
| 部族民通信ホームページ 投稿2022é年8月15日 開設元年6月10日 |
| |
|
||||||||
| 精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 上 | ラカンこれまでの投稿 ラカンとレヴィストロース の接点 続ラカンとレヴィスト ロースの接点 精神分析現象学 ゲシュタルト 精神分析快楽の果 、 繰り返し |
||||||||
| 精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 上 精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 中 精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 下 (2022年8月15日投稿) |
|||||||||
| 目次 「分析的事実」から、取り戻しできない距離 正しい形態」に向かう |
|||||||||
|
精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 上 (本稿は2022年5月16日~5月27日にGooBlogに投稿した同じ表題作品の加筆版となります。文中の日付ノンブルはBlog投稿時と変えておりません) (2022年5月16日)Jacques Lacan著セミナー第2巻を読んでいます。3章の主題はLe circuitなんとこれを訳すか。前向きの意義から順に「周回、周巡り、堂々巡り、元の木阿弥」が候補か。章題に否定の語感は選ばないから周巡りとしたいが、それが何を比喩(換喩)するのかはこの段階では不明。副題に « Maurice Merleau-Ponty et la compréhension » メルロポンティと理解。語句中の « la compréhension » は一般的な理解を意味するのではなく、メルロポンティが理解するところの理解、学説であるのは明白。LacanがMerleau-Pontyの説とその中身を批判する 、実は一周巡りがそこにあると主張するかと覚えた。 早速;<Nous allons nous interroger sur la conférence extraordinaire d’hier soir. Vous y êtes-vous un peu retrouvés ? La discussion a été remarquablement peu divergente. Voyez-vous bien le cœur du problème, et la distance où Merleau-Ponty reste irréductiblement de l’expérience analytique ?>(本書99頁)訳:今日は昨晩に開かれたとてつもない講演について議論するつもりだ。君たち、なんのことか見当がつくかな。一幅にも議題は振れず、とある方向に向かい白熱した。問題の核心を思い出しているはずだ。それはメルロポンティが「分析的事実」から、取り戻しできないまでに距離をおいている事実である。 引用文で « extraordinaire、irréductible »の語が重なり用いられる。読む側としては肯定的意義を見いだせず、Merleau-Pontyの学説の陥穽を挙げ、それでも彼は頑なにそれと主張している、これがLacanの言い分と受け止める。 この講演とは一体どこで、どのような演題だったのか不明。1955年1月18日の夕であったとはセミナー日付から特定できる。Merleau-PontyはCollège de Franceのchair(教授)に就任している(1952年)、同施設での公開講演だったと伺われる(同院教授は学生講義は免除されるが公開講座の義務を負う)。この時点で共産主義とは決別したがサルトルとの確執は解消されていない。左派とされる人(hommes dits gauche)からの批判も受けていた。そのような雰囲気を匂わせる表現が本文中にも挿まれる。 <Il y a un terme sur lequel la discussion aurait pu porter si nous avions eu plus de temps, à savoir le gestaltisme>もし時間に余裕があったのならきっとあの語に付いて言及が持たれたはずだ。その語はゲシュタルト思想。<Je ne sais pas si vous l’avez repéré au passage, il a poussé à un moment dans le discours de Maurice Merleau-Ponty comme ce qui est vraiment pour lui la mesure, l’étalon de la rencontre avec l’autre et avec la réalité> 訳:それ(ゲシュタルト思想)が講演の筋たてでどの位置にあるかに君たちが気づいたかどうかは知らないが、Merleau-Ponty講演の一時において、標準原器の如く、彼をして現実に向き合わせていたのだよ(同)。 ここに来て形容詞形容動詞の用い方でトゲの刺さりが幾分かは読めた。ラカン先生側に事情があった、Merleau-Pontyの説に漂うとラカンが感じる「ゲシュタルト」が気に入らなかったのです。 ドイツ語 « Gestaltisme » ゲシュタルトの仏訳は « forme » 形。形とは構成物の集成で、一体化され常に一定の形状に収束する。こんな考え方を情念的に捉える思考傾向であって« ―isme »が付属するも、どこかのお偉い哲人によって「学、思想」として体系化されるまでには至っていない。形を主体として捉える「思考の傾向」ながら、時として社会科学に応用される。どのように哲学が扱うか、哲学用語辞典(Puf版)にはGestalt項目は立てられていない(Nathan版にも項目が立てられていない)。哲学が取りざたする概念ではないとしている。 心理学ではこれ(心理とは主体であり形体をとる)を主張する一派が戦前のドイツで結成されていた。Wikipediaの一節を引用; <心理学の一学派。人間の精神を部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この構造をドイツ語でゲシュタルト (Gestalt :形)と呼ぶ> フロイト学説を受け継ぐラカン先生にとり精神は客体、入れ物であり、主体は個が「過去経験を底流に共時的に押し込める」深層心理と日常の哀楽を表現する上層心理の「二重構造」を謳うから。ゲシュタルト心理学とは対立する。ラカンはそれを自然哲学(原始的思考)の派生として軽んじる、現象学(Merleau-Pontyが主唱する)も同類。そんな文句が本章に見つかる。 ゲシュタルト心理学は邪説とするラカンがMerleau-Pontyにその思考の傾向を嗅ぎつけた。 精神分析現象学ゲシュタルト1の了(2022年5月16日) 精神分析現象学ゲシュタルト2(2022年5月18日) このところ(=前回投稿の最終文節、ラカンはMerleau-Ponty現象学をゲシュタルトの派生として軽んじる部分)は部族民(蕃神)と理解を異にするのだが、ラカン先生の言い分を聞こう。 <Il se raccroche en effet aux notions de totalité, de fonctionnement unitaire, il suppose toujours une unité donnée qui serait accessible à une saisie en fin de compte instantanée, théorique, contemplative, à laquelle l’expérience de la bonne forme, tellement ambiguë dans le gestaltisme, donne un semblant d’appui>(100頁) 訳:彼(Merleau-Ponty)は結局、一種の方向性を持つ集体の観念にしがみついている。これは形としてまとまりを持つわけだから、取り憑かれた精神によって思弁的に理論的に、瞬時にそれと見分けられる。ゲシュタルト思考が述べるところの「良き形」、それ自体は大変曖昧な観念であるけど、その集体が精神に認められる見せかけの根拠となっている。 分かりにくいから思い切った意訳を試みる:ゲシュタルトでは集体が維持されるとはそれが「正しい形態」に向かうから―と考える。直感というか偏見というか、説明できていない精神(知覚perception)がその形態を即座に見極められるとMerleau-Pontyが主張したのだ。 続く文は<L’ambiguïté dans une théorisation où la physique se confond avec la phénoménologie, où la goutte d’eau, =後略>(同) 訳:理論付けでの曖昧さは自然と知覚現象(phénoménologie)を混同してしまった過ちにも認められる。(以下は後略部)水滴は円錐体を取るが我々はそれを円形として見ている(現象学では自然の形状を見分けられない)。 <Il y a sans doute quelque chose qui tend à produire au fond de la rétine cette bonne forme, il y a quelque chose dans le monde physique qui tend à réaliser certaines formes analogues, mais mettre ces deux fais en relation n’est pas une façon de résoudre l’expérience dans toute sa richesse. Si on le fait, en tout cas, on ne peut plus maintenir comme Merleau-Ponty le voudrait, la primauté de la conscience>(同) 訳:網膜の奥に、この正しい形を形成する、何らかの(肉体)機構は存在する。かつ自然界がその像に近似した像を形成している事はある。しかしこの両の事象を結びつける事は、人の経験(知性)の豊かさを説明するには不向きである。もしそれを試みようとすれば、「意識」が抱える優位さが、Merleau-Pontyがそれは維持されると望むのだが、成り立つが前提となるが、それは保持しようがない。 そもそもの順番は自然の形が原初で、網膜上の像が自然と「似た」形となる。それをラカンは逆にして、自然が網膜像と似た形としている。実はMerleau-Pontyが説く知覚perceptionの特徴は「人が知覚する像が実体」とする点にある。ラカンはその主張を理解した上で、逆置など無いとの皮肉として自然と網膜を逆転させたと(部族民は)捉える。ラカンは意識の知覚を否定し、意識が網膜に映すのは自然の « bonne forme正しい形 » で、目の前には「あるがままの」形で必ずそこに存在する。それを形体の収束形とすれば、これはゲシュタルトの思考そのものだ。 現象学に手厳しいラカン、ここにおいて自説を誘導する。 <Une conscience contemplative constitue le monde sur une série de synthèses, d’échange, qui le situe à chaque instant dans une totalité renouvelée, plus enveloppante, mais qui toujours prend son origine dans le sujet.(同) 訳:思弁的な意識とは統合の流れ、そして交換として世界を構築する。流れにおいての各瞬間には、より広く覆う統一体として世界を更新して行く。そして世界の原初とは常に主体(個人)に置くのである。 上訳はクセジュ文庫化してしまった。解説を試みる; 「一つの思弁的意識」がラカン主張する意識である。それは世界を、自己意識と世界との交換(交流、弁証法的)を保ちながら、経時に重なる経験(知性)を共時的に統合synthèsesし、自己の経験としての個(主体)の精神に積み上げる。経験を共時に統合し、それを意識の底流、潜在意識として取り置く。これが上引用文の主旨で、フロイト説を踏襲したラカンの学説そのものを語っている。 (À M. Hyppolite) Vous n’êtes pas d’accord . Hyppoliteに向かって「あなたは同意してないようだ」。Hyppoliteの返事は、 <J’écoute le mouvement que vous développez à partir de Gestalt. En fin de compte, c’est une phénoménologie de l’imaginaire>(Merleau-Ponty)の思想をゲシュタルトから説明する、これを君が語ったのだと理解する。いずれにしても(講演内容)は私達(哲学側)が語る意味での画像現象学なのだから(ゲシュタルトとは一線を置く)。 « Imaginaire » の元語となる « imagination » は既見の対象を画像として思い起こすが一義。空想よりも具体性が強い。画像現象学とした。 上訳において « c’est une » の「それce」の意味が曖昧、Gestaltと捉えられるが部族民はMerleau-Pontyの講演とした。直前(ラカンの話)がMerleau-Pontyの解釈に集中しているからだ。するとMerleau-Pontyの知覚現象学が「画像現象学」と言い換えられ、気分的にも座りがよろしい。対話の文字起こしなので « c’est »の関係を定めるに難しい処である。 さて、突然に投げかけられた否定疑問に対するHyppoliteの返事にはラカンの現象学 説明への不同意が聞こえる。普通、否定疑問を問われたら答えは « non » ないし « si » の選択を迫られる。対話を継続しようとの意思を持てば、答えは « non否 »であるけれどそれを的確に発言すると、後のやり取りがぎこちなさに陥る。そこで « non » を表に出さず淡々と理屈を開陳する。このあたりは対話の技巧と言えようが、否定が間接的に滲み出るものの、即座に否定されるよりは対話は和らぐ。こうした上品なやり取りに仏語は « discret慎み » を用意している。 Hyppolite(哲学教授、高等師範学校長など歴任)のラカンセミナーでの重要な立ち位置については過去投稿で取り上げた。 精神分析現象学ゲシュタルト2の了(ブログ 2022年5月18日)精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 上 の了(HP 8月15日) |
|||||||||
| |
|||||||||