部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
主宰蕃神(ハカミ)義男        部族民通信  ホームページに 人類学のページに 読み物のページに  
 石器の作り方、思想がヤバイのじゃ(Leroi-Gouhran先生の知恵を借りる)  
 Youtube動画にリンク、
下記アドレススをYoutube
検索窓にコピペ(10分ほど、演者渡来部)
 https://youtu.be/6hn28lbUbn4







現在のオルドヴァイ渓谷、写真はタンザニア観光協会サイト










 Leroi-Gouhran先生は1930年代に北海道でアイヌ調査を行った。写真はネットから。
戦後はソルボンヌを拠点
にして民族学研究室を主宰した

 

今を去ること300万年前、場所こそその地はアフリカ・タンザニア、今の名でオルドヴァイ。この現世にうごめくありとあらゆる人々のご先祖、後にオーストラロピテクスボイセイと呼ばれることになった、猿に似た御仁(ジンジャンとする、かつてはジンジャントロプス・ボイセイと呼ばれていた)が木陰に座って石ころを両手に握って「カチカチ」ぶつけ合わせていた。なにやらを作成するつもりらしい。

一心不乱の二刻がおよそ三時間、作業の末に出来上がった四角の石が五ケラほど:

石器



どうやって石器を作成するか?民族歴史学の大家Andr
é Leroi-Gourhan1911~1986パリ)はなんと説明しているか Le Geste et Parole” 動作と言葉(1965年、パリ・アルバンミッシェル出版)を紐解こう―

« Les galets éclatés de la pebble culture répondent précisément à un stéréotype attesté par des millions d'objets. Leur confection suppose deux galets. L'un jouant le rôle de percuteur. L’autre recevant des chocs. Le choc est appliqué sur l'un des bords, perpendiculairement à la surface, et détache un éclat qui laisse sur le galet en tranchant vif, ; deux ou trois éclats successifs font un tranchant plus long et sinueux » (Le geste et la parole, page 133)

礫石文化の手法で加工された石器にはある共通した特徴が挙げられる、それは幾百万の資料から例証されている。打ち下ろす石と打撃を受ける石の2の石を使用すると推察される。両側面の片側に、表面に対して垂直に衝撃が加わり、鋭角の刃筋を残す。2から3回の打撃を続けて刃をより長くかつ曲線を描くように形成できる。(同書133)

« Il y a lieu de constater que l'opération implique un seul type de geste, le plus simple :  frapper le bord du galet à 90°. Un geste faisant naître un bord tranchant et vraiment le point » (dito)

この点は解明しなければならないが、この作業は一つの、最も単純な動作を課す。それは石の脇に90度で振り下ろす事。この一つの作業が側面に鋭利な角度を作る(同)

なるほど振り下ろすとは垂直で腕を振る。この動作が力学的に有利(疲れない)、かつ衝撃を与える場所、落下点に狙いが定まる。ジンジャンでも今のホモ・サピエンスでも同じでしょう。

Leroi-Gourhan先生にご教示を賜って、ここからが部族民(蕃神)の論点 ;

石器の中でも最も原始的とされる握斧(挿絵)、製作はいくつかの過程に分解できる。各過程はかならず良+(プラス)か不良-(マイナス)の結果が生まれる。種石(石器となる石)の先端部を打石(ジンジャンが探しだした材料と治具)で振り叩いて辺に鋭角を作る。石器の形状を決めるのが種石への最初の振り下ろし、これに成功+を決めなければ、次に進めない。打石をおとす箇所と力加減を適切にしなければ破断面の鋭角が取れない、わずかにも入れ過ぎた力がNGで-。せっかくの種石は使い物にならない。振り下ろしと叩き削ぎ、幾度かの繰り返しの全てを+に成功すれば切り口も鋭い握斧をジンジャンはモノにできる。

不良-は油断一瞬でたちどころに台無しで、良+に上げる作業は厳しい。種石に打ち込む箇所はミクロン単位の制約を受ける。2択ながら、成功確率は不良NG100分の1ほどであろう(数値は全くの推測です)。

ジンジャンがミクロンの精度を制せない不器用だったら、彼と家族の腹は肉にありつけず腹が減ったままだ。早死する、不器用は子孫を残せない。ジンジャンが根気よく丁寧に、見据え調整をいてながら石を振り上げ叩き下ろしていれば、石器がモノにできる。器用ジンジャンは肉をたっぷり食える。嫁さんなんか選り取り見取り。猿顔のヤバイ娘なんかは払い除けて、笑顔の娘を選べる。子供にも肉を食わせるから成長する。子孫も繁栄する。石器がヒト属未来をカッコたるものとした。






パワーポイント(PDF化)

ショートムビー




 




André Leroi-Gourhan1911~1986パリ)と  Le Geste et la Parole” 動作と言葉(1965年、パリ・アルバンミッシェル出版)






作り方奥義を極めたい、制作工程を分解しよう(右図、Le geste et la paroleから) :

1      渓谷をうろつき石器に好ましい(黒曜石に代表される火成岩 の)石ころ=種石を拾う

2      打ち下ろす打石を探し拾う

3      種石を左手に握って右手には打石、ガチンと叩く

4      半分に割れた核石を検分する、石器向きの手頃な片辺を選ぶ

5      種石に刃をつけるためにコツンコツンと時に力を込め、手加減して十数回を打っては見極めて、全て良ければ出来上がり

この過程を(とりあえず)15の作業としよう。全てに成功(+)しなければ石器にならない。ここでは全て工程で成功か失敗かの確率を、大甘に、二分とする(実際は失敗よりも成功は厳しい)。215乗が石器を得る確率。べき乗サイトで計算してもらうと ;

32,768

となる。32千分の1の確率を見事に乗り越え石器を作ったジンジャン、スゴイ~。

選別眼の確かさ、手先器用さ、集中力で石器を手に入れた。それだけだろうか、全く違う。前の文には最も重要な能力を無視している。それが :




 
石器制作の指南書



3万回の確率の困難さの図解
クリック拡大
   

思想

己が何を作るのか、そのデザインを頭に入れておく。形状、重さ、刃と握り背の位置具合など。そのためには何に使うのかを定めるが必須。その何かにどのように刃を当てる、どうやって切り取るかも定めておかねばならない。そこでジンジャンの立場を推測する : 

動物を狩って解体するために道具を用いる。「オレの身に鉄はまだ手に入らない」ならば硬いのは石、石器を作るべ。獲物は動物、奴らには毛皮が付いている。これを剥がすのに苦労する。猫科動物は犬歯が鋭いから、歯先で皮を剥いで肉にありつける。鳥でそれをできるのは大型の猛禽類。ヒトは鋭い歯も先が曲がった嘴も持たない。やっと仕留めたインパル鹿の腹に噛み付いても指で引っ掻いても皮を開けられず肉にたどり着けない。刃のある道具、石器をジンジャンが考えついた経緯でした。

(余談:ジンジャンなどは動物を狩り取れないーと述べる御仁は多い。しかし300万年前、インパルなどは人が獣を狩ると用心していなかった。南極ペンギン、鳥島のあほう鳥と同じ無用心さだった。ジンジャンは棍棒を隠して「おいでおいで」と近づいて、頭をポッコ~ン。狩り放題だった)

すると石器とはそのものの思想=表象に加え、それを取り巻く外周の思想事情がありそうだ :

1      解体する道具の表象を頭に描く

2      肉を切り分け分配する社会制度がなければ、狩りも石器もあり得ない

3      これらを体系として次世代に教える交信技術(言語)。石器時代は230万年継続した。12万回の世代交代が数えられる。その度に親ジンジャンは息子に「石器とはの~作るだけでは駄目なのだ」とデザイン制作技術のみならず、石器価値(族民団結の象徴)石器倫理(肉を独り占めにするのではないぞ)を連綿として教えていた。

4      人類はオーストラロピテクス、ホモハビリス、ホモエレクトスなどと進化するたびに属名が変化する。しかしいずれの属も「石器思想」を頭に描く表象能力を持ちその価値を理解し、それを言葉で伝えていた。思想を持つがヒトの特徴です。230万年前にヒトとしての思想、言語、制度、倫理を確立していたとの証左が石器です。

(握斧の形状を分析し、用途は「皮剥」と肉裁断と独断した。オーストラロピテクスは狩りの技術、少なくとも小型哺乳類は仕留められるまでの狩猟技法をモノにしていたと部族民は信ずる。ネットでは初期原人の肉摂取に関してライオンの食べ残しを漁った、骨を砕いて髄を食った説明が主流のようだ。その段階では石器は不要、石ころで間に合う。最古の石器は230万年前でジンジャンの世紀と重なる。ジンジャン石器は「デザインエンジニアリング」の嚆矢でありヒト文化の濫觴であったと感じ入る次第です)

 

当時のオルドヴァイ渓谷にはジンジャンを越える運動能力と咀嚼能を持つゴリラとかチンパンとかの祖先(ひっくるめてゴリチンと名付ける)が住んでいた。ジンジャンがたらふく肉にありついているをやっかみ、ゴリチンも石斧を作製挑むとす;

種石と打石らしき拾ってきた。石をカチカチとやり始めた。しかし昔のゴリチン今のゴリラなども、「道具」なる思想を持たない、作る際のその何かの表象が頭に浮かばない。いい加減にカチカチやるだけである。すると32千の確率が立ちはだかる。確率試練の厳しさにゴリチントーサンは足を引っ張られ、幾千幾万回をカチカチしても石器にたどり着けない。飽きて石を放り出した。

ゴリチンらが石器を作れない理由は思想、表象能力の欠損に集約される。ジンジャン(あるいはラミダス人)が思想を獲得した瞬間に猿類とヒトの分岐が始まった。脳ミソの大きい小さい、二足か四足歩行かで分離したのではない、思想を持つか持たないかの差です。





思想を持たなければ
石器は制作できない
使用できない
孫子の代に伝えられない





















 
人の思想のあり方。脳みそに表象を持たなければ何も作れない。ジンジャンは300万年前にすでに表象を勝ち取った。彼は人だった。
 

部族民通信が所有する旧石器画像を特別公開する。

矢じりと握斧

矢じり先端に欠けがある。これは製作工程での失敗か、狩りに用いて見事熊を射止め骨に当たった破損かはわかりません。

握斧は歯がついていない、おそらく長年の使用で刃先が摩耗したと思われる。

このように「気持ちよく」握れる。

出土地は秋田県能代市二ツ井町の河原。部族民(渡来部)の同年輩で親族の方の曽祖父が同町(当時は村)に移住して(明治30年代の後半、1906~7年)、近隣の農民から奇妙な石の話を聴き込んだ。案内してもらって十を越える旧石器を発見した。この曽祖父にして昔の石の道具との理解はあったが、旧石器なる概念は持っていなかった。そのうえ当時は日本には石器時代はなかった、最初の日本人は縄文人とー思われていた。とりあえず「帝大」(東北大学か)文学部に資料を送って鑑定を依頼した。文学部(に籍を置く考古学者)は日本に石器があるはずないとそれらを一笑にふし、鑑定を拒み資料も返してこなかった。以上は渡来部がこの方から伺った経緯です。

群馬県岩宿の縄文遺跡の下層(赤土)から旧石器が発見されたのは1946年、第一発見者は在野の考古学者相沢忠洋氏。この曽祖父はそれを去ること40年ほど前に旧石器を発見したのだが、当時明治期の学術「常識」の影響を受け、それ以上の追求はしなかった。





 
ヤジリ秋田県二ツ井町出土




握斧 同出土
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