ナンマイダ~
視野限界の狭さを悟ってしまった夕には、「サロン」を開け、書を開き気にいった語句を静かに、幾度か、朗しよう。

 部族民通信ホームページ23年9月33日投稿   開設元年6月10日 更新
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レヴィストロース自ら語る夕日考
  

 
 
猿知恵は人に毛の3本だけ劣る、写真は日野市のとある都立動物施設の猿

L’homme nu裸の男(レヴィストロース神話学第4巻、1970年発行)の最終章Finaleフィナーレに「夕日考Le Coucher du Soleil、悲しき熱帯の一節」についての一節が載っている。書きつづった背景、その後の展開などを思い起こすまま回顧している。

4巻裸の男Finaleから;

 « (ce mythe suprême) …rejoint donc l’intuition qui, à mes débuts et comme je l’ai raconté dans Tristes Tropiques, me faisait chercher dans les phases d’un coucher de soleil, guetté depuis la mise en place d’un décor céleste qui se complique progressivement jusqu’à se défaire et s’abolir … » (L’homme nu 620)

訳:至高神話は(私の)直感に結びつき、著作活動の最初期の「悲しき熱帯夕日の状景」の文中で、それ(事象の類型le modèle des faits)をして私に語らせるに及んだ。至高神話(なる主題)は天の舞台に潜み陽光のちりばむ装飾を一身に受け、身姿を変えながら消えていった

1)括弧内のce mythe suprême(この至高の神話)とはこの前の段で規定されている。「人間社会、その歴史のみならず(動物界、自然界など)森羅万象の来し方を含み人間が代表してそれを語る」その事自体を神話として、それは至高であるとする 

2) 事象の類型とは、それ自身が夕日に浮かびそして消えゆく雲の情景だが、船上で眺めていたその時に « le modèle des faits que j’allais étudier plus tard et des problèmes qu’il me faudrait résoudre sur la mythologie » 「この事象の類型は後々に取り組んだ課題で、神話学で解決すべく提題であるとわかった」とある。上2の引用で理解できるのは;

 

1      神話は(個人の語り手)が語るけれど、至高神話を語るのは「人間社会」である。社会が声を出すワケがないから、それは現実としては語られない。すると無言の神話か。あるいは普通の神話の総合体の中に森羅万象「来し方」の主題が、伝えかけとして籠めている。

2      「事象の類型」を夕日の移り変わりを眺めてレヴィストロースが気づいた。雲の立ち上がりと、輝き影と旺盛さ、そして突然の消滅が移り変わりなのだが、そこに「森羅万象、あらゆる事象」が換喩されている、それを知ったと解釈できる。

3      至高な神話は「始まり、隆興、消え去り」の筋があって、それが夕日に託され天上に描かれていた、夕日に潜む至高をレヴィストロースが見つけたと理解できる。

 

 







 
裸の男Homme nu620頁、
Tristes tropiquesとCoucher du soleilが見える
   

至高神話とは事象の類型が集合した大伽藍と言えるのか。

« le modèle des faits que j’allais étudier plus tard et qu’il me faudrait résoudre sur la mythologie : vaste complexe édifice, lui aussi irisé de mille teintes, qui se déploie sous le regard de l’analyste, s’épanouit lentement et se referme pour s’abimer au loin comme s’il n’avait jamais existé » 620頁)

訳;(事象の類型はのちに学び始めた=この文は前出)。複雑な大伽藍で、解析者(レヴィストロースのこと)の目には(夕日と)同じく千の色彩に飾られ、緩やかに展開し、遠くで壊れあたかも実在していなかったかに完結してゆく。

夕日に湧き立つ雲を眺め、彼自身が後に神話学として建立する思想の伽藍に思いを馳せた。

 « Cette image n’est-elle pas celle de l’humanité même et par-delà l’humanité, de toutes les manifestations de la vie…quand ils auront tiré leurs derniers feux d’artifice, rien ne subsiste ? … mon analyse fait donc ressortir le caractère mythique des objets : l’univers, la nature, l’homme, qui au long de milliers, de millions n’auront rien fait d’autre qu’à la façon d’un vaste système mythologique, déployer les ressources de leur combinatoire avant de s’anéantir dans l’évidence de leur caducité »

訳:この画像は人社会そのもので、さらにはそれを超えてすべての生命の活動であり、それらは(この後文に生命とは鳥、蝶々、貝、獣、花植物などを羅列が続く)さらには人の命と成り立ち、繊細で磨かれた作品、すなわち言葉、社会の成り立ち、風習、芸術作品な(まさに森羅万象を)。それらは、最後の火を消してしまったら、何も残らないのか。

 私の研究は対象とする物から「神話的性格」を引き出したと言えよう。対象とは宇宙であり、自然、そして人間である。それらは、確実に存在し、目の前に見えている間にも衰退に向い、その果てに絶滅してしまう。その前に手の内のすべての表現を幾千年、幾百万年に渡り展開している。

 

 小筆は夕日を「定点定時刻で観察する夕日はめまぐるしく相貌を変える。その変遷ぶりが「とある12時間の過程」、一日の生を描いていると解釈した。夕日の影に足を止めた農夫が漏らした吐息は、生の辛さ、労働の苦しさに他ならない。

一日を振り返ったのではない、宇宙を感じたのである。

♪祇園精舎の鐘の音、諸行無常の~ゴ~ン♪

 

 
レヴィストロースが夕日を見つめたメンドーサ。仏伯定期航路の貨客船Paquebot
写真クリックでPaquebotMedosaの勇姿












夕日。日野から八王子方面を見る(2019年9月9日、台風15号一過の夕)