le principeを原則と訳すのが一般。原則は例外を認める。ラカンが例外有りの仕組みを考えるとは思わないので、原義の「原理」を採用した次第です

時空間移動を試み部族民が飛び降りたパリ・サンタンヌ病院の中庭
 部族民通信ホームページ   投稿2022é年8月15日  開設元年6月10日
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ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し   
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精神分析快楽の果 、繰り返し

 
 
精神分析現象学ゲシュタルト三題噺 下 の続となります)

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 上

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 下


   目次

セミナー2時限目
運動は行ったり来たり
   

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 

(GooBlogに2022年6月17日~24日、全4回で投稿した原稿です、日付ノンブルは変えていません)

2022617日)精神分析学ジャック・ラカン著セミナーIIの紹介を続けています。「ラカンとレヴィストロースの接点」を本年318日~41日全5回、「精神分析現象学ゲシュタルト」として516~276GooBlogに投稿しました。内容はレヴィストロースでは思考の巡らせ方でラカンとの共通性を指摘し、また彼の精神分析論での根幹、象徴化と空想化の(Hyppoliteの指摘を起点に)解析を加えた。

直近のゲシュタルトではMerleau-Ponty知覚の現象学はgestalt思考の一派生とラカンが否定的に指摘した。しかしセミナー(パリ聖アンヌ病院にてラカンが主宰する精神分析講座)参加者からの快諾を得なかった。さらにはMannoni(精神分析医)からフロイトとダーウィンの関連が取り沙汰された。この指摘が論じられると「精神分析の原点はgestalt」に風向きが変わる事態に陥る。さらにHyppolite(高等師範学校校長兼哲学教授)からラカン注釈のフロイト学説とは異なる見解も出された。

(フロイトでは臨床と治療が優先される、原理を立ち上げ精神の事象を演繹説明する分析手法を取らないとラカンが主張するも、Hyppoliteから一の体系の原理が他の体系と連動し原理統合する、この記述がフロイトにあると反論された。ダーウイン進化論とも似通う=原理を立てて実際を説明する=との哲学者ならではの指摘でした)

窮地に陥ったラカン先生はReprenons cela pas à pas  (その当たりを一歩一歩で片付けよう)で締めくくり休憩時間が入った(以上が前回連載投稿の最終回527日の抜粋)。

2時限目ブッブー、

本文の前に:

この章(セミナーIIVIILe Circuit)の文脈はラカンの講義、参加者の質疑を実地のままに活字起こししているので、心情あからさまなやり取り以外にも当時(1950年代)の思潮の流れを摘めるから面白い。歯に衣を着せないラカン向こう気が強さが時には他者批判の弁に向く。一方、敢えて質問を起こし訂正をほのめかす参加者。これほどの談論風発、火花も爆ぜるセミナーを見届けるに現場に向かわなければと意を決し、時空間瞬間移動を部族民は実行した。目指す時は1955119日現地時間19時、空間こそパリは14区カバニ通り聖アンヌ病院、その中庭は華麗なバラ園、冬にも花が咲き誇り心病んだ入院者を紅にピンクに慰める。花園を見下ろすポリクリニック室に、影を見せず息をも継がず「エイッや」中空から飛び降りた。

中央の会議卓に肝心のHyppoliteが見当たらない。2時限には席を外したと思える。残りの二人は若手の精神分析医AnzieuMannoni。ラカンの弟子、歳の差よりも経験知識の隔たりから、講義を聞く一方の場面が続きそう。あらぬ方向に講義が流れても、これがラカンの特技なのです、正面切ってのより戻しなど試みようがない。先生の独壇場に居合わせるやの怖れを予感すれば身も縮んだ。

ブッブーはセミナー再開の時報、ラカン先生、早足でポリクリ室に入るやいなや、

A quelle impasse sommes-nous arrivés la dernière fois ? L’organisme, déjà conçu par Freud comme une machine, a tendance à retourner à son état d’équilibre c’est ce que formule le principe du plaisir. La tendance répétitive qu’il isole, et qui est ce qu’il apporte d’original. Nou nous posons donc la question suivante qu’est-ce qui distingue ces deux tendances ?>

訳:前の講義でとある処で行き詰まった。身体系に付いてだった、その解として以下を伝える。フロイトは機械的動作を持つと身体系の正体を見破っていたが、常に平衡状態に戻るとの運動習性をも持つ。これが快楽原理の公式となる。この系には反復がつきまとうと主張したのはフロイトの独自性である。すると次の質問が浮かぶ、この2の傾向にはどのような区別があるのか?(Le séminaire II 102頁)

最後の「2の傾向」とは平衡から亢進へと向かう、亢進から平衡に戻ると理解する。

Hyppoliteが指摘した他の系を統合する原理le principeとは、le principe du plaisir快楽原理であろうと目星をつけて、そこに思考を一点集中させてフロイト学説を再吟味し、Hyppoliteに対抗せむが休み時間作戦と知った。予告なくHyppoliteが退席したのは残念だが、自説を開陳できるこの機会を有効利用せむとする覚悟にラカンは燃えた。

Les moyens sont très curieux dans ce texte, parce qu’ils sont de dialectique circulaire>

訳:フロイトが本書(Au-delà du plaisir、快楽の果に)で主張した理論は風変わりだ。2の方式は周回弁証法となる。

これをして « l’originalité de la tendance répétitive » 繰り返しの独自の傾向はフロイトの発見とラカンは評価する。生ける道具に刺激が与えられると、神経系統がhoméostat自律調整機能を引率するこの働きが亢進を抑え次の段階として « l’excitation au plus bas »最も低い刺激状況に戻す。

(精神分析現象学ゲシュタルト三題噺の初回投稿(516日)にて第7章の主題Le circuitなんとこれを訳すかと自問した。読み始め段階では不明と逃げたが、欲望原理の循環弁証法だったと判明した。すると訳は「循環」が正しい。本文に戻りラカン説明を引用する、

Depuis le début jusqu’à la fin de l’œuvre de Freud, le principe du plaisir s’explique ainsidevant une stimulation apportée à cet appareil vivant, le système nerveux est le délégué essentiel de homéostat grâce auquel l’être vivant persiste une tendance à ramener l’excitation au plus bas>102頁)

訳:フロイト作品の初めから終わりまで、快楽原理は以下に説明される。刺激が与えられた生きる器械(人間)の実態からして自律を司るのは神経系で、その働きによって最も低い刺激状態に戻らむとす。

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 1の了 (617日)

 

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 2 (2022620日)

<生きる器械(人間)の実態からして自律を司るのは神経系で、その働きによって最も低い刺激状態に戻る>が前回(17日)の最後の文。これを理解する鍵となる語が 原文にある « homéostat »

スタンダード辞典を開くと「サイバネティクスでのホメオスタット」と記される。これでは分からない。Petit Robertを開けると「前もって設定される均衡の基準値に立ち戻る複雑系」幾らか理解できた。 « Cybernétique » サイバネティックは「機械の立ち行きは通信系と基準値への復帰規制で制御される」みたいな説明があった(同)。すると « homéostat » の意味は生きる器械である人体が「刺激を受け快楽を追求し愉悦状態が亢進されても神経の働きで、前提基準(デフォルト)として設定されている最も低い水準に戻る 自律系」となる。

快楽原理を神経の自律とラカンが説明した。その運動は行ったり来たりに自動制御される。この動きをして「快楽頂点と最低水準の緊張」概念を打ち立てたフロイトに独創があり、それをして「循環弁証法」と名付けた。

この行ったり来たりが誤解を生む。<Freud leur a offert là l’occasion d’un malentendu de plus, et tous en chœur s’y précipitent dans leur affolement> ここでフロイトはさらなる誤解の元凶を彼らに与えてしまった。皆が立ち騒ぐ狂乱の様は音の揃わない合唱隊だった(同)。

彼らとはフロイトの賛同者、前述の対比関係、特に最低緊張 « le plus bas de la tension »とはなにかで論争が巻き上がった様子をかく述べたのである。

最低緊張の解釈にラカンは2の候補をあげる。 一の候補は « pur et simple, c’est-à-dire, la mort » 単純簡明にそれは死。そして « les processus de la décomposition qui suivent la mort » 死に続く肉身の解体にたどり着く。快楽の代償に死とは飛躍が感じられる。そこで身体を精神に置き換えれば「精神の死、精神の崩壊」とも捉えられる。ラカンはそれ、精神崩壊には言及していない。

二の候補は « une certaine définition de l’équilibre du système » 生体系をサイバネティックとして均衡する点。基準としてそこに戻る。いわば « homéostat »  の特異点、デフォルト。

第一の解釈では快楽の原理をフロイトが提唱した「死の本能」と結びつける解釈が生まれ出る。そうした解釈がフロイト追随者に喧伝されていた事情をラカンがかく、立ち騒ぐ狂乱と語る。快楽の果ては死の本能―と語るとなんとも(当時1950年代に流行った)実存主義的です。時代にもてはやされた解釈でした(部族民は70年前のフランス論壇の傾向を知らない、ネット情報のかき集めです)。

C’est supposer le problème résolu, c’est confondre le principe du plaisir avec ce qu’on croit que Freud nous a désigné sous le nom de l’instinct de mort>これで解決と問題を片付けただけで、フロイトが我々に諭したと人が信じるところの死の本能と快楽の原理の連関に混乱を招いただけだった。

歯切れが悪い。それに気付いて言い訳気味に<Je dis ce qu’on croit, parce que quand Freud parle d’instinct de la mort, il désigne heureusement quelque chose moins absurde,  anti-scientifique> 人が信じるところのと申したが、フロイトが死への本能を語るときは、まあ幸運なことに非合理ではないが(=本当の死ではない)、非科学的な何かを当てているのだから(103頁)。

生物学的死と信じたら誤り、別の意味の死をフロイトは諭したのだと言いようだ。別の非科学的な何かとは« tend à ramener tout l’aminé à l’inanimé » 生体系全体を活発から不活発へ導くモノであるとした、神経作用である。次の文に移る。

« Ce n’est pas la mort des êtres vivants. C’est le vécu humain, l’échange humain, l’intersubjectivité » それは生きる個体の死ではない、人の体験の死だ、人の交信の死だ、主体内部活動の死なのだ。

ラカンが蘊蓄を傾けた  « homéostat , cybernétiques »と「体験の死、交信の死等」を結びつけるとフロイトが語る死は「交信と制御」を遮断した不活性の肉体、そして精神も不活性化に陥ると読み取れる(部族民の解釈)。「快楽と不活性状態は循環弁証法の関係にある。快楽を求める本能には反作用として不活性に向かう本性が潜むのだ。その過程は遮断、交信停止を神経系が人体に押し付ける」。これが緊張の最下点 « le plus bas de la tension »なのだとフロイトが説明したのだ、とラカンが言っている。

第一原理 « le principe du plaisir » の定義を以下とする、 « Au niveau du système nerveux, quand il y a stimulation, tout opère, tout est mis en jeu, les efférents, les afférents, pour que l’être vivant retrouve le repos. C’est le principe du plaisir selon Freud » 神経系の段階で、刺激が発生したらすべてが、導出血流(efférents)も導入血流(afférents)も、一体となって起動して後、休息に戻る。これがフロイトの快楽説である(106頁)。

この後、熱力学と通信理論を精神に擬える試みを語る。エントロピー、ベル研究所(アメリカ)の通信(パケット)技術など例を説明する。これらを持って人体内のhoméostatの基準点、神経の交信の巧妙さを説明しようとしている。人の肉体の事情である快楽の追求を、それら(エントロピーなど)を用いたラカン説明は理解に至らない部族民は脱線と憤ってしまうが、エントロピーを理解しない者の泣き言であろう。

しかるにここで万事解決には至らない―ラカン先生は自ら論議の種を掘り起こす。Hyppoliteが抜けたので彼が指摘しそうな項目を取出した、フロイトのもう一つの原理 « le principe de réalité » 現実原理との不整合が発生しているのだ。

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 2 了 (ブログ620日、次回22日)

ラカン精神分析快楽の果 、繰り返し 上の了 (2022年7月31日HP投稿)

 
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