三世橋の上
右はジャンプイヨン
   

 « Logique de l’apparence (par opposition à l’analytique qui est la logique de vérité) : L’apparence de rationalité consiste dans la rigueur du raisonnement, mais cette rigueur n’aboutit pas à la vérité, car les raisonnements dialectiques appliquent aux choses en soi, ou en noumènes, des principes qui ne valent que pour les choses pour nous, ou phénomènes » (Dictionnaire de la langue philo. Puf)

分析論理は真実を追求する論理である。弁証法は「形態」 « apparence » の論理である。この思考行程は厳格に理性によって統制されるのだが、真理に到達しない。なぜならこの理性は、いくつもの原理を形作り、それぞれは物、我々、あるいは事象など個々の事例にしか値しないからである。

 

訳も悪いが元々が分かりにくい一文。分解し理解にこぎつけると ; 弁証法は真理を求める論理ではない。形体 « apparence » を探る 。形体は事象、見える聞こえる現象と理解する。事象は(その物を)取り囲む現象の周囲でのみ有効な原理を形成する(一過性であり挿話的である)。よって弁証法の働き具合は(地域的、挿話的に)個別的である。とある事象の進行を他の、地域も挿話も異なる別の進行状況に、無批判に応用できない。(ここがヘーゲル、マルクスの弁証法との差のカント弁証法)

一般的化に至る分析理性とは異なり、個別例での応用にとどまる。

レヴィストロース弁証法はまさにこのカント弁証法である。あくまで第一理性は分析理性であり、弁証法は分析理性の補完。概略(形体化)を用い、真理に肉薄するけれどその理性工程は個別的である。真理の追求ではない(この辺りは部族民の解釈)。

 

= 弁証法は神(サルトル)、弁証法は理性の補完(レヴィストロース) =

 
   

第二の原点「世界観、歴史 レーニン毛沢東主義」

ヘーゲルの思弁優位をモノ優位に逆転させたマルクス弁証法とは ; « Chez les Marxistes : adaptation de la conception hégélienne au matérialisme de Marx, Hegel étant idéaliste, attribue le processus dialectique à l’idée. Marx et Engels voient les processus dialectiques dans la matière dont la pensée ne constitue qu’un reflet ; c’est fondamentalement dans la matière que s’opposent les contraires et que se réalise la conciliation » (Dictionnaire de la langue philo. Puf)

観念論者のヘーゲルは弁証法の論理展開を観念の中に置いた。マルクス主義者にとってマルクス唯物論者はヘーゲル思弁論法を物質の自律運動の説明に取り込んだ。もはや思考は物質の反映でしかない。対立が生じ解決に向かう(唯物弁証法の)工程は物質の動きに起こる。

もう一文、

 « Marx et Engels accepteront cette dialectique hégélienne comme méthode mais ils en inverseront le sens, en la faisant « descendre du ciel sur la terre » pour appliquer à l’étude des phénomènes historiques et sociaux, fondamentalement aux facteurs économiques : ce n’est plus l’esprit ou l’idée qui détermine le réel, mais le contraire et les marxistes ultérieurs élaborent en système rigoureux ce matérialisme dialectique » (同)

マルクス・エンゲルスはヘーゲル弁証法の工程を引き継いだ。しかし「方向」を逆にした。歴史と社会、特に経済現象に応用するため、ヘーゲル弁証法を「天から地に降ろした」のである。もはや現実を規定するのは精神でも思考でもない、その反対(物質)である。マルクスを引き継いだ共産主義者(レーニン、毛沢東)は唯物弁証法を厳格な支配システムに練り上げた。

(この2の引用文を持ってして、唯物弁証法を肯定すれば個が「体得」した理性などは、モノ活動の前に無力であるを認める)

皆様お気づきかと、精神かモノか、弁証法の主体は両者で分かれた。真理は一方にしか存しない。思弁弁証法とモノの弁証法が並立する宇宙は存在しない。サルトルは世界観(歴史弁証法)においてはマルクス理論を過激化した「レーニン毛沢東理論」(暴力革命)に心酔した。弁証法を神の理論と位置づけ、レーニン史観を肯定するとは暴力革命を受け入れている(彼の外訪先はソ連、中国、キューバ、日本。日本を除いて暴力革命で政権を奪取した共産国家である)。

しかし弁証法の仕掛けにおいて理性が介在する場を設けている。モノの弁証運動を個が思弁で経験する。ここにヘーゲルの思弁論法、それと実存主義の理念を混入している。ここがレヴィストロースが指摘したサルトルの陥穽で、かつ本投稿が原点の一つとして採り上げた主題でもある。

 

原点の2(歴史観)でのサルトルの立ち位置 ;

実存主義は個が外部を経験した後に、知(自由)を獲得する。存在を学ばないとヒトは知を獲得できない。サルトルはレーニン毛沢東弁証法にこの過程を生体移植した。個が、絶対の存在のモノ弁証法を経験して、自由を得る。モノ弁証法の宇宙を個が、実存的に経験してのち、世界観、歴史観を得る。それが « intériorisertotaliserextérioriser » 過程であるが、ここに実存主義なる分析思考が紛れているではないか。

この点こそレヴィストロースが指摘した「神の理論に人の分析思考(raison analytique)の関与を許す」に当てはまる。理性論と歴史観に跛行が認められる。サルトル誤謬の原点と指摘したい。

レヴィストロースの歴史観とは、

歴史とは地理的に孤立し単発で発生する事象(anecdote挿話)を経時的につなげ統合化する「思想」である。民族学は地理的に接合する逸話を採取し共時的に統合する。事象を分析する手口は歴史と民族学では対称的であるとしている。民族学文献が民族学者の「思想」であると同じく、歴史は歴史家の「思想」とレヴィストロースは規定します。ここでカントの図式化 « schématisme » と整合する。

 
 

ついでに大変興味深い一節を :、

 « Le Marxisme n’est pas seulement une théorie du socialisme, c’est une conception du monde achevée, un système philosophique d’où découle naturellement le socialisme prolétarien de Marx. Ce système philosophique porte le nom de matérialisme dialectique. Pourquoi ? Parce que sa méthode est dialectique et sa théorie matérialiste »

マルクス主義は単なる社会主義理論ではない。それはやり遂げた(究極)世界の概念でありプロレタリア社会主義を生み出す哲学システムでもある。この哲学体型は唯物弁証法との名を持つ。なぜか?なぜならそれは弁証法の手順を取り、唯物論の理論を抱くからである。

共産主義の教条をあからさまに表現した一文、そのはずスターリン著「無政府主義対社会主義」の第1巻序文である(原文はロシア語、ネットで仏訳を孫引きした)。

 

3の原点(未開文明論)

歴史弁証法は真理であるからどの社会にも隔たりなく適用される。

「西欧も日本も共産社会化する間近にある」(1950年代の左翼コミンフォルム思想の典型)と嘯かれるまでに至った。革命を実現せむと日本共産党が日本体制に破壊工作を実行していた時期である(51年綱領)。先住民社会はそうした歴史特異点に向かう兆候を見せていない。彼らの歴史進展はなぜに遅れているのか。唯物弁証法は先住民社会には適応できないのか。疑問が歴史弁証法信奉者(実はサルトル)に投げかけられた。

難問に対して「未開社会は文明社会とは異なる」が彼の答え。

歴史の運動志向(ベクトル)が違う理由は「人間が違うから」。「文化の優劣」理由付けに用いられた「説」を採用した。主唱者はレヴィブリュール(18571937年パリ)など20世紀初頭の社会学者。しかしこの時は1950年代、もはや「劣等民族」説は通用しない。気づいたサルトルは反省したかこじつけたか、一捻りした。先住民社会が共産革命に向かう「経済の過熟」を見せていない理由を ;

「彼らの歴史も弁証法に支配されている。しかしその弁証法は繰り返し短周回式なのだ」と決めつけた(une dialectique répétitive à court terme、サルトル著La critique de la raison dialectiqueから)。さらなる質問「なぜ先住民はショートサイクル弁証法を選んだのか」には « une humanité rabougrie et difforme » 出来損ないの片輪だからさーと答えた(第9章本文から)。先住民への偏見「人間の質(たち)が違う」に戻ってしまった。

社会人類学の原理は先住民も文明人も同じ思想、行動を見せる。上記サルトルの言葉は、知能の優劣の2種に人類が分離できると公言するもので、レヴィストロースにとっては看過できるわけがない。かく、レヴィストロースはサルトルの偏見を見抜き、糾弾したのだ。

 

本著「野生の思考」の各章で未開社会の色々な事例、それらの解析、主唱する「具体科学」の思考を取り上げ、未開社会は近代西欧社会に劣っていない、この論拠をレヴィストロースが提示しています。作成したPDFを掲載します。

「思想(モノの主体の具体科学)、世界観(分類法)、哲学(因果の究明)、技術(寄せ集めやりくり)の思考体系」を先住民は奉じている。近代科学はモノ主体を抜け出し、形体の属性分解にたどり着きニュートン、ダーウィン、クリックなどの成功を導いた。モノ主体(先住民の科学Science du concret具体科学)にしても近代科学の属性分解にしても、思考の手順に変わりはない。思索の優劣は論じられないとレヴィストロースは説きます。

 

文頭に掲げた3の原点、1理性論 2世界観、歴史 3未開文明論についての両者の思考、立ち位置の差を論じました。

 歴史と弁証法Histoire et Dialectiqueサルトル批判 1 了




 
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スターリン著作
出版は1950年
在庫無し
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