| 部族民通信ホームページ 投稿2022é年8月15日 開設元年6月10日 |
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目次 現象学とは ラカン論難の根拠がここに |
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精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 中 (本稿は2022年5月16日~5月27日全6回、GooBlogに投稿した作品の加筆版となります。文中の日付、ノンブルはBlog投稿時と変えておりません)
精神分析現象学ゲシュタルト 3(2022年5月20日)Merleau-Pontyの現象学を否定するラカン要点をまとめる;
1 現象学はゲシュタルト(形態は内蔵される物の集体。それが主体であり、必ず「良い形」を表現する)の流れをくむ
2 形態(=自然)を知覚するperceptionなる機能は単なる思いこみ(saisie)であって、自然と人意識を結びつける能はそれには備わらない
3 人が世界を自身(精神)に再構築する作業は積み重ねであって、現象学が論ずるかの「瞬時の直感」ではない。
上の3点にまとまるかと思う。ラカン論難3点の根拠を探ろう。
それはまずはMerleau-Pontyの思考を浮き彫りにして後に上記の3点と対比させる。Merleau-Pontyがこの講演、おそらくCollège de France講堂で何を語ったかを見極めるところから出発する。何が語られたのか。
Science d’apparaitre, déterminer la structure du phénomène:現れる様を解明する、現象の機構を特定する(Puf哲学辞典)。Merleau-Pontyが主唱するそれは知覚の現象学(Phénoménologie de perception)とされる。その思想は;
<Pour marquer à la fois l’intimité des objets et la pensée en eux de structures solides qui les distinguent des apparences, on les appellera des « phénomènes » et la philosophie devient phénoménologie, c’est-à-dire un inventaire de la conscience comme milieu de l’univers ( 著作Phénoménologie de perceptionから)思考とその対象の親密性とその構造の緻密さに着目し、外観の差異をもって対象を分別する。それが現象であり、その学を現象学という。目的は宇宙を場(milieu)として認識するのである。
かいつまんで;人は全宇宙を見渡せない、目の前の光景を場(milieu)として、それを認識するに構成要素の外観を持ってする―と部族民は理解する。 この文章での « la pensée en eux de structures solides » はobjets内部にpenséeが宿ると訳される。ここが留意点です。
ちなみに現象学の濫觴はフッサールにあるとされる。フランスにおいてはMerleau-Ponty以外にサルトルなどが影響を受けたとされる。本セミナーに参加しているHyppoliteはヘーゲル現象学の権威でもある(と聞いた)。「外界と人の作用」解釈おいて多くがそれぞれ独自の仕組みを開陳している(らしい)。ちなみにフッサールは現象を「学」として大成させてはいない。故に現象学の全域を俯瞰する要は感じないから、本投稿ではMerleau-Pontyの説のみを紹介する。
眼の前の光景をMilieuとしたが別の著作ではEspace(空間)と規定している。更に別作ではChamp(フィールド)も用いるなど用語の入れ替わりはあるが概念は同一なので、場とする。場はモノ(chose)で構成される。
この概念を基本として講演内容を探る。
彼の死(1961年5月)の後60年を経過し著作権は2021年で消えた。出版社ガリマールはネットに主要作品を公開した。「Causerie1948年」を見つけ、これをネタ本として採り上げる。この小論文は映画学校École de cinémaで若き映画人Cinéastesを前にしての講演の活字起こしである。ラカンらが聴講した講演と6年の隔たりはあるが、内容に差は無いとする。冒頭は;
<Si après avoir examiné l’espace, nous considérons les choses mêmes qui le remplissent, et nous interrogeons là-dessus un manuel classique psychologie, il nous dire que la chose est un système de qualités offertes aux différents sens réunies par un acte de synthèse intellectuelle> (Causerie Chapitre III les choses sensiblesから)
訳:場 « espace »を探究するとそれはモノ « chose » で充満していると気づく。心理学の教科書にそってモノとはなにかを追求する。それは色々な方向性を持つ特質(qualités)の集成であり、それらは知性の持つ統合力によってまとまる。
モノと思想、主体客体、現象論とゲシュタルトについて数行を費やしたい。
前引用のPhénoménologie de perception にでは « la pensée en eux de structures solides »「それら(モノ)に潜む構造の思想」とモノが主体であるかに記述している。Causerieではモノが発する方向性を纏めるのが知性の持つ統合力 « synthèse intellectuelle » であるとする。この意味では知性が存在の主体となる。表現の錯綜がこのあたりに認められる(部族民が読み足りない可能性も)が、これを意味論(ソシュール)の手法と照らし合わせ部族民は解釈したい。
犬なる動物がいるから「イヌ」と指差す。犬signifiéは実体で主体を持ち、言葉の「イヌ」signifiantは言葉だけの客体である。実学である言語学ならばこの説明は許される。レヴィストロースはこの相関を逆に考えた。犬なる動物は自然に存在しない、それは人の頭にある。人が「知性の統合力」を発揮し、毛皮尻尾付きの4足動物ワン吠えを「イヌ」とした。意味論の主(signifié)客(signifiant)は、レヴィストロース解釈では主がsignifiantそれは思想、客(signifié)が犬の実体となる。
構造主義が意味論の主客を反転させた 。
Merleau-Pontyにおいて « la pensée en eux de structures solides » とするものの、思想が主体であるとは « synthèse intellectuelle » の句で明確である。レヴィストロース構造主義を流れとして掴み、思想とモノのあり方をそれにそってMerleau-Pontyは考えていたはずと部族民(蕃神)は思うが、ラカンは« la pensée en eux de structures solides »をその意義の通りに捉えた。
正にゲシュタルトです。ラカン論難の根拠がここにあるとする。
Causerieに戻る。
モノの特質には方向性(sens)が備わる。方向性の意味合いが不明だが次の文章に、
<Le citron est cette forme ovale…>レモンを引き合いに出し、それは両端に突起を持つ楕円錐の形状、黄色、手触りなどの特質を列挙する。
特質qualitéは色、形などの性状を持ち、それらが外界に表出する刺激、見てくれがsensと言える。現象学science d’apparaitreとは現れの科学とされる所以がここにある。レモンが外観として表出している各要素(形、色、手触り)などはそれ自体に伝えかけ(=affection)が備わり、人は黄色を見てレモンと気づくのだが、特質を個々に分離して反応するわけではない。
<Cette analyse nous laisse insatisfaits parce que nous ne voyons pas ce qui unit chacune de ces qualités ou propriétés aux autres et qu’il nous sembles cependant que le citron possède l’unité d’un être dont toutes les qualités ne sont que différentes manifestations>
訳:こうした分析(個別分離)には不満が残る。なぜならこれら特質ないし属性を集体するものが見えてこないからだ。レモンには存在物としての一体があって、それぞれの特質とは表示に過ぎないのだ。
<L’unité de la chose demeure mystérieuse tant qu’on considère ses différentes qualités ( sa couleur, sa saveur, par exemple) . La psychologie moderne a fait observer que chacune de ses qualités, loin d’être rigoureusement isolée, possède une signification affective qui la met en correspondance avec celles des autres sens>
訳:それら特質の差(レモンの色、香りなど)のみに拘泥する限り、存在の一体性は謎めいたままに残る。心理学の教科書にても指摘されているが、それら特質は孤立しているのではなく、一種の意味合いを伝える。それをしてその特質が他特質の意味合いと関連を持つ起因となる。
現象学がだんだんゲシュタルトに近づいている、そんな気にさせる文脈だ。
精神分析現象学ゲシュタルト 3の了(2022年5月20日)次回は23日。
精神分析現象学ゲシュタルト 4(2022年5月23日)
Merleau-Pontyの知覚の現象学(Phénoménologie de perception)、その主唱する中身が出揃った。彼は現象(phénomène、自然)と知覚(perception、人側)を峻別している。現象側の構造を見ると;
場は目の前の空間と理解する、空域時域に限定を受ける瞬時性の空間である。場(espace)にはモノ(chose)が充満し、モノは特性(qualité)を具有する。特性は方向性(sens現れ)を発信する。特性はそれぞれの発信の仕方、伝えかけ(affection)を見せるも、全体としてまとまりがある。これらの一連が « apparences » 表出であり、これらを して« phénomène » 現象という。
現象を見据える側、人の « perception » 知覚は何をしているのか。
人はモノを吟味する(視覚、嗅覚などの五感)、モノから表出する方向性(sens)を感じ取って自己の内に取り込む(imaginaire)。Merleau-Pontyによると受け止め(favorable)と拒絶(défavorable)に分かれたりする。家宅の絨毯を選ぶときに人は暗い色合いを選ばない、その色が感情を落ち込ませてしまうからとの例をあげる。これが知覚であり、モノを吟味するとはそのモノの存在、現れを通して自己に再現することである。自己再現にいたるまでの精神作用を導引、conduiteとする。
<Une qualité comme le mielleux ― et c’est ce qui la rend capable de symboliser toute une conduite humaine ― ne se comprend que par le débat qu’elle établit entre moi comme sujet incarné et objet extérieur qui est le porteur ; il n’y a de cette qualité qu’une définition humaine>
訳:(前文で蜂蜜を例に挙げ、手で掴むとヌルとした感触を得るとして)この蜂蜜の特性がそれ(la、前文にある人の手)に(蜂蜜であるとの意識)をシンボル化させしめるのである。生身の主体である自己(知覚)と外部の方向性を持つ対象(現象)との間のやり取りはかくあると疑いようはない、特性とは人が(方向性を通じて)規定するものなのだ。
以上がMerleau-Ponty がCauserieで解説した知覚の現象学となる。
知覚とは;
五感を用いて対象物を吟味して、特質から発せられる方向性を理性で統合する。するとconduite導引の作用で精神に対象のimaginaireが宿る。かくして現象と知覚の結合が成就する。 精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 中 了 (HP 2022年7月31日) |
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