
| 部族民通信ホームページ 投稿2022é年8月15日 開設元年6月10日 |
| |
|
||||||||
| ラカン精神分析によるキルケゴール解体 上 | 精神分析これまでの投稿 ラカンとレヴィス トロースの接点 続ラカンとレヴィス トロースの接点 精神分析現象学 ゲシュタルト 精神分析快楽の果 、繰り返し キルケゴール解体 |
||||||||
| ラカン精神分析によるキルケゴール解体 ラカン精神分析によるキルケゴール解体 上 ラカン精神分析によるキルケゴール解体 中 ラカン精神分析によるキルケゴール解体 下 補遺 |
|||||||||
| 目次 快楽原理のおさらい プラトンなど3人を 罪を知らない異教徒の世界 |
|||||||||
|
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 上(HP版) ラカン精神分析によるキルケゴール解体 1 (ブログ) (2022年7月6日から18日まで、GooBlogに6回連続投稿された同名作品のホームサイト版となります。Blogでの日付ノンブルは変えていません。本投稿前半は日を置いた前回の投稿、快楽原理 « le principe du plaisir » の説明です)(2022年7月6日)ジャック・ラカン(精神分析学)セミナーII第7章 « Circuit » 周回を紹介しております。前回投稿は「分析快楽の果 、繰り返し1~4」(ブログ投稿6月17日~24日)。ここではフロイト説の快楽原理 « le principe du plaisir » と 現実原理 « le principe de réalité » についてラカン解釈を元にして比較、紹介しました。人間身体を緊張伝達の機械と見て、リビドー(フロイトは性欲を当てるが、幅広い行動欲とする見方も)の亢進で人は快楽に突き進み、愉悦頂点に行き着いた途端、緊張の最下点 « au plus bas de la tension » に戻る、これが快楽原理となります。肉体緊張の情報交流の仕組みを « cybernétique » サイバネティック、下点への復帰機能が« homéostat »として、身体系に固有の機械的働きであるとした。サイバネティック、ホメオスタット共に1948年に発表された(米国ウィナー)の定義なので、それ以前(1890年代)にフロイトはこうした交信の働きに気付いて、名称は付けずに身体自律系を説明した―がラカンの説明です。
愉悦最上点と緊張下落は行ったり来たりの繰り返し« répétitive »を見せる。この自律運動をラカンは « dialectique circulaire »「巡回弁証法」なる言葉で表した。弁証法なる語には含意として「機械的」含まれます。それが働くのは人体神経系に限るので、精神との関わりがないから、精神分析学者としても抵抗を感じることはないと部族民は理解します。
一方、現実原理とはどのような運動を見せるのか。これが今回投稿の主題です。現実原理の説明に7章3部106頁の以降112頁までをラカンは費やしている。
現実原理は快楽(本来は性的衝動に限定されるが行動欲、広い意味のリビドーとする見方も多い)を望むも、すぐさまの行動を取らない原理であると定義される。いうなれば快楽と現実の両原理は補完しあい、2で1の自律体系を見せる。これが(精神分析、心理学)での解釈と見る(ネット等情報)。
しかしラカンはこうした解釈に真っ向反対する。原理を説明する用語 « apprentissage »(修得)の意義の捉え方で、ラカン(およびラカン派とされる集団)と一般精神分析側には対立が認められる。
一般側(反ラカン)を主流とすると解釈は前述とおり、それを教育とする。ラカン流に言い換えるとその仕組は « adaptation, par approximation… » 社会規範の採用、あらまし妥協…と説明されるが、これらの意味は普通の教育修練と捉えられる。という事は全く「精神分析的」でない。一方ラカンが唱える« apprentissage » の仕組みは « トラウマle trauma、固定la fixation、再生産la reproduction、転移le transfert » に分解される。語の意義からも内省的、精神分析学と風合いが似通う。ラカンはこの証明に「Monsieur Gribouilleうっかり氏」2度の失敗を挙げている。ここまでが前回投稿、おさらいです。
今回投稿はこの後文(106頁以降)となる。現実原理の作動解説となる。 ラカンは自説の証明にうっかり氏に加え3の先人を引き出した。彼ら: 1 プラトン。著作メノンなどで開陳した « réminiscence » 前世の記憶の生得観念説を持ち込む。
2 キルケゴールにお出ましを願う。著作 « Ou bien…ou bien » (あれかこれか)、 « Répétitions » (繰り返し)を引用する。彼の思想を云々語るのではなく、実存的とされる生き様に焦点を当て、フロイトの現実原理の典型とする。
3 心理学者Zeigarnik(1901~1988ソ連)の未達成効果。クルト・レヴィン(ドイツゲシュタルト心理学者)の説を心理実験で証明した。
Wikipediaを借りると「人は達成できなかった失敗や中断している事柄のほうを、達成できた成功体験よりも強く覚えているという現象。 ツァイガルニック効果、ゼイガルニク効果とも表記する」。映画予告編を見せると本編を見たくなる、箸を付ける前に皿を下げられると食せばよかったと悔やむ。未達成の恋愛、振られた相手に未練が残るーなどの説明に用いられる。
本文、
<Kierckegaard, qui était, comme vous le savez, un humoriste, a bien parlé de la différence du monde païen et du monde de la grâce, que le christianisme introduit. De la capacite à reconnaitre son objet naturel, qui est manifeste chez l’animal, il y a quelque chose dans l’homme. Il y a la capture dans la forme, la saisie dans le jeu, la prise dans le mirage de la vie. C’est à quoi se réfère une pensée théorique, ou théoriale, ou contemplative, ou platonienne, et ce n’est pas pour rien qu’au centre de toute sa théorie de la connaissance, Platon met la réminiscence.>(Séminaire livre II,110頁)
訳:キルケゴールは君たち知っての通りで多感諧謔人であり、異教世界とキリストがもたらす恩寵世界の隔絶を大いに語った。対象をそのものとして把握する能力は動物において顕著なわけだが、人はその能力に何かを加えている。その何かとは形態を把握する能力であり、それを流れの中で掴み、生きる蜃気楼に重ね合わせることである。この絡繰りが彼の理論の、あるいは理論の皮をかぶった考えの、思弁的あるいはプラトン的理論を採り入れ基準点を形作っている。プラトンはすべて認識の中心にこの « la réminiscence » 想起を置いた。それはそれなりに意味があるのだ。
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 1の了(7月6日)
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 2 (2022年7月8日)前回(6日)では<Kierckegaard, qui était, comme vous le savez, un humoriste, a bien parlé de la différence du monde païen...>を引用、拙訳をはさみました。キルケゴールを « un humoriste » ただの諧謔家(unの意味合い)とする。引用文の後半では彼の考え方を « une pensée » 「とある思考」としているし、形容詞に « théoriale » なる造語を当てている。この語は辞書にはないから「理論みたいなもの」と理解する。ラカンのキルケゴール評価は思想家というより宗教実践家である―と覗える。
引用文でのもう一の注目点は « le monde païen » の実体。直訳は異教徒の世界。実はキルケゴールが「あれかこれか」で展開する« stade esthétique » 、耽美段階がこの異教徒世界にあたる。ここでは人は外見(esthétique)と刹那の生き様を気にかけて行動する。人が生きる起点にあたる存在(=罪)を経験するに至らない、よって最下層の世界と規定される。最下に対比される最上層世界は « le monde de la grâce, que le christianisme introduit » キリスト教が導く恩寵の世界。この段階で人は己の存在(罪)を克服し自由(神の恩寵)を獲得する。信仰するキリスト教に、自身の生き様を重ねたこの生きる姿勢がキリスト教実存主義によるとされるが、これをラカンは無信心(異教徒)から信仰の世界への上昇―と簡潔に述べています(サルトル実存主義との比較は本連載投降の後半に)。
もう一点、同引用文の « objet naturel » 正しい対象とはなにか。
認識論である、ラカンは動物を引き合いに出す。その文節の引用は省く、内容は「対象を正しく認識するのは動物にとってお手のもの」である。この意味は、ライオンがシカを見つけたら獲物と正しく、対象の存在意義を認識する。ライオンにとりシカは獲物以上でも以下でもない。この理解が « naturel » で「対象が持つ本来の特性、価値」を見分ける認識となる。この本来が次の語の « quelque chose » と対照される。人は「何か」を動物的認識能力に付け加えている。「対象が持つ本来naturelな価値を付け加える」とキルケゴールを例に出してラカンが曰うのだ。
人が外界を認識する(現実原理)の手順は « la capture, la forme, la saisie, le jeu, la prise, le mirage, la vie »には定冠詞(la, le)が被されている。この文脈では、定冠詞は一般性を持つ定冠詞の用い方ではなく、それぞれは「見て認識する個体が感じている、個別の形態、連続性、蜃気楼」と受け止める。個の人の意識が認識に取り憑く。「何か」を対象に感じ取り、亢進の果に « mirage » 蜃気楼まで個はかすめ眺めてしまう、これが人の「何か」である。
例を挙げよう。君がキルケゴールに劣らず多感だったら。
靖子嬢の顔(カムバセ)を見てなんともキレイ« forme » と感動する« capture »。感動する際にそれ自体の本来の形体に、何がしかを加味している、 これが« la saisie » だ。「文子様の若かりしに劣らない」なんてしてないか。そこに連続 « jeu » の罠が隠れている。「さゆり様の鼻筋を彷彿とさせる」と思い込んだら、その顔の本来の特性 « objet naturel »(目と鼻と口の人の面)なんかすっかり忘れ、靖子嬢の背後に隠れる蜃気楼 « le mirage » 見ているのだ。
余計な何かしらが加わる個の外界認識、その発起点にラカンはプラトンの想起説 « la réminiscence »を重ねる。
「人は地上に生きる前に天上で生をおくり、自覚のないまま記憶思考を抱え込む。時にそれを彷彿と思い出す」の意味。メノンでこの仕組を論じている。
ラカン精神分析によるキルケゴール解体 上(HP)の了
|
|||||||||
| |
|||||||||