|
土曜の朝、集団住居の入り口の辺り、犬のけたたましい吠えが止まない。cascavel、毒蛇がとぐろを巻いていた。立てた尻尾を振り鳴らすガラガラのかすれ音から怒り狂っていると分かる。薬草採り団長は俗医師に蛇退治を命じた。医師は拒否する。団長は「お前は免疫を受けているだろうに、蛇を捕まえられないなら、怪しい術だ。手下への免疫は取りやめだ」けしかけた。
35万円の報酬は諦めきれず、蛇に手を出し咬まれて俗医師は死んだ。以上が現地人から聞いた土俗医痛恨の失敗譚。
これを語った現地人は「実は私も予防を受けた、最後に免疫効果を確かめるために腕を蛇に咬ませた。その蛇は無毒種だった」と打ち明けた。ここに語られている人々の判断、そして考え方についてレヴィストロースはそれが「ブラジル内陸部に共通」する心情としている。さらに;
« de même , pensait sans doute
mon interlocuteur de Rosario » ロザリオ(アルゼンチン二番目の市=当時)出身の通訳にしてもこの(ブラジル内陸の民衆)判断を同じに持つとした。であれば南米の住民に広く伝わる判断、考え方の様態である。
いったいこの「判断、考え方」とは何か。レヴィストロースの注釈が入る。
« il illustre bien ce mélange de malice
et de naïveté – à propos d’incidents tragiques traites comme de menus événements
de la vie quotidienne qui caractérise la pensée populaire de l’intérieur du Brésil
» 悲劇的な結末を日常の出来事のごとく取り扱う語り口から、思考に信じやすさと悪意の入り交じり模様が浮かびあがり、ブラジル内陸民衆の心情はかくありと伝えている。
「naïveté信じやすさとmalice悪意」が南米に広く伝わる心も持ち方、行動の起因であると。
maliceの意義は「悪意」であるが「悪意の籠もった口出し」。すなわち意識のみならず、具体的行動にも及ぶ(辞書ではaptitude à
FAIRE le mal大文字は筆者)。すると上の逸話ではnaïvetéは占いまがいの免疫術をすぐさま信じた薬草団長の判断を指し、信じた裏腹に悪意が蠢き、俗医師に毒蛇を捕まえろとの指示を下し、これが悪意maliceに他ならない。
幼稚さとその反動狡猾さ、両者を心の内に渾然と秘めるブラジル内陸部の、さらには広く南米の民衆の典型がこの逸話に読めた。
一通りを聞き(書き)終えたレヴィストロースは、ラホール(パキスタン)に立ち寄りアフマディ教団長から歓待を受けた晩餐での会話を思い出した。3の逸話の時系列が錯綜するので、順番を期すと;
まず土俗医師の話が1938年の現地調査の旅。次は1947年パキスタン、インド、ビルマ(当時)を巡った飛行機の旅。エスカルした各空港に降り立ち内陸に足を伸ばし、ラホールでアフマディ教団(ラホール分派)スルタンに面談した。両の出来事を思い返して、南米先住民とアフマディ派の思考と判断が同一線上に位置すると気付いたのは本書の執筆時の1955年。
アフマディ教団はネオムスリムとも称された。活動、教義にはイスラム正統派に較べ柔軟さが際だつ(Wiki調べ)。レヴィストロースの解釈を聞こう;
« Les
Ahmadi s’écartent de l’orthodoxie, notamment par l’affirmation que tous ceux qui
se sont proclamés messies au cours de l’histoire (au nombre desquels ils
comptent Socrate et le Bouda) le furent
effectivement : sinon Dieu aurait châtié leur impudence »
|