部族民通信ホームページ   開設元年6月10日 投稿2023年10月31日
 
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蕃神(ハカミ)義男

本朝たはけ2000年  

古事記は
武内宿禰の大祓を伝
承している。その祝詞
の文言はレヴィスト
ロースが「親族の
基本構造」で述べる
「近親婚の制度的
禁止」とすっかり
重なる
本朝たはけ2000年   

親族の基本構造(レヴィストロース著1963年第二版刊) に古事記木梨軽皇子の悲恋物語が引用されている。原典に(岩波、古典文学体系)にあたり、レヴィストロースの指摘の検証を探るに延喜式に出典を漁りして、それら課程で得た所感をまとめるに至った。(蕃神)

婚(たはけ)の由来を遡れば古事記に至る。仲哀天皇の段、

后(神功皇后)が神がかりし「西方に金銀豊かな国がある、そちらを攻めるべし」の神託がくだされた。天皇は「西を見ても海があるだけ」従わなかった。武内宿禰の願いで琴を引き寄せ奏でるが、音が消えた。宿禰が灯りをともして見ると、天皇は「崩(カムアガリ)たまひぬ」。

殯宮に安置し、宿禰が「国のヌサ」を取り大祓を為(し)た。その祝詞が

「生き剥ぎ、逆剥ぎ、阿離(あはなち)、溝埋、屎戸(くそへ)、上通下通婚(おやたはけ、こたはけ)、馬婚、牛婚、鶏婚の罪の類の種々(くさぐさ)まぎて」国の大祓えをした。(古事記祝詞、日本古典文学大系1、岩波229頁、引用は同書から)

国の大祓とは「国中の穢れを祓う」宮中の儀礼。この儀礼確立を古事記の成立(712年)前後とすると、8世紀前半である。一方、宿禰の祓えの舞台は仲哀天皇神功皇后の世、古事記がその頃の神儀を再現しているとすれば、同天皇統治の正確な暦年は不明だけれど、歴史資料から4世紀後半390年前後としたい。すると祝詞で伝える穢れ「婚たはけ」はそのころの神道祓えの古式拝礼に取り上げられていたと言える。

仲哀天皇を4世紀終盤とした理由はヤマトの朝鮮侵攻(西暦399年、広開土王の碑)に依る。これを神功皇后の三韓征伐と同定すると、同天皇の統治におおよその見当はつく(神功皇后三韓征伐と広開土王碑を結びつける説には無理があるとの指摘も。これ以上深入りしない)

上古とは4,5,6世紀として、その時期にはすでに「婚たはけ」を罪(穢れ)と規定し、穢れを清める神主さんの先祖形が祝詞を唱えヌサを振るって、国土浄化に奮闘していたとする。一方で宿禰の祝詞の言葉遣いやお祓い儀礼の一切は、古事記成立当時(7世紀後半か)の次第であるから、祝詞をそこまで時代を下げるのは暴論との指摘はあるだろう。

本書「古事記祝詞、岩波日本古典文学大系」を注意深く読んで欲しい。

描写される情景は「沙庭の灯りを全て消し天皇(大王)が琴を取り寄せ自ら奏で、神託を得る」。こうした手順は古事記のかなりの以前、太古のものとの頭注が読める。倭人伝の卑弥呼にも読める「鬼道につかえ衆を惑わす」、古には祭儀を鬼道(神道であろう)の長が司っていたと知れる。天皇自らの神託請け(闇の沙庭を前にして琴を奏でる)は太古の儀礼式であろう。

ならば祝詞の成立も太古に求める。するとそれらの「たはけ」(近親姦淫などの性行動の異常)はAD400年当時から今まで、本朝1600年の長きにわたり嗜なまれ、実践されていたのだ。祓わねば穢れが国土に蔓延する。宿禰が始めた祝詞の文脈、そこに警告される罪なるは、かっぱらいでもオレオレ詐欺でもなく性の乱脈、これがたはけ。世の穢れ(国つ罪)にはそれしかなかった。

祝詞に人の世の実態(牛婚など)を採り上げた宿禰の英断にそしりも非難もなく、皆にも納得したはず。

牛とか馬とか豚とかは無視して、人と人の「婚たはけ」に焦点を絞るろう。











































 
武内宿禰(キヨソーネ画、ネッ
トから)が仕切った穢払え
が神道儀礼の原点となった
  その範疇は;

1      上下(おやこ)婚たはけ。子と母、娘と父。

2      水平(兄弟姉妹)婚たはけ。兄弟と姉妹。古事記に事例がある(後述)けれど、忌避されるは同腹の兄弟と姉妹。異腹兄弟姉妹の婚は大目にみられ、干渉されず夫婦に結ばれた(歴史に名を残す皇族にも例が)。

3      娘と母、ないし母と娘との同時(ドンブリ)たはけ(頭注に母と子、子と母を犯す...)。これは己の姑と、あるいは義理娘との淫であろう。

(内容はより時代が下る延喜式、成立927年、の祝詞から採った。同式が古事記内容をより詳細に記述したとの判断、延喜式は補遺にて取りあげる)

祝詞のたはけと「親族の基本構造」が論じている「近親婚禁止」と比較したい;

レヴィストロースの主張では「禁止」は「同系統の男女の婚」に限定される。血縁が近くても別系統であれば婚は許される(交叉いとこ)。上の祝詞での1(上下婚)と2(姉妹婚)は彼が伝えるとおりの同じ系統での婚と姦の禁止。

3はどうだろうか。婿と姑は別系統であるが、近親婚とされる。1, 2に同じく、多くで禁止される。レヴィストロースはこうした規定にも文化が介入し、禁止を制度としている。

ボルネオ先住民の例では姑、義理姉妹との婚たはけは実の関係(実母、実姉妹)より厳しく禁止されているとの(民族誌)報告を挙げている。

その行為を「穢れ」として決めつけ宗教教義に組み込み、対処方式(祓い)を規定した。これは社会の制度である。範囲制定と禁止(穢れとする)、別系統でも近親婚と定義する。穢れを祓う儀礼、レヴィストロース説、近親婚禁止とは範囲を制定し罰を与える、それが当てはまっている。日本には古文書資料として残されていた。

古事記に戻る、

崩御を確かめ宿禰は「国のヌサ」をとり殯宮に鎮座する神に向かい、息途絶えたスメラギ死骸を下に見てヌサを大振いして穢れを祓った。天皇に結集して死に至らしめた国の罪穢がヌサ祓いで清められた。これこそ「祓い」の原点、本朝の黎明期なれば神事始めの礼拝(神託伺い)と、穢れ禊、ヌサ祓いの儀式がかくと制定された。

国のヌサには規定があって「高天原の堅木を採って、高天原の苧麻をしごいて....延喜式」神主さんが祝詞で用いる今様ヌサの原型です。国の穢れとは、

上引用の「上通下通婚(おやたはけ、こたはけ)、馬婚、牛婚、鶏婚の罪の類の種々」であり、それのみである(生き剥ぎは国津罪、後述)。本朝この世(4世紀)は野に山に、罪穢を跋扈のなすままに汚れまくりの国土だったのだ。こんな名誉ではない結論に走ってしまう

神道原点は「穢れと祓い」だから神の末裔、国の統帥たる天皇は、少数の不届きモノがまき散らす汚悪を封じ込めん、臣雑民には平安あれと日夜、気にかけている。その原点が宿禰祝詞にあるとの見方は自然である。

国祓えは大祓えと名称が変更され、6月と12月の晦日に行われることとなった(同書229)。古事記と変わることなく祝詞は「….上通下通婚(おやたはけ、こたはけ)、馬婚、罪の類の種々(くさぐさ)まぎて」。これを神の前にこれを吟じ、明治維新まで(宮中行事として)継続した。

古事記のたはけの実例、

允恭天皇記(同じく日本古典文学大系古事記、岩波)から、

木梨軽皇子と衣通王(そとおり姫)の水平婚(あにいもたはけ)。顛末は罪、残すは穢であるが、人には「悲恋」として口に上る。レヴィストロースが日本古書からとして「親族の基本構造」に引用した(固有名詞は用いていないが)。

木梨軽皇子、日継ぎ知らしめますに定まるを、未だ位に即(つ)きたまはざりし間に、その伊呂妹(いろも、同腹の妹、同書注から)軽大郎女、亦の名は衣通郎女(そとほしのいつらめ)に姧けて歌ひたまひく、

♪あしひきの 山田を作り 山高み 下樋を走せ 下といに 我がとふ妹を下泣きに 我が泣く妻を 昨夜(こぞ)こそは 安く肌触れ♪(同書293頁)

「山田を耕しその高みから(人目をはばからず)、埋め樋を通しその樋から(人目を忍び)我が訪ねる妹を、忍びに泣く妻を、昨夜やっと優しく抱いたのだ」

もう一首

♪笹葉に打つや霰の たしだしに 率(い)ねてむ後は 人は離(か)ゆとも 愛(うるわし)と さ寝しさ寝てば 刈薦(かりこも)の乱れば乱れ さ寝しさ寝てば♪(同293頁)

 
    「霰が笹の葉を打つ音のようにしっかりと、とも寝に明けた後ならば、離れたとても愛(うるわし)狂わし、乱れば乱れ、寝たし寝たのだ」(同)

(歌の解釈は頭注を参考にした、パソコン変換出来なかった漢字も多)

歌を詠むとは心を公にする社会行為である。

当時(5世紀前半Wikipedia)にも「歌会」の宮中社交は機能していたから(知らないけど)、諸臣百官の集まりで前引用2句、同腹の妹との交合を仄めかす、生々しい歌を軽皇子は朗々と詠じた。同腹、同じ系統filiationでの婚たはけ、これは武内宿禰がその半世紀ほど前に祝詞に託し宣言した「穢れの近親婚」に触れる。

皇子は己身に穢れが籠もると堂々と告白したのだ。

日継ぎといえ人心は離れる。

百官及び天下の人々、軽皇子に背きて穴穂御子(第2子)に帰(よ)りき。爾(つい)に軽皇子かしこみて大前小前宿禰の大臣の家に逃げ入りて…(293)

皇子は武器を取り権力奪回を計るが、多勢に無勢、大前小前宿禰に裏切られて召し取られ、伊予の湯(道後温泉)に流される。

このたはけについてレヴィストロースは;

「同腹でも姉と弟であれば許された、多目に見られた(はず)。近親婚を実行していた世界各地の王族階級でも「姉と弟」は認められ、「兄と妹」は同腹異腹にかかわらず、禁止していた((古エジプト、ハワイ、オセアニアなど)。理由は年少の女子は男(父か兄)にとって「交換財の目玉」。それを手につけるは「女交換サイクル」を破壊する行為そのものである。

« les ancien textes japonais décrivent l’inceste comme une union avec la sœur cadette » (12)日本の古い書は「近親婚」を妹との婚姻と規定している(姉との婚姻なら許される)。

もう一つの指摘は、

「貴顕階層は幼少には母方の父の住まいで養育される(本朝でもその決まりがあった)。異腹であれば住まいは別、すると別の系統filiationとの意識が当事者、さらに周囲にあった。別の系列filiationとなれば婚姻を結べる相手となるが、この規定が異腹兄弟姉妹にも適用された」

そうした実例は古代天皇家に限っても幾例かが拾い出される。用明天皇と穴穂部間人皇女(聖徳太子の父母)は異母兄妹であった。木梨軽皇子の死の結末に2通りが語られる。

1      皇子は伊予で自害した

2      皇子と軽大郎女は伊予で心中した

古事記を読むもどっちか分からない、独自(勘違い)解釈を開陳する。最期の一節は;

♪(前略)吾が思ふ妹 鏡なす 吾が思ふ妻 ありといわばこそ 家にもいかめ 國をも偲ばめ♪とうたひたまいき。かく歌ひて、「すなわち共に」自ら死にたまいき(299)

「愛しい妹、鏡に映ってくれ、思う妻がそこに居るとすればこそ、家をおもいだす、國も偲べるのだから」と歌って「すなわち共に」死んだ。この「共に」が心中伝説(軽大郎女も伊予に流された)の源となる。本書ではこの語に頭注をかけない。水平婚を結んでしまった兄と妹、兄を都払いして再実行を防いだのだが、何故か(この説では)妹も都払いしてしまった。勝手にやれよ~のこの決定は信じられない。

歌の前段で河の瀬に杭を打ち鏡を掛けたとある。鏡は魔術効果がある。覗き込む顔を映し返すのではなく、鏡が記憶する顔を浮き出すーとも考えられていた。

軽大郎女を呼び寄せる卜い神事に用いられたのだ。「すなわち」の意味とは皇子の一念で軽大郎女が鏡に依り憑いた、そこで「すなわち鏡の中の軽大郎女を抱いて」「共に」自死したとする。

これが部族民の解釈だが、皆様のご批判を乞う。

たはけに戻る; 皇子の父、19代允恭天皇は実在した天皇とされる、在位は前述、5世紀前半。主人公木梨皇子も実在した。この婚(たはけ)顛末は実際の出来事である。古事記編纂の250年ほどの前ながら、これほどに生々しく語られる理由は、その顛末が帝紀旧辞(古事記のもと本)に記載されていたかもしれず、稗田阿礼のみならず、人々に語り継がれていたからであろうと思う(部族民)。同書の補注、

 









今の大祓祝詞
天津罪国津罪ここだくの罪
とだけ記される。

上下婚水平婚、牛馬
は削除されている。
神社本庁サイトから





大祓え祝詞(古典文学大系岩波)

クリック拡大




















穢れを祓う幣
ネットから
    伊勢物語「昔、男、妹のいとおかしげなるを見居りて、うら若み寝ゆげにみゆる」。源氏物語「匂宮が妹、女一宮に恋情を告げる」などは軽皇子悲恋が知られていた事情を説明している(補注143358頁)

伊勢物語の成立は900年ころ(Wikipedia)。源氏物語はその後さらに100年余。古事記編纂から2~300年弱の経過。経時的には業平、紫式部が古事記を知り「たはけ」の顛末に接したともいえる。古代人にあってもイザナギイザナミなど神代の物語を「事実かどうかには疑問」と否定はできるし合理的である。しかし朝廷、日嗣御子の禁忌破りの醜聞には実際感を抱くだろうし、まして阿礼が「創作」する必要はない。

穢れに戻る。顛末は何を語りかけるのか。

軽皇子には「罪に問われ、己がそれと自覚した」風情の記述はない。あまりに堂々と日継ぎに臨むとして、

「百官および天の下の人ども軽太子にそむいて「穴穂の御子(弟)によりき」。日継ぎをはずされ謀反を企てるも鎮圧され流され、自害した」

罪を問う側にしても罰を下していない。日継ぎ位を失ったのは罰であるとの指摘に「罰ではない、流れ」と答えたい。皇子は祓いを受けた、流刑された。処払いと書くが、処祓いである。罪穢を帯びる皇子の身を宮中から遠ざけるための流刑である。近親婚に罪はない、穢れが発生するのみ。近親婚に罰はない、付着する穢が祓われただけ。「犯した罪が穢れ、祓うのだ」これが本朝神道の教義である。

朝の「罪、穢れ、禊ぎ、祓え」の概念を再考しよう;

「婚(たはけ)にあれば罪穢である」(同書頭注から)。

婚姻が成り立たない男女が密通を続ける。これは罪である。この「罪」は個人が負うタテマエはあるのだが、当の罪者には直接の責が及ばない。罪は「穢れ」なる状態に一般化し、外気に浮遊する。副作用をもたらす。イナゴバッタの跳梁、長雨、飢餓などは清められない穢れが原因だ。祟りなる意味合いとは罪穢の運命責任論であり、かつての日本人は共同体とそれを取り巻く宇宙の関係をカク信じていた。それが国のヌサ、大祓の起源、理論根拠である。

蝗害(バッタ)でコメが取れない。農民らは「スケベ太郎が上下婚したせいだ」と、己の水平婚を棚に上げて憤る。先住民的感覚で情勢をすぐさま整理する能力、別の言い方で「事象をモノとして、モノ同士を瞬に紐つける知性=魔術」には、小筆の単純頭のセイもあるが、「野生の思考」(レヴィストロース著)を読んだことで、より理解が速まった。

図式は;

1      個人が犯す「罪」、共同空間に溜まる「穢れ」、放おって置くと祟りになって悪さ

2      個人は「禊ぎ」を試みる(滝口で打たれるなど)、神主さんの祓え(ヌサをバシバッシ振られる)で穢れを放逐する。

3      お騒がせの元兇=「たはけ」が「祓われ」清めにめでたし昇華した

了 (20211月起稿、20239月加筆)