人はなぜ悪しき記憶を幾度も想起するのか、フロイトが報告しラカンが形而上の

味付けをした現実原理。プラトンまで引き出したからには
「そうです、先生」
と脱帽してしまう。

 部族民通信ホームページ   投稿2022é年8月15日  開設元年6月10日
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ラカン精神分析によるキルケゴール解体 下 (HP
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キルケゴール解体   
   
ラカン精神分析によるキルケゴール解体

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 上

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 中

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 下 補遺

   
目次

プラトンの前世記憶 実存主義の俯瞰図 補遺サルトルとの比較

   

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 下 (HP

ラカンは続ける、キルケゴールは自由を得られない;

Kierkegaard veut échapper à des problèmes qui sont précisément ceux de son ascension à un ordre nouveau, et il rencontre le barrage de ses réminiscences, de ce qu’il croit être et de ce qu’il sait qu’il ne pourra pas devenir. Il essaie alors de faire l’expérience de la répétition> (110頁) 訳:キルケゴールは問題からの逃避を望んだ。その取り組みがなにより、新しい段階への上昇 « ascension » を約するものであったのだし。そうした存在であるべき、こうなってはならないと想起 « réminiscences » が教えるが、障害が必ず立ちはだかる。故に(進歩なし、同じ段階で)蹉跌を繰り返し失敗を重ねる。

著作 « Répétition » 繰り返しで綴られるベルリンへの再訪、かつての輝かしい体験を得られなかったキルケゴール。第2舞台で繰り返し挑戦が失敗の原因、ラカンはかく「昇天できなかった」と表現した。

引用したDictionnaire Philo.は「実存主義」からの解釈で罪を覚知し自由を得る過程を説明するが、ラカンは精神分析の手法として「想起」を持ち出している。

ラカン解釈でキルケゴールは3への上昇は至らなかった。用いた言葉 « ascension » を昇天とする。この語の大文字で始まる « Ascension » は「昇天祭」キリストが天に帰った日です。これをして第2段階でうごめき、蹉跌を繰り返し第3には上昇できなかった根拠とします。

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 4の了(2022年7月13日)

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 5 

(2022年7月15日)キルケゴールは神との対話と罪の自覚を語る。ラカンは彼を精神分析から解体する。

<L’inconscience est le discours de l’autre. Ce discours de l’autre, ce n’est pas le discours de l’autre abstrait, de l’autre dans la dyade, de mon correspondant, ni même simplement de mon esclave, c’est le discours du circuit dans lequel je suis intégré. J’en suis un de chaînons. Le discours de mon père, en tant que mon père a commis des fautes que je suis condamné à reproduire ― c’est ce que l’on appelle super-ego. Je suis condamné les reproduire parce qu’il faut que je reprenne le discours qu’il m’a légué, non pas simplement que je suis son fils, mais parce qu’on n’arrête pas la chaine du discours, et que je suis justement chargé de transmettre dans sa forme aberrante à quelqu’un d’autre.

訳:他者との対話が無意識に留められる。他者とは漠然とした他人ではなく、下僕でもなく, «dyade »  二重性に封じ込められている私の交信者であり、彼との対話は周回しその輪に私は取り込まれている。一つの歯車  « chaînon » にしか私は過ぎない。父が罪を犯したのなら、私はその罪を繰り返す運命に呪われるを知る。(知らされる前に気付いている自我)それが「超自我」である。「超自我」が強いる対話を私は続けなければならない。私が父の息子であるという単純な理由からではない。この連鎖を人が止めてはならない。この連鎖が辻褄の合わないものであろうと、誰かに引き継がせねばならないからだ(112頁)。

プラトンの前世記憶をラカンは巧みに応用する。ここでの交信者 « dyade » は当然、プラトン主唱の « âme » 心―の考えを踏襲しているが、精神分析の視点から心理の累層とは自覚する心と自覚しない心の間の対話とラカンは説明する。すると « c’est le discours du circuit dans lequel je suis intégré » その内部に私が封じ込められている、周回する対話―の意味が理解できる。

自覚している側、私« égo » は、自覚されない側は « super-égo » と累層並立し、対話は無意識のままに成り立つ。私自身は自覚していない« super-égo »を入れる容器 « contenant » に過ぎない。私の精神の中身 « contenu » は« super-égo » が持つ。« super-égo » は私を乗り越えて(容器を替えて)継続する。その本質は「罪」である(この文節は部族民解釈)。

プロテスタント思索者のキルケゴールと精神分析者カソリックのラカンとの接点は、人の本質は「罪」であり(フロイトではリビドー)、それを自覚し信仰によって開放される(精神分析の問診治療)。キルケゴールは自由を昇天とし、ラカンはそれを病んだ精神の快癒とする。

(本投稿ではフロイトの« principe » を原理と訳した。邦訳では「原則」が定番となっているようだ。辞書(スタンダード)は訳に原理原則を挙げるからどちらも可能となる。原則は例外が滑り込むのを甘受する―このような語感を感じ取る。2の « principe » をラカンが持ち出したのはHyppoliteが「フロイトにもダーウインと同じく« principe » を立てて論を展開している」との指摘を受けてから。ダーウインの淘汰原理にフロイト説をなぞらえるならこちらも原理と考えた)

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 5の了(2022年7月15日)

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 6  最終

(2022年7月18日)最終にあたりキルケゴールが今、哲学思潮の中でどのように評価されているか、実存主義との関連から小理解を述べたい。



上写真はDictionnaire de Philosophie (Nathan社版)の実存主義説明ページから拝借した図です。中央 «Existence » の意味を「実存」とせず、説明ページの趣旨を受けて「個の存在」と理解する。個はたしかに存在し活動を見せる。その生き様とはどのようにあるか、それぞれの思想家が個の成り立ち、理想を追求した。彼らが追求した主題を簡潔に一語にまとめ、展開図に収めている。

ニーチェ(右上)は « Volonté de puissance » 個が内に秘める「力漲る決意」を追求した。その通りかと。ショーペンハウアーには « Vouloir Vivre » が被される「生きる意志」となる。以下ハイデッカー「時間性」、ヘーゲル「歴史」、キルケゴール「概念」。サルトルには「実存主義、自由」が紐づけされ、彼にのみ « -isme » が付与される。

キルケゴールに冠される « concept »「概念」の意味合いが、本辞書が実存主義に向きあう立場を理解する鍵語となります。キルケゴール定義は;他のいかなる主体(主義主張)とは独立して存在し、個は存在そのものとなります。「主体としての個」を初めてキルケゴールが打ち出した所以です。すると図中、サルトルを除く他の思想家は「個の存在」を別の主体(思想)とつなぎ合わせて、思想の客体となる存在としての個、その生き様を語ったと受け止める(異論は承知のうえ)。

ヘーゲルを採り上げると、この主体・客体の関係はより分かりやすい。彼が唱える弁証法は思想であり、思弁に支配される。主体は思弁でありこれを内包する頭は単なる入れ物であり、客体です。主体は思考、デカルト以来、西洋思想の主流です。

キルケゴールは知を形成する理性(当時19世紀半ば、デンマークにあってはヘーゲルを旗手とする理性主義)を否定し、(教会が押し付ける教条に枠を嵌められる)信仰を排除した。理性と信心が剥ぎ取られた個は空虚となる。空虚な個が俗世を徘徊する様を綴ったのが著作「あれかこれか」での生き様です。教会教条を否定してもキルケゴールはキリスト者としての信仰を抱く。徘徊の果て個の本質は罪にあるとの真理にたどり着いた。その生き様の旅路をたどれば、第一舞台が耽美生活。瞬間に生きる個は罪を自覚しない。この第一の舞台をして « le monde païen » 異教徒の世界とラカンが定義した。耶蘇教の根本原理の罪は自覚されない。これ以降の段階(2,3と続く)では空虚の個が罪を自覚し昇天するまでの旅路が控える。過去の投稿(1~5)で昇天に対峙するキルケゴールの姿勢を説明しました(彼は罪を自己の存在に取り込むことを拒んだ、故に昇天 « ascension » にはたどり着けなかったとラカンは分析した)。

サルトルが「個の空虚」の概念を借り入れた。サルトルは無神論者。本質が罪、信仰はそれを覚知する道、こうした有神論はサルトルに似つかわしくない。そこで空虚とは「実存」、経験を経ない無の個、外部世界での経験の果てに獲得する本質が「自由」と組み替えた。

この論理展開のおかげか、図で « existentialisme » をつけられた。

キルケゴール含め他思想家は個の存在、すなわち個の生き様に思索を巡らせたが(個を主体として大系、すなわち主義に引き上げたのはサルトルが初にして(今のところ)終わり。それだけに彼の思想は遥かな地平に躍る。

この図を目にしての(部族民)解釈が以上です。

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 下 (HP)のりょう

 

補遺

実存主義の解説、その幾文節かを哲学辞典(Nathan)から引用する。

C’est radicalement le fait d’être, de l’existence en soi, indépendamment de toute connaissance possible, et de l’existence dans l’expérience par opposition au néant. それは(存在は)詰まるところ生きている事実であり、個の存在であり、経験を貫いての存在で、それに対比する側(自由を獲得できない個)は無である。

Déjà Kierckegaard remarque, en tant que tel, il (le sujet humain) est irréductible à toute approche systématique. Pour Heidegger, cette existence est propre à la subjectivité, comme être dans le monde et projet d’un monde. Sartre en déduira que, pour l’homme, « existence précède l’essence » : indéfinissable a priori.  L’être humain n’est rien d’autre que ce qu’il devient…>キルケゴールはすでにそれ(主体としての個)はかくあるべきと指摘していた。個はいかなる思想、大系的な取り組みに曝されても分解できないと。ハイデッガーにしても個の存在とは主体性そのもの、世界に生き世界の投影であるとした。サルトルは後に、人とは「存在が本質に先立つ」と個の位置を決めつけた。個はその存在のまま規定できないし、人とは、成るべくして成りうる存在そのものでしかない

...はこの後はサルトルの実存主義に忠実な解説が続くとの意味)

Dans ce sens large, c’est Kierckegaard  qui est l’initiateur dans la philosophie moderne (même si on peut en trouver l’origine chez Pascal), par son insistance sur la subjectivité.

この意味の幅を広げると、パスカルにその濫觴は認められるけれど、主体性に対しての考察からして、キルケゴールが近代哲学の創始といえる。

実存主義を「近代哲学」としその核にサルトルを置く。幾分サルトルへの偏りは強いが哲学者側からの解釈で実存主義が語られ、キルケゴールの重要な立ち位置もそれに沿って説明されています。一般的解釈と見られる。

前の投稿(1~5)でラカンのキルケゴール論を紹介した。ラカンは精神分析の「現実原理」を応用してキルケゴールを解体した。サルトルがキルケゴールに向き合った姿勢と比べると、あまりにも大きな差に驚きます。哲学と精神分析の解析の差―と片付ければ簡単です。部族民はラカンとサルトルの距離と考えたい。

 

ラカン精神分析によるキルケゴール解体 6最終の了(2022718日)

 

ラカン精神分析によるキルケゴール解体(HP)の了


 
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